⑧ カロとエレゼ





 んもー、と謎の声を上げて頼みの綱の三下まで倒れてしまう。


「あわ、ちぺっ! アンタはたおれちゃダメだろっ、オカシラがっ!」


 アジトから吹っ飛ばしてきたのがたたったのか、元気をなくした合体〔ろぼ〕・ダイハンエイに三人は投げ出されていた。


 それでもボコボコに腫れ上がったキペが動かないニポを抱き、大事な荷物を小さなパシェが背負いながら休める場所を探していたところだ。


「んもー・・・」


 とはいえ追手を振り切るのに必死で逃げ込んだその森がどこなのか夢中になっていたパシェは見当を付けかねている。

 そしてそこへきてのキペ脱落はもう、パシェにとって絶望以外のなにものでもなかった。


「おふぅ、たのむよちぺっ・・・あわ、オカシラぁ、アタイどーしたら・・・」


 そう呟いて道端に倒れたキペの上に倒れたニポに泣きつくパシェ。

 意識を失ってしまった二人はもはやパシェの目には死にゆく者にさえ映ってしまう。

 たった一人なのだという不安が、今は視界の全てを暗く覆っていた。


 とそこへ。


「おや。お困りのようだね、パ・・・黒ヌイのお嬢さん。」


 突然現れたその黒い長髪の男の声が、けれどパシェにはうれしかった。頼もしかった。


「う、・・うぅ。た、たすけてください。オカ、オカシラが・・・さんしたまで。

 アタイはパシェといいますだぁ・・・たびのヒト、どうか、おねげーしますだぁよぉぉ。」


 なんにもできない自分が情けなくて、助けたいニポをどうすることも出来なくて、三下のキペさえも失ったパシェはもうただの迷い子だった。


「きひっ。カロ、てつだうんでしょ? キペちんたちにもいやな〝罪〟のいろはないしさ。」


 ぴょこん、とそんなカロと呼ばれた男の後ろから同じコネ族の女児が飛び出してくる。


 何を言ってるのかはわからなかったが、歳の近い女の子がいるというだけで途端に安堵が込み上げてこぼれていく。涙やよだれや鼻水となって。


「うぐぐぅ、いっでるごどがざっぱりわがりばせんがっ、どうがっ、おだすけくだぜぇっ!」


 そうしてぺたーん、と土下座するパシェをつまみ上げ、カロは汚れまくったその顔を拭いてあげる。仔犬とか仔猫みたいなものだから扱いは簡単だ。


「うん。わたしたちもそのつもりで来たのだからね。じゃあノル、ニ・・・この女性はわたしが背負おう。パシェだったね、きみはノルと牽き板でキペを運んでくれるかな。この先の細い脇道を行けば教会があるからそこへ向かおう。さ、準備に取り掛かるとしようか。」


 そう言うとカロはノルと即席の担架を作り始めた。 


 そこら辺で拾ってきた枝を組んで丈夫な繊維のツタで縛り、ヌル草といわれる干草に水を吸わせて底に編み金で留めれば出来上がりだ。


 前後で持ち上げる担架ほど患者にやさしい道具ではないものの、これさえあれば子ども二人でも大人一人を牽いていくことができる。保湿剤や緩衝材として用いられるヌル草を板の下に引くことで多少のクッションにはなったし、生成される粘液が牽き板をなめらかに滑らせてくれるからだ。

 ただこれはあくまで弥縫策としての救急道具なのでヌル草もそう長くはもたない。

 しかしニポを背負うカロの表情を見るかぎりは安心してもよさそうだった。


「どうぼありがどうごぜぇましだぁ。うぐっ、このごおんはいっしょうわすれねっちゃ。」


 べろべろに泣きながらパシェはカロの背中に呼びかけ、横で一緒に綱を引くノルにもびしょびしょな顔で礼を告げる。


「きひひ、きにしなくていーんだよ。それにしてもキペちんはなんでこんなにかおがはれてるんだろね?」


 ヌル草でも吸収しきれない道のでこぼこに、うっ、うっ、と反応する元々は面長なほうだったキペの顔は赤と紫に染められた丸い芋のようになっていた。


「うん、確かにひどい怪我だね。キペはヒトから恨みを買うような性格ではなかったはずなのだけど。」


 体のあちこちにもアザや傷が見られたがそれでも出血は止まっているようだ。鼻からおもしろいくらいに流れ出たそれも黒く固まり、趣味の悪いイタズラよろしく滑稽に跡を残している。


「あー、なんだかよくわからないけどアタイらヘンなれんちゅーにねらわれてしまって。

 ちぺはアタイたちのためにがんばってくれたんだ。さんしたでナマイキだけど、いいやつなんだ。」


 この森に辿りつく間際、〔ろぼ〕操作の疲労のために気を失ったニポがダイハンエイから転げ落ちた時もキペが抱きかかえて傷を最小限度に抑えてくれた。


 パシェに至ってはカーチモネ邸と今回とで二度も助けられたことになる。

 キペを大事に思いたい気持ちが芽生えて当然だった。


「なるほど、相変わらずだね。ではキペもずいぶん疲れたことだろう。パシェ、きみも。

 そうだ、わたしの縫い袋から皮鉢を取り出してくれるかな? その植物の葉は、苦いけれど体を起こしてくれる作用があるんだよ。きみまで倒れてしまうとさすがにわたしたちだけでは手に負えなくなってしまうからね。」


 目を閉じたまま振り返ったカロは立ち止まり、パシェの方にポケットを差し出す。


「そうですかぁ。んじゃえんりょなくいただき・・・・ほぐおっ!」


 苦いというよりマズい類だったのだろう。パシェは吐き出したい旨を「いい? いい?出していい?」とこれでもかとカロに涙目で訴えるものの、あえなくその弾ける笑顔に却下される。


「どぅおう・・・こ、こだマズいモンくちにしたのははじめてですたい。さ、アタイはもうげんきマンタンだから、いこう。・・・もう、いこう。」


 ようやく飲み下したパシェはまた勧められないうちにと先へ促す。隣で待っていたノルは楽しそうにそれを眺めていた。


「あ、それより。ちぺのことしってるんですか? アタイらはあったばっかだからあんまりちぺのことしらないんだけど。」


 食べなさい、とは言われなかったがもう一枚くらい持っておきなさい、と葉を千切るようパシェにポケットを再度差し出してカロはにっこりと笑う。


 そんなところへ。


「るーららーららー♪」


 陽気な、というより気の触れたような楽器弾きの音色が森のざわめきに混じって耳に届いてきた。


「ふふ。その質問は後回しのようだね、パシェ。」


 そう言って均された道を歩いていくうち、先の音色の発信源がフラフラとこちらへ向ってくるのが見えた。張り出した木の枝葉に姿は霞んでいたが、旅の男のようだ。


「るーららーるるーっと。おやっ! そのミズネのかわいこちゃんはもしやっ!」


 男はそうたまげると錘絃を弾いていた手を止めニポを見止めるなり走り寄ってくる。


「うわ、なにものだあぁっ! さてはオカシラをねらってきたんだなっ!」


 苦い葉っぱの甲斐あってか牽き板の綱をほっぽってジッヒ族の楽器弾きへパシェは駆け出す。

 キペはともかくニポだけはなんとか守りたくて。


「おやまた、これは小さなかわいこちゃんだねぇ。あ、確かカーチモネ邸で見かけたかなー? はーははー、そっかそっか。このぐったりしたかわいこちゃんはあの時のかー。あーはっはっはっは。

 いやーそれにしてもこんなところで会うなんて奇遇だよねぇー・・・・カロ。」


 パシェというよりカロというよりぐったりしているニポを見つめてエレゼは話しかける。


 挙動のどれをとっても怪しいばかりだがどうやら不審な男ではないのだろう、カロにもノルにも身構える様子は見られなかった。


「・・・ふぅ、エレゼ。暇ならキペの牽き板を頼みたいのだけれど構わないかな。そこの教会まで手伝ってく――――」

「いやだいっ!・・・えっとほら、ボクはこの通りひよわだからねぇ、キミの背負ってる彼女を背負いたいんだ。是非とも。というか、とにかく。」


 下心が前面展開するタイプだったもののやはり悪人ではないらしい。


「・・・。エレゼ、きみは錘絃を背負っているだろう? だから・・・」

「じゃあこれはキミに預けようっ! そしてキミはボクにその娘を預ければいいっ! あっはっはっは。これぞ持ちつ持たれつってやつだねぇカローっ!」


 頑なだった。


 もうどうあってもニポを背負いたいのだ。


 露出度の高い恰好のニポは「これいらね」と錘絃を突き出すエレゼにとって欲望の的以外のなにものでもないから仕方ない。


「・・・エレゼ・・・。はあ。しょうがないな。」

「はーっはっはっは。いーのかいっ? カロ、いーのかいっ? それじゃあお言葉に甘えよっかなーはっはっは。」


 しょーもない。

 ただ、しょーもない、とその場にいた者は心の底から強く思う。


 それでもしょーもないエレゼに頼ることがいま一番肝心なことだったので誰もそれを口には出さなかった。


「あの、たびのがっきひきのかた。おれいはかならずしますから。・・・あ、ありがどう。よがっだ。とにがぐ、えがっだぁ。えがっだーよぉオカシラぁ。」


 駄々をこねてニポを背負いはしゃぎ回るエレゼと牽き板を引くカロ、それからノルに改めて礼をいうと、また涙がこぼれてきてしまう。


 安堵から、その感謝の気持ちから、温かい涙がこぼれてしまう。


「きにしない、きにしない。ふふふ。いこ、パシェちん。」


 それをそっと隣からノルが手布で拭ってやり、樹冠や梢に覗く教会へパシェを歩かせた。



『ヲメデ党』の外では友達も家族もないパシェだったから、その初めて出会うヒトのくれる温もりに、ただただ胸が詰まる。

 ニポが起きたら話してやろう、そう思い描きながら、二人を休ませてあげられるところへ歩を早めた。

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