④ ルマとキビジ
聖都の遥か西北にそびえるトキマキの山脈はこの季節、その本性を現し始めることからあまりヒトが立ち寄ることはなかった。
高く長く続く山嶺に季節の風が滞るため、白陽の季節にはより暑く、閉陽の季節にはより寒くさせて命の営みを阻むのだ。由来の通り、穏やかで快適な「時を巻く」荒涼地帯とあって道の整備もおぼつかない。
「ルマ様、ついに行動に出た『ファウナ』を統府が黙殺するとも思えぬこの状況下です。聖都の管轄がヒナミの組だけで足りるものか疑問が残りますぞ。」
長身が特徴であるはずのケタ族の参謀は、幼少の頃さんざん笑われた小さな体をこの時になってようやく愛せそうだった。前を行く若者に吹き荒ぶ風を任せられるのはこの男くらいなものだ。
「案ずるなキビジ。『ファウナ』に持っていかれたダジュボイ老も、『特任室』・『スケイデュ』に拘束されているモク老も一筋縄ではゆくまい。
あの者たちとてユクジモの端くれ、呆れるほどの頑健さは双方ともに未だ持ち合わせているようだからな、そう易々と他人種へ乗り換えるとは思えん。
それよりもまず我らに必要なのは結束だ。
話によれば『ファウナ』の内部も穏健派と強硬派との、統府では教皇と議閣との亀裂が目に見えて表面化してきてるというではないか。今こそ我らは枢老院を取り込んでユクジモ人全体の支持と協力を得なければ好機を逸してしまう。
〔ヒヱヰキ〕の力と後ろ盾は喉から手が出るところだが数と結束に勝るものはない。すべての戦に勝利しても民の信頼を得なければ万事が無意味だ。
わかるな、キビジ。正義の名の下に戦の終焉を告げるためだ。私情は呑んでくれ。」
自分の四半分も生きていないこの若者が英雄と呼ばれるゆえんを、老参謀はその燃える志に改めて見る。
多少強引で拙速な部分もあるが、掲げた旗は褪せることなく変わらぬ勢いで風にはためいていた。足らぬ箇所は知恵で補えばいいのだ。ユクジモ人の独立と平和な営みのためにはこの男のような旗が必要だった。
「承知しましたルマ様。しかし急くばかりが策ではありません。部族によってはこの寒さに耐えかねる者もあるようです。いつ晴れるとも知れぬこの地、一刻も早く抜けたい気持ちは皆おなじくするところですがひとつ休息を取られては。いえ、あなたではなく、兵を慮っての言にございます。」
べたべたと王子様扱いされることを嫌がるルマと知っての提案だ。
理想が高いぶんだけ厳しく独善的にもなる。しかし一方では同胞を思いやる気持ちはやさしい青年そのものなのだ。
「・・・わかった。では旧編隊壕跡地へ寄るとしよう。広くなくともこの寒さはなんとか凌げるはずだ。」
遥かな昔、ユクジモの血を持ちこのアゲパン大陸を制覇した王がいた。
名を名乗ることなく滅び去った部族名を掲げたその台王を、ヒトは「魔法使いロクリエ」と呼び讃えた。
ユクジモ人の都合による脚色や誇張、編集などは否めないが、同種の者たちにとってそれはただの伝説ではなく今なお心の拠り所ですらある。
今日のク=ア学ではそれらのうちいくつかの神がかり的な逸話は否定されてはきたものの、証拠になる碑文や共通する文化・言語等を含む慣習の継承、自然発生的には考えられないほど合致した世界創造の《百万本の緋の木》の神話のモチーフや、統一のためとされる戦の跡は現在も解明できないまま野放しになっていた。学者という厄介な余所者さえいなければもっと早くに団結できただろうとはルマお決まりの口癖だ。
「よ、っこれっと。・・・ふぅ。ようやく着きましたな。明日には晴れると良いのですが。」
呼吸がままならないほどの標高ではなかった。だがさすがに荒れ狂う天候には逆らえずやむなく今夜は旧編隊壕跡地で夜を明かすことにしたようだ。
「そうだな。・・・なぁキビジ。皆は、不安だろうか。」
そこには指揮を担う者の粗末な別室があったが、特段あたたかいわけでも過ごしやすいわけでもない。
先遣隊により存在の確認だけはしておいたという程度の洞穴に過ぎなかった。
「皆はあなたの背を目指し歩くのです。重責の負担、軽々に「わかる」などとは申しませぬが、泣き面に映るのならばそれはあなたのその背中でしょう。
ルマ様・・・メタローグであるハイミンの奪還を決断なさった時に話すべきだったのかもしれません。よりにもよってこのような時に、とお思いになるでしょう。
・・・しかし、わたしは今この時なのだと確信しております。」
そんな前置きの長さに無防備なほど興味をそそられてしまうのはルマがまだ成熟しきれていない何よりの証拠だろう。それを逆手に取ったわけではなかったが、一心に耳を傾けてもらわねばならない話であればうまく利用するのもひとつの段取りだった。
「ルマ様、お父上様のことはどのくらいご存知でしょう?」
歳の離れた偉人であったことは聞いている。
自分が唯一の子息であり、顔もろくろく憶えきらぬうちに死んだとも。
「母上も多くは語らなかった。聞いてはならぬものと思ってきたのでな。そうしてよく知らぬうちに、母上も。」
安心したような、すこし残念そうな顔をしてキビジは続ける。
「左様でしたか。ルマ様、大白樹ハイミンが『ファウナ』の連中に奪われたのはあなたの生まれる前のことでした。
木とヒトとの繋がりとなるメタローグ・大白樹ハイミンの奪還は我々の悲願だったのです。そしてそのために尽力されたのが、あなたの尊敬する神徒スナロアでした。」
ルマとは対極的な性格のスナロアという男は、三神徒に数えられた中で最も尊ばれた高潔な存在だった。
その高い志とたゆまぬ努力を保つ毅然とした姿勢は、今でもルマの憧れだ。
「そう、だったのか。今は亡き神徒スナロアの悲願を俺たちは遂げようとしていたのか。はは、そうかそうか。」
憧憬の眼差しで追ってきたその背に近づけたと思うだけで青年は胸がいっぱいになる。
それを越えたい、などと欲張った気持ちではなく、ただ近づけたと感じられるだけで認められたように満たされていくのだ。
英雄ともて囃されていたとはいえ、やはりそれは周りの評価でしかなかったから。自分自身が自分自身にくれてやる評価とは似て非なるものだったから。
「はっ!・・・そ、うか。・・・ククク。なるほどそうか、だから・・・俺なのか。」
確かに、ほんの一瞬前までは満たされていた。
それでも会話の意図が掴めた今、皮肉めいた自嘲しか浮かんではこなかった。
「誤解なさらぬよういくつか添えさせていただきます。
ルマ様、よくお考えください。枢老院さえ含め皆に愛されたスナロアには、他に親戚もいれば兄弟もいました。彼の求心力を引き継ぐだけならばあなたより適した年齢や地位を持つ者とているのです。
それでも今のこの『フロラ木の契約団』はあなたを選び、あなたに従うと表明したのです。
確かにあなたの血筋はわたしたちのような歳の者には大きな後ろ盾となるでしょう。しかしそれだけで統率することなど不可能なのです。あなたのその才覚が、あなたのその人格が不可欠なのです。
そして皆にあなたのお父上であるスナロアの再来を予期させる熱情と成果がユクジモの未来を創るのです。」
類は友を呼ぶとは旧き言葉ながら、熱弁家をこうも身近に置いていては世話がない。
それでも今はっきりとわかった血の意思とそれが結ぶ繁栄に、ルマは当分自嘲を自重しようと決めた。
ちなみにルマはダジャレを口にしないタイプだ。
「お前の言うとおりこの時が最善だったな。ククク、皆の不安が俺の不安であったのならば直ちに払拭しよう。頼もしく思う、キビジ。これからも世話になる。」
冷気に縮こまっていた心は再び奮えて胸を鳴らす。
そして快活な笑みを取り戻したルマに、キビジは在りし日のスナロアを重ねて見る。
未だ納まらぬ荒天の白に、小さく燈る赤はそれでも決然と燃えたぎっていた。
じりりりりりりりりっ!
「ぱきゃーんっ!」
と、とんでもない金属音に叩き起こされ変な声を上げてしまう。
ぱこん。
「カラクリドケイくらいでガタガタ言うな! 目が覚めるだろ、チペっ!」
よくわからなかったが間違ってはいない気がした。
「おー、おはよーちぺ。よなかオカシラにてぇださなかったみたいだな。よしよし。」
というわけでカラクリドケイよりもパンチの効いた一言に目を覚ますキペ。
肌寒くなってきた玄陽の季節、体を壊されても困るからと同じ部屋で寝ていたのだ。もちろん、床だったが。
「うし、ほいじゃあメシにでもしよーかね。火ぃ焚いといてやるからあんたら顔でも洗ってきな。」
なんだかよく分からなかったが、ヒトがいて朝食を作ってくれて顔を洗いに行くということが、なんだかよく分からないのに、心地よかった。
「はやくしろー、ちぺー。」
動かせば痛む体も疼く左肩も気にならない、なにかあたたかなものが胸に宿るから、
「はーい。いま行くー。」
キペの顔はやわらかくほどける。
きのう一日でひと通りの案内は受けた。
「・・・んー。んー。これからどうなるんだろうなぁ僕。んー。んー。ぐー。」
どうやら本格的に党員に呼び込む腹づもりなのだろう、二ポたちは細かなことまで教えてくれたのだが残念ながらそのほとんどはキペの頭に入ることはなかった。
ただ、もしこのまま『ヲメデ党』に入ってしまうと・・・と考えると頭の回転がスロウリィなこの男は眠り始めてしまう。だので。
ぽかん。
「こらチペ。まずいメシは食いたくないから料理をパシェに任せてるんだ。客人じゃないんだぞ、きちんと心得ておけ。ったく。」
顔を洗って健やかにテーブルに就くも朝の小言が飛んでくる。
隣のパシェも腰に手を当てて「そーだそーだ」といきり立つ。
まぶかにかぶった可愛らしい魚の帽子まで一緒に怒っているようだ。
だからだろうか。
「ごめんパシェ。・・・えいっ!」
なんかこう、気になったのだ。好奇心はそれを抑えられなかったのだ。
「あわ、あんばばばば・・・」
ぱしゅん、と興味本位に帽子を取られると、そこにはかわいい黒耳がぴょこんと立っていた。
「え?・・・パシェ、きみ。・・・・・・黒ヌイなの?」
古くから黒の系統を持つ部族は疎まれ、あるいはその血を途絶えさせてきた。
キペやハユの村のヌイ族が黒の系統であれたのは、勝ち残ったからではなく生き延び逃げおおせたからだ。皮肉なほど閉じこもった部族だからこそ黒ヌイの純血は守られてきたのだ。
「・・・ふん。いっしょにすんな。アタイはちゅうぎをおもんじるヌイにうまれたんだ。イマドキのとはぜんぜんちがうんだ。ア、タイは・・・」
もう耳を隠すこともせず、パシェは皿の上の香ばしい練り焼きと塩肉を見つめたまま黙り込む。
「言っとくけどねチペ、パシェはうらぶれてココへ来たんじゃないよ。あたいらはモクじーさんに救われたんだ。
・・・別にあんたを責めるつもりはないけどねえ、パシェは捨てられたんだよ。あんたの村の誰かに、さ。」
そう言うとニポは、かしゅ、と練り焼きにかぶりついてまだ食べようとしないパシェの頭に手を載せる。
キペに罪はなかったが、罪はないのだと言ってくれる者はどこにもいなかった。
「ごめんね、パシェ。」
「じゃーこれよこせ。」
にひひ、と笑ってキペに取り分けていた塩肉をかっぱらう。
手をかけた苗より自然に育った苗のほうがずっと逞しいニビの木になる、と生前タウロは言っていた。
だからだろう。細々と暮らしていたようでも、自分たちはまだずっと恵まれていたのだと気付かされる。
「ふふ。パシェは食いしん坊さんなんだね。いいよ、どうぞ。ふふふ。
あ、ねぇニポ。ここってすごいカラクリのモノがいっぱいあるけど、誰かを見つけ出したりする装置なんてないかな。きみが売り渡した像の行方を追うにはダイーダって人物を探さなきゃならないんだよ。」
そんなささやかなキペの感傷には一切触れず、部下で年下のパシェが自分よりも多く塩肉を食べている現実が納得いかないニポは何も言わずにキペの皿の木の実をかっぱらう。
見事なまでの盗賊一家だ。
「んなもんあるかっ! それよりあんた、「像、像」って言ってるけど村があんなじゃ残してきた霊像だって無事じゃ済まないだろっ!」
かきゃん、と箸が落ちる。
キペは愚かではないが、足らないところがあるのだ。
「・・・なんで、気付かなかったんだろ。
そうだよね・・・どうしよう、もう本当に《六星巡り》しかないじゃないか。
ダメだ、やっぱり。ねぇニポ、陽の神殿はどこにあるの? 急いで風読みさまのお供をしなきゃいけないんだよ。
旅の荷を背負えるような体じゃないからせめて荷物持ちが一人はいないと・・・アヒオさんたちが協力していてくれればいいんだけど・・・あぁ、困ったなあ。」
夢中でしがみついてここまで運ばれてしまったものだから向こうの状況はまるで霧の中だった。
アヒオたちの性格を考えれば連れ立っていると想像できなくもないが、それを認めてしまうと今度は自分の存在価値が揺らいでしまう。
村の霊像が焼失した可能性に気が付いてさえいれば無茶もせずに済んだうえ、今ごろはこんな心配もせずに風読みたちと《六星巡り》を続行できていたのだから。
良かれと思って取った行動の全てが虚しく余分なものに思えてならなかった。
「ここからじゃ今から走ったって追いつきゃしないよ。ただあんたもヌイ族らしく忠誠心は持ち合わせてんだね。ますます手離したくない部下じゃないか。
きひひ、じゃ、こーしよう。ウチのモクじーさんの救出に手を貸しな。成功したら風読みんトコでもどこでも送ってやるさ。ヤシャも部品さえ揃えば一番速く移動できるはずだからねえ。
どうだいチペ?
ま、これは質問でも提案でもない命令だけどさ。ぱっしゃっしゃっしゃっしゃ。」
そして大笑いと共にぽっさぽさの噛み砕かれた木の実がまんべんなくキペの顔に降り注ぐ。
ちょっと目や口に入ったがそれどころではない。見渡したところ馬があるようには思えないし、抜け出すにしても路銀がないのでどこかで馬を借りることもできない。となればコマ号の「らんらんねるもで」に頼るのが最も早く最も安く移動できる手段だった。
「わかったよニポ。・・・そうだね、遂げなきゃならない事があるのは僕だけじゃないんだ。
じゃ、コマとヒマの調整を早く済ませてしまおう。」
キペとしても完全に信頼することはできなかったが、やはりニポたちが祖父を刺したとは思えなかった。不足している証拠や動機からではなく、その人となりに殺人者を見つけることは難しそうだから。
それでもモクという党首によって神像や霊像が奪われ家を壊されたのは事実だし、それが引き金でハユが出ていったのは確かだ。
ただ、今は手を取り合わなければ前へ進むことができない状態である以上やるしかなかった。
「はっ! 言ってくれるじゃないのさっ! だけどねえチペ。虫の揚げ煮は食え。いい歳こいて好き嫌いしてんじゃないよっ!」
栄養価が高く、代謝を促し血行を良くする効能のあるその昆虫はまずかった。
揚げて煮てなお、まずかった。
「え、ちょと何するのニポ? ちょ、やめ・・・・ちょ、うんぎやあああああ――――」
その後、腕を縛り上げられ有無を言わさず口の中に押し込まれ世界の終わりを告げるのにぴったりな悲鳴がひとしきり続いたという。
キペは最晩年の日記に当時の感想を「家に帰りたかった」と記している。
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