雲入道/巨人/長野県高原
夏の頃。熱線に肌を焼かれ、睨むように空を見上げれば、そこ佇むのは途方もない入道雲である。
重く固く、しかし宙に浮いて落ちてくる気配はない。そこに何かしらの神性を見出すことは不自然ではないと思う。
しかして実際、彼は見せかけの筋肉のかたまりでしかないので、全く日傘にもならず、歯噛みすることもまま在るだろう。
どこまで行っても、人の手で空を操ることは出来んのだなあと、我々に首を垂れさせる。
今回記すのは、長野県某所でお聞きした伝承である【雲入道】である。
季節は今と同じく夏の頃、サークルの合宿活動で長野県の高原に行った。
正直名前や正確な場所は覚えていない。私は活動さえ出来れば別に何処だって良かった。覚えているのは、周りには木しかなかったことと、川遊びに興じたことだけだ。
けれどもその中で特に心に残っているのは、途中立ち寄ったサービスエリアで休憩を取ろうとバスから降りた瞬間、あまりの爽快な涼しさに目が覚めたことである。
そのサービスエリアは中々の高台にあり、囲むガードレールから見下ろせば緑の坂が延々と続いていた。転げ落ちたらどうしよう、いいやどうしようもない、と私はさっさと尻込みして後ずさった。
また、その場所は山々に囲まれており、遠くの方では天を容赦なく突き上げる岩槍が何本も乱立していた。
他のメンバーがコロッケやお土産、ソフトクリームを買う中、私は一人晩酌用のつまみを探していた。
すると店内の壁に、【雲入道】についての説明があったのだ。
【雲入道】は、この地域の伝承である。説明書きの写真を撮っておけばよかったのだが、私はその時バスの長距離移動ですっかり参ってしまっていたので、そのような気力は工面できなかった。故に此処から先の説明は私が覚えている範疇のものである、ということを先に断っておきたい。
さて【雲入道】である。
それは、気候の条件が揃っていれば、丁度このサービスエリアからも見ることが出来るらしい。
私は味噌味のビーフジャーキーだけ買ってから店内を出て、恐らくフォトスポットだと思われる場所へ向かった。フォトスポットは少しだけ盛り上がった場所にあり、一層の高台から山々を眺めることが出来た。
私はベンチに座って、説明書きにあった方向を眺めた。
そして、嗚呼アレだなと理解された。
膨れた入道雲に細い山が一本突き刺さり、その両端をまた別の山が挟んでいる。挟んでいる山は、あまり尖っていないのでまるで雲から二本、脚が降りているようだ。
これが【雲入道】である。
どうも今、入道雲が発生している辺りには、山や湿気や偏西風やらの影響で積乱雲が発生しやすいらしい。
そしてかつてこの地に住まった人々は、二本の脚を降ろす入道雲を見て思ったのだ、嗚呼恐ろしい。あれはまるで妖怪である、と。
肌を撫でて吹いてゆく涼しい風が在った。手を添えれば、きっとこの風も、この地域をずっと昔から吹いているのだろうと思うと、二つの記憶を過去の人々と共有できたような心地になって、すっきりと背筋も伸びる。
その辺りでサークルメンバーがどやどやと押し寄せてきた。
「何黄昏てんのお前」
「過去の記憶に触れておったのだ」
「そうか、それは結構なことだ」
適当なことを言っていると分かったので、ムッとして雲入道の説明をしてやる。
すると友人は気の無い返事をしてベンチに座る。そしてアっと声を上げた。指差した方向には三本目の脚を降ろす【雲入道】。
陰茎じゃ、魔羅じゃと騒ぐ頭はコレかと叩くと大人しくなったので、長く息を吐いてもたれ掛かる。
そうして暫く他のメンバーを待っていると、なんと【雲入道】からは四本目の脚も降りてきた。まだ短いものであったが、やはりどうにも四本目である。友人が怪訝な顔で見つめてきたので目を逸らす。
私は友人を連れてバスに戻った。
友人は【雲入道】のことなど即座にポカンと忘れて菓子を貪り食ていたが、私はどうも食欲が湧かなかったので、カーテンを閉じて目も暗闇に浸した。
私の見間違いで無ければ、四本目の奥に五本目が見えた。
ほんのでっぱりほどであったが、これからあの五本目は地に向かて降りてくるだろう。
かつての人々は、二本の脚を見て入道の妖怪であると考えた。
ならば五本の──線があったら、一体何者であると言うのだろう。
つまりは回りくどい言い方をするけれども、かつての人々が見た【雲入道】のイメージとは、途方もなく矮小であったのではなかろうか?
アレは脚なのだろうか?
指ではなかろうか?
天を衝く巨人が地に向かって手のひらを伸ばしているとは考えられないだろうか?
合宿は問題なく終了した。積乱雲があったので天気が荒れるのではないかとも考えたが、一切の問題はなく終了した。
その後天気図を見ると、【雲入道】は私たちがサービスエリアを去った八時間後に消滅したらしい。
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