化物の面/塗り潰れる伝承

 今から五十年ほど前に、日本ではオカルトブームが在ったと言う。今では信じられない話である。

 ネットの発展と手軽な利用、利用者の年齢の低下などと言った要因で、著しく神秘性を失ったインターネットの怪談たちは、今や否定されるために生まれてくると言っても過言ではない。

 しかし黎明期には、有名な話を挙げれば『八尺様』だとか『コトリバコ』だとか、そういったものに対して本気で面白がる姿勢も片鱗として存在し、そんな興味好奇心から発生した恐怖もまた、事実として終わらない波のように人々の心の隅で燻っていたのである。

 この話は、私が偶々ネットの海を巡航している時に偶々見つけて恐怖を覚え、そして以降何度調べても見つけられない怪談である。

 とある地方の百物語に関するものであった。

 ──その記事を読んだのはもう随分と昔(だいたい七年くらい前)であるため、齟齬があったとしてもご理解いただきたい。

 では語らせていただこう。

 

 主人公の一人称は『俺』であった。彼は大学三年生で、就活前の最後の夏休みということで一人旅に出ていた。

 相棒のバイクと共に海を見ながら道を駆け抜け、山を縫って、とある村に辿り着いた。田舎の寂れた、人口は百人いるかいないかの町である。

 こういった手合いの物語の主人公というのは、結構な具合でオカルトについて興味を持っていることも少なくない。この話もそうで、主人公の『俺』はとある伝承を追ってその村に行き着いた。

 その村で行われる百物語についての伝承である。

 聴くにその村での百物語は、祭りに際して行われ──参加者が全員獣の被り物をするのだ、と。


 彼は村でも数少ない民宿になんとか宿を取り、祭りが行われるタイミングを今か今かと待っていた。そうして四日ほどが立ち、彼の中では疑念が膨れて行った。『もしかしてそんなものは行われていなくって、俺は騙されたのではなかろうか?』

 しかしそう考えていた日の夜、丁度祭りが始まった。一年に一度の祭りではあるが、規模はあまり大きくなく、殆どの村民が参加するらしい。

 彼はうきうきしてその祭りに参加したが、なかなかどうして百物語が行われている様子は無い。彼は普通に祭りを楽しみ、満足感と同時に少しの寂寥感を得て、途中でその祭りを後にした。

 そして帰る途中、青の漏れる家を見つけた。


 窓から淡く、青い光が沁みだしているのである。彼はそれを見つけて困惑してから、嗚呼と得心した。百物語の会場は此処である、と。

【青行灯】

 百物語が終盤に近付くとき、もしくは百話集め終わったときに現れるとされる化生、もしくは現象を差す単語である。

 百物語の基本的なルールとしては、参加者を部屋に集めて、一人が語り終えるごとに百本の蠟燭を一本ずつ消す、というものがあるが、本来のものはもう少しややこしい。

 服装や作法への言及が幾つかあったりして、資料にも揺れが生じている。この辺りは実際にやってみることでしか分からないだろう。

 しかし百物語は、百話完遂させてしまうと様々な不可解な現象が起きるともされている。故に作法として九十九話で止めることが重要とされている。故にこの研究は一向に完成しないのだ。命の惜しいものには踏み込めない領域が此処に在る。

 さて百物語のルールの話に立ち帰る。このややこしいルールの中で、幾つかの資料間で共有されているものが在る。それが『部屋の行灯に青い紙を貼る』というものである。故に、参加者の詰め込まれた部屋はほの青く染まるのである。

 私が読んだ文章の主人公はこのことを知っていたようであり、会場は此処であると確信したのである。

 私はこの文章で初めてその作法を知ったので、記憶に残っていた。


 その場所は一般的な民家であって、特段おかしなところはない。ただ、田舎で土地が余っていることを差し引いても少しだけ他の家より広かったらしい。

 主人公はその少しだけ広い塀の上に場所を落ち着け、窓からその様子を覗き見たと言う。流石に犯罪であるから、少し様子を窺ったら止めるつもりだった……だとか記されていたが、勿論そんな訳がない。彼はその後、怪奇な目に遭うこととなる。

 夜目が利いて来た辺りでぐっと視線を伸ばしてみると、なるほど本当に部屋には様々な被り物をした人々が正座をして座っていた。犬、猫などと言った普通の物から、首から随分と伸びた場所に脳天の在る奇抜な物もあったらしい。ただし鉄則として皆素顔は完全に隠していた。

 どうも無難な色の浴衣から、鮮やかな女物、果てにはキャラクターの印刷された物まであったらしく、主人公は老若男女問わなかったと記している。

 異様な光景だった。少なくとも尋常な心地ではいられない。

 だが主人公は愚か者であるため──その興奮と緊張を楽しんでいたのだ。

 故に後退の文字は彼の頭の中には無かった。

 百物語は始まった。 


 無論何を話しているのかはわからなかったが、一人が部屋の中央に出て、それから少しすると襖を開けて部屋から出てゆく。どうも語り終えた後に消すための蝋燭は、他の部屋に用意されているらしかった。

 それを一人、二人……と続けて行く。被り物をした奇抜な集団が奇妙な催しに身を投じている。それは彼のオカルトマニア根性を刺激した。

 しかしどんな刺激にも何時しか慣れるものである。

 三十人ほど部屋から出て行って辺りから、彼自身は相当暇していた。

 殆ど静寂な夏の夜、涼しい風が吹くからか蚊はいないけれども、それでも月とにらめっこと洒落込むには、彼には詩人の心が足りなかった。

 だから彼は一度、塀の外へ降りて、ぐるっと一周してみることにした。もしかしたら、帰りがけの参加者に会えるかもしれないと考えたのだ。

 果たしてその目論見は成功し、彼は百物語の参加者の後ろ姿を捉えることに成功した。

 しかし奇妙な様子だった。

 彼女(浴衣と髪の長さから断じた)は、もう被り物はしていなかった。それだけならまだしも、全身全霊で走っていたのである。髪の毛振り乱し、姿勢もぐちゃぐちゃで、今からこけるような姿勢であった。まるで何かから逃げるようではないか。

 この辺りで主人公に悪寒が走る。

 しかし愚か者であるから、彼は探索を止められなかったのである。


 彼は恐らく逃げて行った彼女が出てきたであろう、家の裏口に回り込んだ。心臓は人生で一番速く鳴っていたが、そんなものは関係ない。目の前の知的好奇心を満たすためならば、人は何処までも馬鹿になれる。彼も例外ではなかった。

 そしてそこで彼が発見したのは、脱ぎ捨てられた大量の頭部だった。

 脱ぎ捨てられたと明確に理解した。

 そこに愛着は無かった。打ち捨てられ、叩きつけられ、土に汚れた可愛らしい頭部が幾つも転がるその様は、まるで合戦の跡地のようであった。やはり尋常ではないと悟るも、彼の足は止まらない。

 裏口の庭と先ほど彼が覗くために猿山の大将をしていた庭は繋がっているようであったので、彼はまた回り込もうとした。

 瞬間裏口から人が飛び出した。

 よくぞ、よくぞ叫ばなかったと自分を褒めて、彼は早鐘打つ心臓を押さえつける。飛び出してきたのは中学生くらいの少年だった。被っていた虎の被り物を地面に叩き付けて、やはり脱兎の如く去ってゆく。

 さてこの村で行われる百物語とは一体何物であったのだろうか?


 セオリーという物は大事だ。特に抵抗する手段の無い相手に対しては。

 子どもであれば大人だとか、逆に大人からすれば子どもがそうなのかもしれない。クレーマーへの対処には大抵マニュアルが敷かれているし、取扱説明書を読まずに物品を使用して壊れたと言われても反応に困る。

 これは心霊に関しても同じで、明確な曰くが在れば、その場所から離れるだとか、場合によってはお祓いをしてもらうだとか様々な対処法を挙げられるが、唐突なものだとそうはいかない。

 だからセオリーというものは有難いし、破ってはならないのである。

 しかし同時に、セオリーを破るという行為には大きな力が秘められている。

 大いなる存在を自分の元へ下したり、解放、獲得と言った意味合いを持つ場合もある。

 まあ、だいたいの場合そんなことをした奴は碌な目に合わないものであるが。


 だから例えば、体系化された百物語の形を無理やり変える必要なんて無いのである。

 ここで主人公は、この村での百物語に関して一つ思い付いてしまった仮説を述べる。

【もしかしてコイツらは百話完遂するつもりではないか?】

 打ち捨てられた首を見る。生気の宿らない虚ろな瞳が闇を湛えて転がっていた。

 主人公は考える。

【この被り物は、何者かに対して顔を隠すためのものではないのか?】

 果たしてこれらが例えば、人外の存在への供物の象形だとしたら、もっと丁重に扱って土など付けたりしないだろう。けれどもどうも、一編語り終えた村民は今すぐにでも此処から抜け出したいと言わんばかりに被り物を脱ぎ捨てて逃げてゆく。

 そしてぞっと背筋を襲うのは一つの事実。

 自分は今、素顔である。


 転げまわるように走り、風を切り肺を切り、彼は民宿に帰ってくる。

 そのあまりの慌てように、すわ熊でも出たかと民家のおかみさんは訊くが、どうもあの儀式的な催しを外様から鑑賞してしまったとは言えなかったので、なんとなくお化けを見たと言って誤魔化した。

 するとおかみさんは眉をしかめて、

「最近変な人たちが村に来てるから気を付けてね」

 と言った。

 そして後日談として、その村は後にとある自然主義の新興宗教団体の農地となったらしい。

 果たしてどこまでが眉唾であるとか考えだせばキリがないが、私が読んだのはそんな話である。

 もし情報をお持ちの方がいらっしゃれば、是非ご教授願いたい。





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