酒場で聴いた話/平行世界トンネル/名称不詳
酒場には様々な話が集まる。
飲める年齢になるまで人生経験を積んだ人々が、老若男女問わず各々の都合で訪れる。
私のような物書き志望にとって有難いのは、アルコールに緩んだ口の栓は、訊けば案外話をしてくれるということだった。酒場の会話から発想が広がることは少なくない。やはり人と関わると様々なストレス(良い物も悪い物も)が発生して、それが結構創作に繋がるのだ。
しかしもし、酒場で『怖い経験とかしませんでした?』と訊かれたら無視していい。
経験則から言えるが、そいつは碌でもない奴だからだ。つまり私か宗教勧誘である。
以下に記述するのは私が白梅の飲み屋で聴いたお話である。
そのサラリーマンは二人組で飲んでいた。相当な盛り上がりで声も大きい。結構なことだ、と半ば微笑ましい心地で一人酒を啜っていた私の耳に届いたのは、その二人組の会話の内容であった。
中々に騒がしい店内でもしっかりと聞こえた。
「よかったなお前」
言って刈り上げの男は酒を煽る。
しかし「良かったな」という言葉に反して、言われた方の声は浮かないものだった。
「だーから、別に大丈夫だったんだって」
「何言ってんだ」
刈り上げの男は少しムッとしたようだった。そして投げ捨てるように言う。
「二週間も行方不明だったくせに!」
聴いた話によれば刈り上げではない方(以下とりなんこつを好んで食べていたのでナンコツさんとする)は、ついこの間まで行方不明だったらしい。
しかし不思議であるのは、彼には行方不明であったとされる期間、確かに記憶があること、そしてその間、仕事もしていたしご飯も食べたし、なんなら刈り上げさんとも夕飯を食べに行ったということであった。
私は刈り上げさんの顔を見た。彼は首を振る。
「飯なんてマジで行ってないしめちゃくちゃ心配してた。仕事殆ど俺に来たし」
「それは……すまん。でも奢る気は無いぞ、だって俺も働いてたんだから」
「夢でも見たんだろ。てか一回行った飯屋に連続で行くかい。そんな男モテんわ」
言われたなんこつさんは不機嫌そうに膨れてから酒を流し込んだ。っかしーなちくしょうとぶつくさ零す。
私はなんこつさんが行方不明になった(とされる)直前に彼が何をしていたのかを訊いた。すると彼には府外に出る用事があって、社用車で出て行ったとのことだった。
そしてそのまま消えてしまったものだから、彼は社内で随分心配されたと言う。
「あーでも変な感じはあったな」
なんこつさんは手を打った。
「トンネル通ってたんだけど、出たら入り口だったんだよなあ……」
飲みが終わって帰る道中、首が曲がる。
京都府は基本山に囲まれているので府外に出るためにトンネルを利用するのはおかしいことではない。ただ引っかかるのは、『出たら入り口であった』ということだろう。
トンネルに関連する怪奇現象で、何処まで行っても出られないだとか、距離が延びたり縮んだりする、というのは割と定番のものであるが『出たら入り口であった』は、あまり聴いたことが無い。
私の中の思索は一旦ここで断ち切れた。私がこの件についてある仮説を立てたのは、数日経った後のことであった。
数日後、私は友人と飲んでいた。他愛のない話で時間を磨り潰していると、その中の一人が「おいお前、まだ怖い話とか集めてんのか」と野次を入れた。無論であると胸を張ると、ならばその成果物を俺たちにも分けろと詰め寄る。
丁度話題も切れた辺りだったので、彼らになんこつさんの話を一編披露してやった。タイトルは【永遠のトンネル】にした。
面白い話ではないぞと断りを入れておいたので、彼らの苦情は一切受け付けなかった。やいのやいのと酒を注がれたのでしょうがなく飲み干す。
そしてその水勢に雪がれて、なんこつさんの話が記憶から消えかけた時、友人の一人が口にした。
「もしかしてさあ、なんこつはもう一つの世界に行ったんじゃないか?」
「は?」
適当に聞き返すと、しかし真面目な面で続けた。
「トンネルを越えた先にはもう一つの世界があって、なんこつはそこでこの世界と変わらない暮らしを送ってたんだ」
サイエンスフィクションだ。と目を輝かせる彼に、私の酒に濁った心はなに故か苛立った。
「私の考えは違う」
考えるよりも先に口が吐いた。酒の悪い所である。
言われた友人は見下すように眼を細めた。きっと彼の眼には、私が頭ごなしに否定しているように見えたのだろう。
けれども私には確かに理屈があったのだ。
「仮にトンネルを抜けた先が平行世界だったとして、ならば何故彼は、彼自身と出会わなかったのだろう。ジョジョに依れば同じ人間が世界移動でかち合うと消滅するらしいが、彼は今も生きている。ならば彼は向こうの世界で殺人を犯したことになる」
なんこつさんはそのような人間には見えなかった。
彼は職場の同僚に二週間の不在で迷惑をかけても、酒の場で笑って許してもらえるような人格者であったし、私自身少し話して、嗚呼この人は結構なお人よしであるな、と確かに感じた。
彼が自分を殺してなお、旨そうになんこつを齧れる人間だとは思えない。
「だから私が思うに、これはサイエンスフィクションではなくってやっぱり怪談なのだ。
彼はトンネルの怪異に魅入られたんだ。元々洞穴とかそういう場所は穢れが集まりやすいからな、変なのに見つかったんだろう。
そして一つ気になるのは、刈り上げさんの言葉だ。 一回行った飯屋に連続で行くか、そんな男モテん。まあ此処の酒場にめちゃくちゃ入り浸っている我々にこの意見に対して何か言える者はいないと思うが重要なのはそこではない。なんこつさんは一度刈り上げさんと共に行った店にまた行ったのだ。
彼は夢を見ていたのだと思うよ、この数日を繰り返す夢を。
だから私が思うに、永遠のトンネルの正体は、トンネル自体が永遠なのではなく、トンネルの先で永遠を繰り返すということなんじゃないか」
果たしてこんなに流ちょうに語れていたか自信は無いが、内容としてはこんなものだった。
サイエンスフィクション信者は面白そうに首肯した。正直面白ければ事の真相は何でもよかったのだろう。
実際の所、私の仮説が正解であるとは限らない。なんこつさんの思い違いなのかもしれないし、もしかしたら誰にも言えない秘密のことをしていたのかもしれない。
友人の説が事実である可能性だってある。
けれども私は、それだけは肯定したくなかった。
怖いではないか。
我々のいるこの世界が、トンネルの向こうの世界でないとは限らない。ある日突然現れたもう一人の自分との殺人劇に巻き込まれて、自分の身体に殺意を突き刺すなど、考えたくもない。
しかも恐ろしいのは、なんこつさんが仮にもう一つの世界にいたとして、その世界は彼が違和感を持たないくらいにこの世界と変わりないということだ。
同じ風景、同じ道、同じ家。馴染みの店も変わりない。
ならばもう一人の自分Bは、自分の生活(B)を遂行するために、明確に自分Aの元に寄ってくるだろう。曲がり角の向こうの怪物は、思っているよりもずっと悪意無く我々を殺し得る。
ふと日常を思い返してみれば、どうも妙な思い違いやミスが在る気がする。
窓を開けたままにしたのは誰だ? 蛇口を閉め切らなかったのは? 鍵を掛けたドアが開いていたことがあったとして、それは果たして自分の過失なのだろうか?
いいや、当然ながら自分の過失である。
ただし自分ではない自分だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます