前置き/京都嵐山/千光寺・千鳥ヶ淵
古都・京都には所謂曰くつきと称される場所が幾つか存在する。
前話で紹介した京都の北、貴船神社では今でも丑の刻参りが行われると言うし、嵐山の何処かには自殺の名所である『千鳥ヶ淵』なる沼も在るらしい。
千鳥ヶ淵に関して、私は実際に目にしたことは無い。
しかし少し話は離れるが、同じく嵐山の奥にひっそりと建つ千光寺には何度か訪れたことがある。
京都北野白梅町イズミヤ前から嵐山電鉄に乗り込み、帷子ノ辻(実はこの地にも自らの美しさで寺を狂わせたがために命を絶った尼僧の伝承が在る)で一度乗り換え辿り着くは嵐山。
人ごみをかき分けて渡月橋を超え、さて右か左かと刹那悩む。左へ行けば飲食店やレジャー施設が並ぶが、しかし今回は右だ。土産屋を超えたらまたT字路が在るので、更に右に曲がる。
カップルが乗り込むボート乗り場を更に無視して超え、嵐山モンキーパークの看板も無視して超え──などと娯楽から離れた中々に寂しい生き方をしていると、桂川を沿う道を歩くことができる。
桂川は清流であり、晴れの続いた後に訪れれば、その青さたるや目を疑うほどである。翡翠を融かしているかのような流れを、しかし更にずんずん進む。途中傾斜が何度かあるが、それでもめげずにずんずん進むと、幾つか怪しげな英語の看板があって、更にそれにも不信感を抱かずにずんずん進めば千光寺である。
千光寺は高台に在るので、見晴らしは京都タワーのゴミゴミした光景よりもずっと素晴らしい。置いてある双眼鏡を通せば、嵐山の狭間から京都の町を眺めることも可能なはずだ。鐘を撞くことも出来る。道中時偶響いてくる梵という風流な音は此処に起因する。
元より紅葉の素晴らしい嵐山であるが、あの妙に険しい道を超えた先で見る紅は、一層心を沸き立たせるだろう。
して、なに故こんな話をしているのか、という所に立ち帰る。
千光寺には自由に書き込めるノートが置いてある。言語は日本語に限らず、様々な言葉、方言、筆跡で彩られたそのノートは、白紙に黒のペンで書きこまれているというのに、まるで写真のように鮮やかに其処で冴えている。
そのノートに千鳥ヶ淵を探しているという記述が在ったのだ。
彼(?)が今どうしているのかは、私には分かりかねる。
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