第3話 五月の朝はおんなじや。




 五月。それは新しいクラスにも慣れ始め、ようやくいつも通りの学校生活が送れるようになる時期。

 

 先月のクラス替えの時はあれ程までに騒いでいた連中も、今となってはただ過ぎていく日々を淡々とこなしているだけの様にも見える。

 退屈な授業に飽き飽きしつつも、何の為にか毎日の様に学校ここへ来ている。

 それはぼっちの僕も例外ではない。

 


「あぁ、今日も退屈な一日が始まる……」


 僕はそう呟きながら、特等席である窓際の一番後ろの席で頬杖をつき、窓の外を見ていた。

 すると――


「あいたっ……!」


「おっはよーさん! おろ? 今日は何か一段と元気ないんとちゃう? どしたん? ウチでよかったら話聞くで?」


 ――またしても難波さんが後ろから僕の肩を叩き、大きな声で話しかけて来た。

 僕は窓の外を見ていて聞こえなかったというテイで、この場をやり過ごそうとした。

 

「あれー? 無視かいなー? 肩叩いて『あいたっ!』って言うたんやから聞こえてないわけないよなぁ? ほら、ウチがおはよう言うたんやから、君も返してくれんと! 挨拶は大事やで?」


 

 ぐっ……。ギャルなのに、こういう所は真面目なんだよな。難波さん。

 それに鋭い。

 ここで挨拶を返さないとずっとここに居そうだし、返しておくか……。


 

「お、おはよう、難波さん」


「んっ! おはよー!」


 僕が渋々挨拶を返すと、彼女はニコッと笑って再度挨拶をした。

 

 その笑顔のせいか、朝の教室に差し込む日の光のせいか、今日もポニーテールにしているオレンジがかった髪がいつもより綺麗に輝いて見えた。

 でもそんな事を本人に言えるはずもなく、僕は普段通りに接する事に努める。


「あ、あのさぁ。この前も言ったけど、一々僕の肩を叩くの辞めてくれないかな? 痛いんだからね?」


「なんやぁ? それで一回目のウチの挨拶無視したんかー? ほんまあっきーは大袈裟やなぁー。弱っちい男の子はモテへんでー?」


「そうじゃないけど……。ていうか、別にいいし、モテなくたって。僕は一人でいる方が気楽だから」


 僕はそう言うと、もう一度窓の外へ目をやった。

 

「えーそうなんー? つまらんなぁー。つまらん人生やで。ほんま。あーあ、あっきーは老後を寂しく一人で過ごすんやろうなぁ。あぁ、可哀想に……。南無阿弥陀仏……」


 そう言うと彼女はいつもの調子で僕をからかいながら、両手を合わせて念仏を唱え始めた。

 すると僕がそれにすら無反応で、外を見続けている事に気が付いた彼女は、僕と目線を合わせるように屈み外を見始めた。


 

「なぁ、さっきから窓の外ばっか見とるけど、外に何かあんの? ウチにはなーんにも見えへんけど?」


「別にいいだろ? 僕が何を見てたって」


 僕はそんな彼女に構わず、窓の外を見続けた。

 

「ふーーん。まぁ別にいいんやけどさぁ。……あっ。……ははーん? わかってもうたわ、君が見てるもんが……」


 僕は彼女が如何にもからかって来そうな雰囲気なのが気になり、目線を窓の外から彼女へと移した。

 すると彼女はにやけ顔で僕の顔をじーっと見ていた。


「な、何……?」


「もしかしてあっきー、朝練しとる陸上部の女の子見てたんとちゃうん? な? せやろ?」


「は、はぁ!? そ、そんなわけないだろ!?」


 僕は彼女の言う事を真っ向から否定した。

 でも彼女はそのにやけ顔を一向に辞めてくれない。


「女の子が走ってたら揺れるもんなぁー! おっぱいが! アハハハー!」


「し、知らないよそんなの! 僕は外の風景を見てただけだっ!」


「へぇー? ほんまにー? でも外見てたら、グラウンドも目に入るよなぁ?」


「そ、そらぁ? 少しはね?」


「そん時に走っとる女の子、見てないん?」


「た、たまに見ちゃう時だってあるよ? で、でもたまたま目に入っただけで、別に見ようとして見てた訳じゃないから!」


 僕はとても苦し紛れな言い訳をした。

 しかし、当然彼女にそんなものは通用しなかった。

 

「アッハハハハ! 君、何焦ってるん? そんな言い方したら、走っとる女の子のおっぱいガン見してましたーって言うてんのとおんなじやで? アハハハハ! あかん、おもろすぎて涙出てきた……」


「ち、ちが……!」


 彼女に追い詰められた僕は最終的に恥ずかしい自白までさせられた。

 僕の言い訳も虚しく、彼女は涙を流しながら大笑いしている。

 僕は悔しくて、恥ずかしくて、金輪際窓の外を見る事をやめると決意した。


 

 しかし、そうすると今まで何となく外へやっていた目線の行き場が無くなる。

 特段見たい物も無く、迷走していた僕の目線は、何故か彼女の顔に落ち着く。


 すると彼女は涙を拭き、僕が見つめている事に気が付くと真面目な顔付きになった。


「ん? どしたん? ウチの顔、じーっと見て?」


「別に! 外見てたら難波さんにからかわれるし、それに話してる相手の顔を見るのは普通の事だろ?」


「まぁせやけど、あっきーに見つめられると、何や照れてまうなぁ」


 そう言うと彼女は赤く染った頬を両手で押さえ、じっと僕を見つめ返して来た。


「な、何言って……!?」


 僕は急に恥ずかしくなって彼女から目を逸らした。


「何ぃー? もしかしてあっきーも照れてんのー? かわえぇなぁー!」


 そう言いながらニタニタと笑う彼女は、僕の頭をガシガシと撫でくりまわしてきた。

 

「べ、別にそんなんじゃないし! ていうかさっき難波さんも照れるとか言ってたじゃん!」


「え? ウチはほんまにそう思ったから言うただけやで? あっきーに見つめられると恥ずかしいし、照れるよ?」


 そう言った彼女は僕の頭から手を離し、少し恥ずかしそうにしながら、ふふっと笑った。

 そんな彼女はどこか上の空にも見えたが、僕は構わず追撃する。


「じゃあ同じじゃん! 僕だけからかわれるのはおかしいよ!」


「そうやなぁ。お互いが見つめ合ったら照れてまうって、ウチとあっきーはおんなじかもしれへんなぁ。……ウチとあっきーはおんなじ……。ふふふ」


 彼女は僕の顔を見つめながら『おんなじ』という言葉を何度も嬉しそうに言った。

 その言葉や表情の真意はわからなかったけれど、いつもの様子とは違う今なら聞けるかもしれないと、僕は前々から気になっていたあの件について聞いてみる事にした。



「あ、あのさぁ。難波さんは何でいつも僕に――」


 

 キーーンコーーンカーーンコーーン



 僕がそう言いかけると無情にも始業を告げるチャイムが鳴り響いた。

 

 すると彼女も我に返ったのか、いつも通りの様子で『あ、チャイムや!』と言った。

 

 その後、彼女は僕の顔を見て『ん? さっき何か言うた?』と聞いてきたが、僕は「何でもないよ!」と誤魔化した。


 すると彼女は僕に手を振り『そか! ほな、またねー!』と言い、彼女は自分の席へと戻って行った。



「はぁ……。もう少しで聞けそうだったのに……。難波さんは何でいつも僕に絡んでくるのかって」


 無情に鳴り響いたチャイムを恨めしく思いながら、僕はその件について再考した。

 

 しかし、この大きな謎を解明するにはあまりにも手掛かりがなさすぎる。

 

 もう少し難波さんと一緒にいればわかるのかな?

 そんな事を考えながら、僕はまた凝りもせず窓の外を眺めていた。

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