第19話 巻物

 婆たちが古霊から聞き出した情報はすぐに村長に伝えられ、直ちに村人が集められた。そして村長の大屋敷じゅうをひっくり返して、巻物を探し出す捜索が実行された。

 村が千年に渡って苦しめられてきた呪いから解放されるかもしれない可能性を秘めた話である。村人たちは血眼になって巻物を探した。


 長内もそのなかに交じって巻物を捜索した。総勢五十人ほどが集まって、広大な屋敷の庭や押し入れや箪笥の引き出しひとつひとつまで隈なく調べたが、そんな巻物は出てこなかった。

 こうしているあいだにも、塔子の体は本当に限界を迎えてしまうかもしれない。いまや骨と皮だけのようになっているはずだ。長内は焦っていた。


 屋敷じゅうを探すというのは、簡単な作業ではなかった。さらに応援が呼ばれ、村の全ての人間が集まって村長の屋敷を捜索した。畳が上げられ、床板が剥がれ、床下の基礎の部分まで探索し、体の小さい幼児らを天井裏に上らせて屋根裏の全ての箇所を調べもした。布団部屋の布団を一枚一枚めくって確認し、食器棚のなかの食器すらも全部取り出して見た。

 それでも古霊の言った巻物は見つからない。誰もが絶望を感じていた。

 長内は募る焦燥感を必死で抑えて、冷静になろうとした。目を閉じ、深呼吸をして推理を巡らす。

 誰にも見つけられないようなところに、大切なものを隠すとしたら、どこだろうか。……やはり大切なものの集まるところに、ちょっと想像もつかないような方法で隠すのではないだろうか。

 しばらく心を無にして、思考が巡りゆくのを見送った。村長の大屋敷……。この家に蔵などはない。大切なものは全て、村長の居室に集められてある。鴨居留置の書いた古文書など古来の価値ある物品は全てそこにあるはずだ。


 ふと、長内の脳裏にある考えが閃いた。

 鴨居留置。

 この謎めいた名前が、重大なヒントになっているのではないか。一説によるとこの著者は、村長の住む大屋敷の奥の部屋で、鴨居に紐をかけ首を吊って亡くなっているところを発見されたという。元々は数々の古文書の作者は不詳であったのだが、その事件から鴨居留置という名を著者名に据えたそうだ。江戸時代に書かれた記録が村長の所有する書物のなかにあると、長内は村人に聞かされたことがあった。


「鴨居を調べてみて下さい」

 長内は村長に進言した。

「おそらく、村長のお部屋の鴨居に何かあるのではないかと思います」

 本屋敷のもっとも重要な場所、村長の居室。やはりそこしか考えられないのではないか。承知した村長の指示で、村長の居室の鴨居が隅々まで調べられた。

 村で腕利きと評判の指物師が呼ばれ、鴨居に何か細工がされていないか探られた。指物師は鴨居を端から端まで注意深く手で触り、ついに一箇所一度切り取られて再び閉じられたところがあるのを見つけ出した。

「あった! ありました!」

 指物師は喜びの声を上げて、鴨居のなかから巻物を取り出した。

「巧妙にならしてありましたよ。大昔の一流の職人の仕業だな。これじゃ誰も気づくわけがない」

 感心しましたよ、と言いながら指物師が村長に手渡した巻物は、手のひらにちょうど収まる程度の小さなものだった。


 その巻物は早速、産婆たちのところへ持ち込まれた。

 だが巻物を開いてみて、産婆たちは難渋した。

「はて、この文字はいかなるものか……」

「見たことのない字面じゃのう」

 古文書を読むことに長けているはずの婆たちも、そこに書かれてある意味を読み取ることはできなかった。それは全て婆たちにも理解できない異言いごんで書かれていて、表記にも法則性がなく、しかもひとつとして同じ文字が使われていないのだった。

「これでは話にならん」

 村長は困り果てていた。

 婆たちは、その巻物を古霊のいる座敷牢の場に持ち込んだ。

「ホレ、お前の言うた鴨居留置の書物じゃ」

「この巻物がそれじゃろう?」

 婆たちは代わる代わる古霊に迫った。

 いまやまさに骨と皮だけのような姿になって座敷牢の奥に横たわっていた古霊は、首だけをもたげて婆たちの掲げた巻物を見た。

「そう、それじゃ」

 言うと、その目は塔子に取り憑いて以来のものだった白目の形相を変え、砂嵐のように細かい点の乱舞するおぞましい動きを見せ始めた。

「読めないのじゃろう?」

 重力に逆らって起き上がる力もなくなった塔子の体を使って肘をつき、ズルズルとこちらに這い寄ってきてから古霊は言った。

「ほれ、こっちに。見せてみい」

 格子の隙間から伸ばされた枯れ枝のような指に、オビル婆の震える手で巻物が渡された。


 ……村人の誰ひとり、霊力のある家に生まれ厳しい修行を経て村を防御する呪術を操る産婆たちでさえ解読することのできなかった巻物の文字を、邪気子の古霊〝ナナカマドさん〟はスラスラと読み上げた。

 その言葉を聞くにつれ、産婆たちの顔色は変わった。コドリ婆が慌てて筆記具を取り出し、その内容を記録し始めた。

 その内容とは、村にとってひと筋の光明をもたらすものだったのだ。巻物には、蛇神によって村にかけられた呪いを解くための儀式のやり方が記されていた。

「村を呪いから救う日が、いよいよ現実的なものとなった」

 村長は興奮気味にこうつぶやいた。

「邪気子の言っておることじゃ。まだ油断はならんが」

 ヤナカ婆が用心深げに言った。婆はいまだ古霊の邪悪さを牽制しているようだった。

「……うむ……。だが、背に腹は代えられん。我々にはほかに方法もないゆえ」

 ハシン婆が、強い決意を秘めた表情で言った。

「だが何かあれば、村存亡の危機。この村が全滅するようなこととなれば、しまいじゃぞ。我らはもちろん、先祖代々をさかのぼって、村の始祖の魂まで全部地獄にさらわれてしまうのじゃからな」

 少なくとも対策を講じておかねばならぬ、とオビル婆は締めくくった。


 生後二月にも満たぬである蛾十郎は、ちぐらのなかで小さな手をうごめかせている。塔子の死んだ体から生まれてきたにも関わらず、村の女たちからもらい乳をし、産婆たちの加護をさんざん受けたせいかムグムグとした健康児に育ちつつあった。

 長内はその可愛さに目を細めながら、小さな指を握っていた。自分の子供とはこんなに愛しいものか。それを噛み締めながら、だが同時に愛する妻のことを想った。

 塔子が古霊という厄介な憑き物に憑かれて久しい。しかもそのあいだ、食べ物はおろか水までも与えられない状態でここまでもっている。それは塔子の体を乗っ取った古霊の霊力の仕業なのであるが、仮にもし古霊が塔子の体から追い払われたとしたら、そのあとはどうなるのだろうか。肉体の組織は栄養を絶たれているわけだから、その瞬間に妻の体はもとの亡骸に戻ってしまうのではないかと長内は憂慮した。

 古来の村のしきたりによれば、亡骸を埋葬すれば四~七日あとの雨の降る日、再び土のなかから甦る。だがいまの塔子の状態はイレギュラーだ。古霊に取り憑かれたあとの肉体は、同じように再生できるのだろうか。

 それは誰にも答えられない質問だった。産婆たちでさえ答えに窮しただろう。現在村に生きる人々の経験のなかで、そして人々の知る限りの伝承においても、そのような出来事が起きたことはなかった。

 しかもいまは、産婆たちは古霊の扱いに手を焼いている状態だ。あの陰湿で執拗な邪気子〝ナナカマドさん〟を塔子の体から出ていかせる手段は誰も知らない。

 長内は、妻を失いたくなかった。だが事実、何をすればいいのか、そもそも何かできることがあるのかもわからない状態だった。

「お前の母さんを、取り戻そうな」

 力を貸してくれ、とつぶやきながら、長内は蛾十郎の手を握った。

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