第17話 神社

 「本気ですか!? あの神社は、打ち捨てられていてもう誰も参る人はいないんですよ」

 コエシロウが怯えた声で言った。

「うん。そうだとしても、一度行ってみたい」

 長内は引き下がらなかった。

「断る。俺は行きません」

 コエシロウは断固とした声で言った。

「途中まで案内してくれるだけでもいいんだ」

 それでも長内は食い下がる。

「勘弁して下さいよ……。あそこは蛇神を祀っていたんですよ、ずいぶん古い昔に。で、蛇神の娘と村の男があんなことになっちゃって……」

 蛇神の怒りを買い、村ごと呪われてからというもの、蛇神神社には誰も参拝することはなくなったそうだ。最初のころは、呪いを解いてもらおうと村人たちは熱心に参拝に訪れたものだったそうだが、何世代に渡って謝罪のための祭りを行ったり御神酒を捧げたりしても、村人にかけられた呪いは解かれることはなかった。

 それほどに蛇神の怒りはすさまじく、実際に長内が見たとおり、現在の村にまで及んでいる。

「蛇は執念深いと言うでしょう」

 コエシロウは言った。

「蛇の神様なんだから、どれだけのものか想像もつくでしょう」

「わかった。じゃあお前は行かなくていい」

 ついに長内も折れた。

「私はこの村の人間じゃない。だから呪いをおそれる必要はないだろう。お前がそんなに怖いのなら、せめて行き方を教えてくれ。

 コエシロウのような村人が神社に入ろうものなら、瞬時にノックアウトなのだろう。それほどまでに忌み嫌う理由を長内は明瞭に理解した。

 蛇神の呪力は強い。それはこの村に入ってから経験したさまざまなことがはっきりと物語っていた。


 コエシロウは神社への入口付近まで同行してくれた。それは塔子の実家とは反対側の村のはずれで、ぱっと見にはこの先に道があるとは思えない藪に覆われた場所だった。

「これ以上は、俺は絶対に近づけない」

 すでにあとずさりしながらコエシロウは言った。そして怯えに満ちた目を長内に向けると、

「本当に行くんですか? やめとくならいまですよ」

 と言った。

「いい。俺なら大丈夫だ。蛇神様もいきなり部外者が来て不意を突かれるんじゃないか?」

 長内は微笑みながら言った。コエシロウは一瞬ふっ、と笑ったが、踵を返すと来た道を全速力で走り去っていった。

 あとに残された長内の周囲は、シーンと静まり返っていた。本当にこの付近には村人は決して近づかないようだ。思い出してみれば、彼らのあいだで蛇神の神社が話題に上るということもなかった。村では禁忌に近い事柄なのだろう。長内は思った。


 時折山鳩が頭のすぐ上をかすめて飛んでいったが、それ以外に道中の連れはなかった。長内はだんだん勾配がきつくなっていく山道をどんどん上っていった。山道と言っても舗装されているわけでもなく、人に踏み固められていないので草に覆われた全くの獣道だった。

 だいぶ高く上ってきたなと思った辺りで、前方に鳥居らしきものが見えた。近づいてみると、そうとう昔に造られたものというのは一目瞭然で、塗装もなく原木を用いたもののようであったがそれもかなり風雨に削られていた。

「すごいな、こりゃ何百年前のものかわからないぞ」

 つぶやきながら、ひととおり神への敬意を示して一礼し、鳥居の端を通ってくぐり抜けた。その先も相変わらず野の草に浸食された獣道が続いていたが、少し進むと狛犬らしき対の石像が見えた。


「うわ……」

 思わず声が出てしまったのは、その狛犬の異様さのせいだった。

 狛犬というのは必ずしも獅子の姿をしているわけではなく、神社によっては兎や猪が狛犬となっているところもある。ところがこの神社の狛犬は、異常にリアルな質感を持つ〝蛇〟だった。蛇神を祀っているわけだからもちろんそれは当然だと思えるのだが、いま目の前にあるその狛犬は、石像として静止し、永遠の時を刻んでいるかのような落ち着きのある狛犬とは違った。石台の上にとぐろを巻いて鎌首をもたげ、いまにも声を発するか飛びかかってきそうな、真っ黒な色をした非常に精巧にできた像だったのだ。

 〝蛇〟の狛犬は二体あり、左右から参拝者を睨みつけていた。狛犬が一般に片方が口を大きく開け、もう片方が口を結ぶ〝阿吽の呼吸〟を形成しているのに対し、この狛犬はどちらも口を大きく開けて、いまにも飛びかかってきそうな姿勢を取っていた。

 コエシロウを始めとする村の人々は、この狛犬を見たことがあるのだろうか。おそらく現在村に住む人々はこの神社に足を向けようと意図することもないであろうから、まず見たことはないと思われる。彼らがこの蛇の形相を見たら、それだけで頓死してしまうかもしれないな……。神妙な気持ちで長内はそう思った。


 狛犬のいる先には、かつては立派であったろう社殿がそびえていた。建物の内部は天井絵で飾られ、数々の供物を捧げるための供物台も残されている。いつの時代に打ち捨てられたものだろうか、かつてはそうとう手厚く祀られていたことがうかがわれた。

 村人たちは必死の思いでこの神社を祀っていたに違いない。何とか蛇神の怒りを鎮め、村全体が取り込まれてしまったおそろしい呪いから解き放たれようと願ったのだろう。長内は古い時代の村人たちに思いを馳せた。

 長内は社殿に向かって二礼二拍一礼の参拝をし、賽銭を入れた(朽ちたような賽銭箱がそのまま置かれていた)。そしてそのまま社殿の周りをひと回りした。

 先ほど視覚的に一瞬恐怖を覚えたあの蛇型の狛犬以外には、神社にはこれといった脅威を感じさせるものはなかった。長内はいつか村長から聞いた話を思い出していた。

 太古の昔、村人たちを一斉に襲った幾千もの呪いの〝〟を帯びた小蛇は、この神社から出撃したのだろうか。その様を想像しながら辺りを見回すと、ちょっと肌が粟立つのを感じた。小蛇たちによって拡散された蛇神の呪いの〝気〟は全村人の体に入り、子々孫々にまで祟りを及ぼしている。実際この目で見てきたものを、長内はまざまざと思い出した。一番始めに卒倒した灰色のセーターの男、次に急死した、長内が村から出るのを阻止した筋骨隆々の男。自分の手で土に埋めたはずの灰色のセーターの男が雨の日泥だらけの体で目の前に現れたこと。そして出産直前に死を迎えた塔子のこと。あのときの妻の姿が目に焼きついていた。ほかの村人と同様、全身青ぶくれになって紫色の血管が広がり、恐怖と苦悶の表情が貼りついて離れなくなったかのような凄まじい死に顔が。


 長内はしばらくのあいだそこに佇んでいたが、辺りを包む閑散とした雰囲気には一ミリの変化も起こらなかった。藪のなかを姿を見せぬ小動物が移動し、名も知らぬ鳥が素早く頭上を飛び抜けていった。一見したところ、村人たちが怯えねばならないほどの凄惨さは、この神社からはイメージできなかった。

 そうしているうち、西の空のほうに日が傾いてきた。村よりもさらに高い土地に位置するこの神社からは、遠くの山並みまでもがよく見渡せた。

「蛇神様よ、もうそろそろ許してやったら?」

 思わず口のなかでそう呟いた。そのときだった。

 背後の藪のなかから、ひと筋細長い何かが這い出てきた。シュルシュルシュル……という草をこする音と素早い動きの気配で、長内にはそれが何だかすぐにわかった。

「えっ……」

 蛇は真っ黒な色をして、とぐろを巻き長内のほうへ向かって鎌首をもたげていた。小さな口のなかは禍々しいほど真っ赤で、その真ん中から先端が二つに分かれた細長い舌がチロ、チロと出入りするのが見えた。


 蛇は臨戦態勢で、長内の足下まで近づいてきた。咄嗟に飛びのき、あとずさりする。そのあいだにも蛇は口を大きく開け、喉の奥からシャーッと威嚇音を出した。

 長内は無意識のうちに、蛇の目を見つめていた。その二つの小さな目は全くの無表情であったが、情け容赦のない冷酷さとともに、長内にある重要な情報を伝えていた。


 古来より続く村への呪いは絶対であること。村人たちは、いかにしてもこの呪いから逃れることはできないこと。

 そして、部外者としてこの村に入り込んだ者は、蛇神にその命運を握られるということ。

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