第15話 古霊

 二十歳の誕生日を迎えるちょうどその日、塔子は元気な男の子を産んだ。体重三千五百二十六グラムの立派な赤ん坊だった。

 ところが母親のほうは、亡くなってしまった。二十歳になった塔子が亡くなることは誰もが承知していたことではあり、通常であればいったん埋葬された塔子は数日ののちに生き返ってくるはずだった。

 だが、ひとつだけ普通でないところがあった。

 塔子が死んだ時刻である。

 男の子が生まれたのは午前五時だった。だが塔子が息を引き取ったのは、それよりも五分早い午前四時五十五分ごろだったのだ。初産ゆえに気持ちが不安定だった塔子の出産は、予定よりもかなり長く時間がかかってしまった。実に二十時間に渡る難産だった。


 赤ん坊の産声を聞き、女が扉を開けて出てきたとき、男の子が生まれたと知らされた直後に長内は塔子の死を告げられた。

 扉の向こうから、産婆たちの不安そうな声が聞こえてきた。

「間に合わんかったがな」

「大丈夫か、塔子は」

 産婆たちの囁く向こうで、男の子は元気な産声を上げている。


 その場合どうなるのだ? 〝死んで〟出産した塔子は? 

 もう「見んでいいじゃろう」とは、産婆たちは言わなかった。長内が村人の死に際に何度か行き合ったことを知っているのだ。

 長内は無我夢中で扉を開け放ち、部屋に踏み込んだ。


 塔子はほかの村人と同じように、青ぶくれの凄まじい形相で死に果てていた。顔は、お産の苦痛がそのまま硬直したかのような表情に固まっていた。体はといえば、赤ん坊が入っていた大きな腹が目立たなくなるほどパンパンに膨れ上がり、手足の末端は水風船のようだった。それはもう、以前の美しい姿を想像できないほどの変わりようだった。


 産褥の衣装をまとったまま、塔子は村の裏山にある墓地に埋められた。

 墓地といっても墓石も何もない、ただの野っ原だ。ただ、一部だけ草の生えていない、しかも真新しい茶色の土がむき出しになっている箇所がある。長内にも馴染みのある光景だった。

「何回も使うもんやけら、土がやおうなっとるでな」

 産婆のひとりが言った。

 ここが、死んだ村人を埋める専用地となっているのだ。一時的にではあるにせよ。ほんの数日、二十歳になった塔子はこの土のなかで眠る。そして四~七日を経て次に雨が降った晩、自ら土をけて出てくるのだ。

 埋葬するあいだ、長内は産婆たちの表情が気になっていた。皆やけに心配そうな、気づかわしげな顔をしている。

 言うに言われぬ不安に駆られた長内は、オビル婆に聞いた。

「無事に還ってきますよね? はなしに」

 婆はいぶかしそうな目をして小さく首を振った。

「さあ。それは、成ってみらんとわからん。こういったことは滅多にないからな」

 長内は虚ろな視線を塔子が埋められた土の上に投げた。


 男の子は、「蛾十郎がじゅうろう」と名づけられた。

 何でも、悪い精霊に魅入られないようにするため、幼少時はわざと汚らしい名前をつけるのだそうだ。

「次に生まれ代わったときに、綺麗な名前をつけ直せばいい」と産婆のひとり、ヤナカ婆が言う。

 十歳で一度死ぬであろう我が子は、土から這い上がってきたときに名前を変えることになる。長内はふとコエシロウのことを思い出した。あの少年は十四になるというのに幼名のままだが。

「あの子供はオビル婆の家系やけら、特別なんじゃ。あの家の子は、するまで名前を変えることは許されん」

 質問すると、ヤナカ婆はそう答えた。オビル婆の血筋は特に霊力が強く、精霊を引き寄せやすいため、幼名の加護を通常よりも長く受ける必要があるのだという。

 長内はひとつ、気になっていたことを尋ねた。 

「生まれ代わって土から出てきたときは、以前の記憶はあるのですか?」

 塔子の実家の庭先に迷い込んできた男の様子を思い出していた。あの男は明らかに呆然自失で、記憶喪失のような状態になっていた。塔子もあのようになるのだろうか。

 産婆は低い声で答えた。

「――ある者もおれば、ない者もおる。時間が経って、だんだん思い出してくる者もおれば、そのままの者もある。魂の入り方次第じゃ」

 村人が死ぬときには、魂は肉体から少し浮かび上がった状態にある。死んだときに魂と肉体の関係が正常で、綺麗に重なり合っていた場合、四~七日経ったのちの雨の日にスムーズに肉体に戻ることができる、とヤナカ婆は言った。

「まあ、たいがいの場合は、ちゃんと戻ってくる。だが」

 警告するような鋭い声で、婆は続けた。

「魂と肉体が大きくしまう場合がある。そのときは、近くをさまよっている魂に〝横入り〟されることがある。その場合、稀にではあるが古い時代の霊、〝古霊これい〟が取り憑くことがある」

 これは厄介で、おそろしいケースであるという。〝古霊〟は大昔に生きた人であるから、無論現代のことはわからない。それだけに現代の常識は通用しない。刃物で人を切りつけることに何ら抵抗のない時代の霊であるならばなおさら厄介である。

「古霊に〝横入り〟された村人は、監禁する決まりになっている」

 ヤナカ婆は緊張した面持ちで言った。

「今回の、塔子の場合は危ない。あれは子を持ちたい一心で死んでからも体を離れることを拒んでおったから、臨終のときに魂と体がしもうたんじゃ。魂と体が大きくと、古霊に入り込まれることが多い」

 産婆たちの不安げな表情の原因はそこにあった。五人の婆たちは低い声でボソボソと話し合っていた。「準備しとかんといけんの」という言葉が、長内の耳にも入ってきた。


 産婆たちがおそれていたとおり、生き返った塔子には〝古霊〟が取り憑いていた。四~七日経ったのちに雨が降った夜、自ら土を押し除けて地上に出てこようとした塔子は、待ち受けていた村人たちに捕縛された。

 村人たちに交じってその様を見ていた長内は、土のなかから塔子の細い腕がザッと出てくるのを見た。腕っぷしの強い村の若者が、すぐさまその腕をつかんだ。そして両手でしっかりと握り、雨に濡れた土のなかから塔子の体を引っ張り出した。


 塔子の体は出産のときの産褥着に包まれ、その白い衣装は泥にまみれていた。姿形は塔子のままだったが、目は完全に白目を剥き、まだ完全に生き返ったわけではない体はぎこちなく奇妙な恰好に手足をばたつかせている。それは塔子の魂を押しのけ、代わりに入り込んだ古霊の魂が新しい体と一体化できていない証拠だった。


 古霊は突然触れた現世の空気になじめないらしく、苦しそうに歯を剥き出し、長いあいだ咆哮した。その声は何か意味のある言葉を発しているようにも聞こえたが、昔の言葉なのか、村人たちにも長内にも理解できなかった。

 ヤナカ婆が言ったとおり、体は死んでいるのに懸命に出産しようとしたことで、魂が体から離れるのが遅れたため、通常の死とは違い死の過程での不具合が生じ、肉体と魂のあいだにいびつな〝隙間〟ができてしまったのが原因だった。古霊は常に村のなかや山々を徘徊し、人間の肉体に入り込む隙を狙っている、とオビル婆は説明した。

「成ってしまったことはしかたがない。わしらはわしらにできることをするまでじゃ」

 オビル婆は、断固とした態度でそう言った。そして我を失い白目を剥いたままの塔子を村人たちを使って本家の奥に設置されている座敷牢に入れさせた。


 座敷牢に入れられた塔子には、水も食事も与えられなかった。いにしえから生き延びている妖怪変化にも近い古霊は、ようやく入ることのできた体を決して奪われまいと頑張る。栄養源を与えられなくともかなり長いあいだ生きることを産婆たちは知っていた。

 三日に一度ほど、産婆たちのひとりが清めの酒を格子のあいだから振りかけた。柄杓ひしゃくを使って撒かれる清酒を、古霊は悪魔が聖水をおそれるように嫌がった。

 古霊の閉じ込められている村長の家の奥の座敷牢からは、夜な夜な陰気な声が漏れ聞こえてきた。それは肺病みの出すのような音に、かろうじて人間のものであるとわかる声色が添えられているといった具合だった。


「塔子の体から古霊を出ていかせることはできないのですか」

 長内は、産婆に懇願するように言った。

 産婆の長、最年長で最も経験の深いオビル婆は、渋い顔をして答えた。

「古霊というものはな、ずいぶんとしぶといものぞ。何せ、何百年も前からこの周囲をうろつきながら、入り込める肉体はないかと隙を狙っていたのだからな」

 一度人間の体に入った古霊を祓うことは、極めて難しいのだ、とオビル婆は眉をしかめて言うのだった。

「我々もできる限りの努力はしてみよう。古霊の扱いには時間がかかる。じゃがあるいはこれは、いい機会となるやもしれぬ」

 しばらく何ごとか考え込んでいたヤナカ婆が言った。

「昔から、古霊が出たときは必ず村に大きな出来事が起きる。もしやすると、呪いに関することも、我らは知ることができるかもしれぬぞ」

 ヤナカ婆はオビル婆に顔を近づけて、何やら耳打ちをした。


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