第13話 産婆
長内はずっと、ある考えに
村長の話だと、ここの村人は十、二十、三十、四十ときりのいい年齢に達すると突然死を起こすそうだ。これまでに目にした遺体の様子とその無残な死にざまを思い出すと身の毛がよだった。だがそれはこの村に生まれた者の掟にして、逃れようのない宿命であることはいまは長内にも理解できることだった。
だが、だとすると、塔子は。妻は現在十九歳だ。出産予定日について長内は把握していなかったが、産み月になってからしばらくが経過している。実際、もういつ生まれてきてもおかしくない段階に入っているのだろう。その証拠に、村長が話を終えると、出産に備えるからと言って塔子は産婆の家に戻っていった。当然のように村長が塔子を送り、夫である自分はまるっきり蚊帳の外というような雰囲気があった。
いま長内の頭のなかにあるのは、塔子が出産の付近に死ぬ運命にあるのではないかという懸念だった。確かに誕生日はあと数日で、間に合うか間に合わぬかといった時期と言えた。
彼らが家をあとにするとき、長内は聞いた。
「夫が出産に立ち合うことは許されないのですか? 最近では皆そうしますが」
長内も人並みに妻の初産に付き添い、我が子が生まれてくる瞬間を目にしたいという願望は持っていた。そのために密かにビデオカメラを購入し、携えてきているほどだったのだ。
「陣痛が始まれば、夫も産婆の家に入ることができます。ですが携帯電話やカメラなどの電子機器は持ち込めませんので、あしからず」
村長は長内の心を読んだかのように答えた。しかし産婆の家に入ることができると聞かされたのは、長内にとっては僥倖であった。
陣痛が始まったら連絡をくれるという約束を取りつけて、長内は塔子と村長を送り出したのだった。いまは待つしかない。
思いに耽るうちに、ふとあることを思い出した。夜に忍んでくる女たちのひとり、まだ年端もゆかぬおしゃべりな少女の言ったことだった。
「予定日までにちゃんと生まれるといいけどね……」
少女の声に含まれていた、気がかりな抑揚をいま長内は思い出していた。そして、産婆の家の凶暴な門番、コエシロウ少年が使った障りという忌むべき言葉も。
あの少女は続けて言った、予定日までに生まれなければ「まあ、確かに、いいことにはならない」と。
どういう意味なのだろうか。にわかに不安が頭をもたげてくる。塔子が二十歳の誕生日を迎え、村人に運命づけられている死を迎えるとしても、あの門口隼人のように〝還って〟くることは可能なのだろう。いまや長内も目の当たりにした、あれほどの陰惨な死と復活の過程を辿るにせよ、塔子が再び戻ってきてくれることがわかっているのは救いだった。
だが、障りというものの可能性が長内を怯えさせた。この村には汲み尽くせない秘密がまだまだあるようだ。そしてその秘密にだんだん迫っていく我が身には、怖気を禁じ得ない。
塔子の出産を待ちわびる気持ちは募りながら、その日が来るのが何よりもおそろしい気がする長内だった。
二、三日後のことだった。本家から長内のスマートフォンに連絡が入った。
「今夜生まれることになりそうです」
聞いたことのない若者の声が言った。
直ちに家を訪ねてきた村人が、長内を産婆の家に案内した。すでに通ったことのある道だったが、そのことはおくびにも出さず長内は案内人のあとに従った。
産婆の家の門は、今日は開いていた。時刻はちょうど日が暮れるころで、赤い夕陽が山の稜線の向こうに没しようとしていた。
「では、私はここで」
案内をしてくれた村の男は一礼すると、もと来た道を戻っていった。
長内は、恐る恐る門の向こうを覗いてみた。今日は真正面から駆けてきて一撃をくらわす門番はいないらしい。ほっと胸を撫で下ろした。
敷居をまたぎ、そろそろと産婆の家の敷地内に足を踏み入れる。庭石のジャッジャッという音が足の下で鳴る。長内は真っ直ぐ玄関へ向かった。
上がり框に、見覚えのある顔が出迎えた。コエシロウだ。少年は板間の上に直に座り、前回のときとは打って変わったかしこまった態度で長内を見つめた。
「先日は、どうも」
皮肉を込めてそう言ってやると、端正な顔を少しだけ歪めてクスリと笑った。
「陣痛は、いつ始まったのかね」
年相応の声色を使って尋ねると、コエシロウは真面目な顔で答えた。
「つい先ほど。一時間も前ではないと思います」
ほう、年長者に対する礼儀も
産婆の家には、独特の匂いが立ち込めていた。それは産婆が調合して妊婦に飲ませる煎じ薬や室内に焚きしめる香のようなものの混じった匂いらしい。それは寺で嗅ぐ線香の匂いのような、または夜に咲く大輪の花の蜜の匂いのような、それともそれらがちょうどよく交じり合った匂いのような気がされた。
しばらく廊下を歩いたのち、コエシロウはひとつの部屋の襖を静かに開けた。薄暗い畳敷きのその部屋のなかには若い女がひとり控えていて、言葉を発さず動作で長内を招き入れた。
「ご主人は、ここで待機しておいて下さい」
長内が畳の上に用意されていた座布団に落ち着くと、ようやく言葉を発した女は小声で言った。暗いなかでよく見ると、全身真っ白な装束に身を固めている。
まるで昔の葬式のようだな。長内は思った。
現代の葬式では、親族は皆喪を表す黒い着物を身に着けるものだが、大昔の日本では白の装束で死人の冥土への旅立ちを見送ったものだ。
「塔子のお身内の方ですか」
嫌な予感を払拭したかったのか、思わず長内は尋ねた。その女は、初めて見る顔だった。あの歓迎会のときにどこかにいたのかもしれないが、大人数であったので全員の顔は覚えきれていない。
「はい。従妹のひとりです」
女は相変わらずの小声で答えた。その様子には、もうあまり会話などはしないほうがよさそうだと相手に思わせる厳粛さがあった。
それで長内はそれ以降は黙り込み、事態の推移を見守る姿勢を執った。確かに、出産において男に具体的にできることなど何もない。この場に居させてもらえるだけでも有難いと思うべきなのだ。
家の奥のほうでは、人の気配がした。複数の人々がしめやかに、丁寧な動作で動き回る微かな物音が聞こえていた。塔子の陣痛の具合はどうなのだろう。あれは波があって、相当に痛む時間と引き潮のように痛みがやわらぐ時間とが交互に繰り返されるという。長内は昔誰かから聞いたうろ覚えの知識を思い出していた。
女が部屋から出ていったあとも、コエシロウだけはその場に留まっていた。長内を見張るかのように、出入口を背にして正面に座している。
「そんなに見張っていなくても、何もしないよ」
苦笑いしながら長内は言った。
「いえ。村外の人間であるあなたからは、いっときも目を離してはならないのです。ここの決まりごとを全てご存じであるわけではないので」
生真面目な顔で、コエシロウは応えた。
「すごく厳重だね」
長内は言った。少しリラックスして、会話でもしていたい気分だった。
「塔子には会えないのかな? ここでずっと、こうして待つ?」
さっきの女はとりつくしまもない雰囲気だったが、コエシロウのほうは聞けば言葉数多く答えてくれるので、長内は気軽に質問をした。
「いや……。陣痛はまだ始まったばかりなので、頼めば少しくらいは会わせてもらえるのではないかと思いますが」
言いながら、コエシロウは立ち上がった。そして廊下に出、しばしそこらにいる誰かと小声で会話を交わしていた(気配も感じなかったが、確実に近くには数人の人がいた)が、襖をスッと開けて入ってくると、
「会うことができるそうです。ほんの少しですが」
と言った。
コエシロウの先導で、長内はまた廊下を進んでいった。
家じゅうに立ち込めていた匂いがだんだんと強くなった。その発せられる元に近づいているのだろう。
一度、二度廊下を曲がり、上に向かって少し傾斜している濡れ縁のようなところを通って、離れのような独立した建物の前に通された。
「ここに妊婦がいます」
コエシロウは囁き声で言った。そしてその建物の前扉をコン、コンと叩いた。
「入れ」
扉の向こうから、ひどく潰れただみ声が言った。
それを聞くと、コエシロウは観音開きの扉にそっと手をかけ、音も立てずに静かに開いた。
それは外側から見るより広い部屋で、奥行はずっと向こうまで、間口は三メートルほどありそうだった。そしてそこに五人の女が控え、それに囲まれるようにして布団の上に塔子が横になっていた。全員が白装束を着ていた。
塔子の腹はいまや山のように盛り上がり、陣痛の痛みに眉をゆがめながらうっすらと汗をかいていた。
長内は妻を取り囲む女たちを見てギョッとした。その女たちは、この村ではあるはずのない外見をしていた。つまり、〝老女〟だったのだ。
ちらちらとコエシロウのほうを見るが、少年は長内の反応などまるで意に介さないかのように、目も合わさずじっと前だけを見ている。それはまた、外部の者に有無を言わさぬこの村の気質かもしれなかったが。
「塔子の夫か」
もっとも年かさのように見える老女が長内を見据えて言った。ミイラのように縮こまった不自然に小さな体に、よく
「はい、そうです」
長内は答えた。
「塔子はこれが初めての出産であるから、ちぃと気をつけねばならん。体は健康であるが、この村の気は邪に満ちておる。それゆえ我々五人の産婆で周りを取り囲み、邪気に取り入られぬよう守っておるのだ」
言いながら産婆は、ほかの四人の老女たちに向かって振り向いた。白い装束に身を包み、ただ黙ってそこに座っているだけのように見えていた彼女らは、皆産婆だった。
「オビル婆、ヤナカ婆、ハシン婆、ネシン婆、コドリ婆」
コエシロウが小声で長内に囁いた。
「皆この村の最年長の婆たちです。この村では産婆の家は占いや祈祷を行う特殊な一族。五人は従姉妹で、オビル婆が一番年長者です。皆幼いころから厳しい修行を行って蛇神の呪いをかわす技を身に着けます。そのため四十歳を越えても生きることができる。婆たちはその霊力で、生涯かけてこの村を呪いから保護しているのです」
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