第12話 呪村

「この村は、蛇神へびがみに呪われているの」

 塔子が言った。

 村長の家に古文書があり、江戸時代に鴨居留置かもいとめおきという人物がこの村の伝承についてまとめているという(鴨居に留め置きとは不吉な名だ)。

 それによると、その昔(神話の時代にまで遡るとされる)、蛇神の娘、つまり蛇女と交わった男がいた。

 男は娘を粗末に扱った上、娘が蛇女だと知ると、村全体でなぶり殺しにしてしまった。


「それほど大昔の村人たちが、何を考えていたのかはわかりません。なぜおそうわまわねばならないはずの蛇神の娘を、知っていながらなぶり殺しにするなどということをしたのか。現世の我々には想像することもできません。その点は理解に窮しながらも、我々は先人の遺した原罪を背負い続けなければならないのです」

 村長は言った。無念そうな表情だった。


 蛇神は、大蛇の姿となって村人たちの前に現れた。そしてその怒りは忌まわしい呪いと変わり、村人全員が呪詛された。

 蛇神は言った、

「お前たちは死に絶えるか、未来永劫苦しむがよい!」


 蛇神の力は凄まじかった。

 その夜のうちに呪いの〝〟を帯びた幾千もの小蛇が一斉に村を襲い、寝ている村人たちに次々と噛みついた。

 そして次の朝から村全体が、蛇神の呪いとともに生きることになったのだった。


「その呪いには数々のくびきがあり、逃れようのない強い効力があります」

 強く目を閉じながら、苦しげに村長は続けた。


 その軛とは。


村人は、一度の生では死にきれず、四つの命を持つことになる。

十年に一度、唐突に死ぬ。

その亡骸は死んだときのまま、棺にも入れず布にもくるまず土に埋められなければならない。

「それにはれっきとした理由があります」

 村長は毅然として言った。

「四~七日経ったのちの雨が降る日、死者は自ら土を掘って出てくる。この世に戻ってきて、次の十年を生きるのです」

 棺に入れれば出てこられないし、布にくるめば自力で土から出られないので、便宜的にそうなったのだという。そして死に装束などに着替えさせると、生き返ったときに自分が誰なのかわからなくなる者がおり、不便さがある。長内は自分が実際に見た、生き返って泥だらけの姿で庭先に現れた男のことを思い出した。

 そういうことが起こらないよう、実際、故人が記憶を取り戻しやすいよう普段身に着けていたものや思い出の品を側に入れて埋めたりすることもあるという。

 それを繰り返し、四十歳になると、今度は本当に死ぬ。

 だから村には高齢者がいないのだ。

 呪いにかかっているため、病気はせず、ただ死ぬほどの命の危険に遭うとすれば出産のときのみ。

 村人たちは、村人を絶やさず村を存続することを定めとして生きている。


 0~十歳は、まだ幼くて生殖能力がないため、子供は作れない。

 十~二十

 二十~三十

 三十~四十

 チャンスは三回しかない


 二、三、四度めの人生のあいだに、村人は死にもの狂いで子を成そうとする。

 そうしなければ村は滅びてしまうからだ。

「この村に住む村人が皆死に絶えたとき、古代からのものも含め村人全員の魂は蛇神によって地獄にさらわれてしまう」という根強い言い伝えがある(これは古くから各々の家に最も重大な掟として口伝されてきたものである)。


「鴨居留置による古文書には、こんな伝承が記されています」

 村長が言った。



 大昔(いつの時代かは定かではないが)、この村にふらりと迷い込んだ浮浪者がいた。

 男だったが、その男はたちまち村の女たちに捕まり、精を搾り取られた。

 おそらく長生きはできなかったであろう。

 でもそのおかげで、次の年には村にたくさんの子供が生まれ、人数が増えた。

 村人たちに、外から入った血の影響で呪いが払拭されるか薄まるということはないかという期待は無論あったろう。

 だがそうやって生まれてきた子供たちもまた、十歳になると例外なく一度目の死を迎え、元々の村人たちと同じ運命を辿った。



「それからも時代を経ながら、村の外に出て外部の人間と結婚し、子供を作ることが奨励されてきました。塔子などのように見目麗しく心根のいい者たちが優先的に村の外に出ていき、伴侶を連れて戻ってくるのです」

 村長は語り続けた。

「いまでは村人は日本全国に散らばっています。少しでも外部の血を村に入れるために。彼らは村に食料や物資を送り、絶え間なく村を援助する役割を果たしています。彼らは数年は伴侶と一緒にその土地で暮らすことを許されますが、子供ができたら必ず村に戻らねばなりません。これは村のしきたり以前に、自発的に成されることです。どこで何をしていようが、蛇神の呪いから逃れるすべはないのですから」


 いずれにせよ四十歳で死ぬ運命にあるし、もし村が滅びるようなことがあれば、どこにいようと地獄に魂を引っ張られるのがわかっている。

 死ぬときの形相の凄まじさを伴侶や外部の人に見られるのを恐れて、本人も何があっても必ず戻ってくる。村のなかでなら、周りは皆ことわけをわかっているので恐れる必要はない。そして何より、甦るためにはこの村の土地に埋められる必要がある。


「よその土地で葬式を上げられ埋葬されたらそれで終いですからね……」

 村長の言葉は、徐々にまじないのように深遠な響きを帯びてきた。


 死ぬときは、皆同じ顔をして死ぬ。

 死ぬときの顔はとてもおそろしい。

 水死体のようにしているが、目と口はカッと開き、これ以上はないというくらいの苦悶の表情を浮かべている。


「苦悶の表情は、ただ浮かべているだけではありません。あの瞬間は口では言い表せないくらい辛く苦しい……。私は三度経験していますからね。突然息が止まって、もがくことも助けを呼ぶこともできず、深く冷たい暗闇のなかへ徐々に引っ張り込まれていくのです……。その年が近づくと、皆覚悟はしておりますが、いつ来るかはわからない。誰にもわからない。ただその恐怖といざその瞬間が来たときの驚きと、この運命の無念さに、我々はあのような表情を浮かべるのです」

 あなたはいまおいくつなのか、と問う長内に、ちょうど三十九だと村長は答えた。

「四十の誕生日までもう少し。人生を終える覚悟はできています。が、この先まだ生きなければならない人々のために、最後まで力を絞る所存ではあります」

 村長の思いに、長内は思わず心を動かされた。


 村長はさらに続けた。

「村にとって最も必要なのは〝子種〟であり、子を育てる〝子宮〟。古くから村内で婚姻を繰り返していた結果、村じゅうが血の繋がった親戚という事態に至っています。いたしかたない場合は近親同士で婚姻を組みますが、そうした場合弱い子が生まれてきたり不利益が多い。最悪のときには呪いを具現化するような〝蛇〟の気質を持った子供が生まれることがあります。

 ――その子は〝邪気子じゃきご〟と呼ばれ、凶悪で、村全体に害をもたらすと信じられているのです」

「〝邪気子〟……。そのような子供が生まれてきた場合は、どうするのですか?」

 長内は聞いた。

「邪気子は生まれるとすぐ母親から離され、産婆の家に留められます。そして産婆たちの監視の下、定期的に清めの儀式を執り行われながら成長します。七歳になって、〝蛇〟の気質が抜けたと判断されれば母親のいる家に戻ることを許されます」

 村長は瞳に憂いを浮かべながら答えた。

「このような子が生まれるのは非常にまれなケースです。そういったことは滅多にない。けれどそうでなくとも、産み月の妊婦が産婆の家に入ってから男性が敷地内に足を踏み入れたりした場合、生まれてくる子が邪気子になってしまうケースもあります。産婆の家はある種の結界で護られていて、男性のエネルギーがその結界を破ってしまうと考えられているのです」

 長内は、産婆の家で出会ったコエシロウという名の少年が言っていたことを思い出していた。彼の言った〝障り〟とはそのことだったのか。あのとき長内が産婆の家に入り込んでいたら、塔子が産む赤ん坊が邪気子になってしまうところだったということだ。それを防ぐために、少年はあのように厳重な警戒に当たっていたのか。


「そういったわけで、村は常に外側からの新しい〝血〟を求めているのです」

 村長は言った。



 そんなことが、もう千年以上も続いているわけだ。

「信じられない」

 と長内は溜め息をついた。それはあまりにもおそろしく、過酷な話だった。

「それゆえ外界との接点を持つこともかなわず、遥か昔から隠れるようにひっそりと生きながらえてきたのです」

 村長は目を光らせながら言った。

「だからあんなに執拗に、私から子種を取ろうとしていたっていうのか」

 長内は言った。文字どおり、げんなりした態度で。たったいま聞かされた気の遠くなりそうな物語のせいで、塔子への気遣いももう忘れてしまっていた。

「でも、あなたのお陰で」

 塔子が遠慮がちな声で言った。

「もしかしたら、光が見えるかもしれない」

 長内は嘆息した。そうだ。無論、塔子は何もかも知っていたのだ。最初からそのつもりで長内に近づいたことは事実だと想像に難くない。長内という外部の、健康な男性を村は心から欲していた。そしてそれを捕まえて村に連れてくるのが、塔子たち魅力的な若者たちの使命であったということだ。

「君は大成功したね」

 体から力が抜けていくような感覚を覚えながら、長内は言った。

「ううん、まだよ。この子が無事に生まれるまで成功とは言えない」

 はは。

 喜んでいいのか悲しんでいいのか、長内のなかで感情が真っ二つに分離した。

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