第11話 訪問

 月が替わり、季節も秋から冬へ移り変わろうとするころだった。突然、長内の家を村長と塔子が訪れた。

 その時期は女たちの夜な夜なの訪問の休止期間だった。定期的にその休息を取らなければ役に立たなくなってしまうので、それは必要かつ重要な措置だったのだが、塔子の姿を見たとき、長内は待ちかねていた妻との再会がこの時期であって幸運だったと思った。無論、それは村側からすれば全て承知の上の、コントロール下での動きであったに違いないのだろうが。


 村長と塔子はまるで来客のようにインターホンを鳴らし、連れ立って玄関に入ってきた。そしてやけに礼儀張った姿勢で二人して長内に深いお辞儀をして見せた。

「どうぞ」

 長内は無骨なふくれっ面を見せて、二人を奥の居間に招き入れた。塔子は自分の実家であるというのに、頭を下げたまま身を低くして廊下を歩き、村長のあとについて居間に入った。


 塔子の姿を見るのは、この村に着いた日、歓迎会のあと本家の大広間で分かれて以来だった。そのころよりいっそう腹がせり出し、重そうな体をようやく支えて歩いているといった風情だった。

「あなた」

 顔を上げて塔子は言った。思いつめたような様子で長内をまっすぐに見るその瞳は、このひと月余りといった期間、長内がずっと夢見ていたものだった。

「元気だったかい。体の調子は……」

 つい、優しい声が出てしまった。この二十歳に満たぬ幼な妻は、こんな出来事を挟んだあとでも変わらず確実に長内の心を捉えていた。塔子にそんな風に見つめられると、長内はこれまでのことを詰問することも責めることもできない自分に気づいた。

「大丈夫。私も赤ちゃんも順調よ」

 塔子が言った。その言葉で、長内の張り詰めていた気持ちは溶けた。むしろ、妻への罪悪感のみが増長したようだった。

「良かった。それは良かった」

 涙が出そうになり、それを隠すために威を正して村長のほうに向き直った。今日こうして訪ねてきた用件を聞きたかった。


 村長は長内の視線を受けると、柔らかで丁重な物腰で再び一礼した。

「再びのご挨拶が遅くなり、申し訳ございませんでした」

 そしてこう言った。まるで大切な客人に対する態度だ。大切な客人に、こんなもてなしをするわけがないが、と長内は侮蔑的な視線で応答した。

「ご挨拶も何も。どういうわけなんです? 到着した日から産婆のところに行くなどと言って塔子と分かれさせられ、ずっと一人で待たされていました。妻の居場所も連絡先もわからないままほったらかしにされ、挙句に……」

 そこまで言って、長内は言い淀んだ。さすがに塔子の目の前で、夜な夜なの行状をストレートに口にするわけにはいかない。すると自分は不平を言える立場でもないのかもしれないとまで思われてきて、気まずい沈黙のなかに押し黙った。

「お怒りはごもっともです」

 この場を借りて、謝罪いたします、と村長はひとり掛けのソファの上で深く頭を下げた。村長と言ってこの村では最年長の部類でも、髪は黒々として艶めき、その頭を支える首や肩の筋肉にも若々しい張りがある。呼称と実体がどうにも不釣り合いだった。

「謝罪よりも説明が欲しいね」

 仏頂面で、長内は応えた。そうやって謝罪などされるとやはり溜まっていた鬱憤が蘇ってきた。さらに、これまで自分に対してもたらされた仕打ちを思うと同年代の若造のようにしか見えないこの村長にどうしても敬意を表することができない。

「承知いたしました。全て、説明させていただきます」

 また頭を下げながら、丁重に村長は言った。その隣で塔子が顎を引き、背筋を伸ばして座り直すのが目に入った。


「この村の成り立ちについて、お話させていただきたいのです」

 村長は言った。

「成り立ち?」

 長内は眉をひそめた。

「何だって、そんな回りくどい話から? どうしてこんなことをするのか、手短に教えてくれればいいんじゃないんですか?」

「それが、そうもいかないのです」

 村長は溜め息をついた。

「いまこのような状況になっているのを説明するためには、どうしても最初から順を追って説明させていただかなければなりません。そうでないと、全てを理解するのは非常に難しいことになるでしょう。この村には不条理なしきたりが幾つもあります。そのことはもういくらかはご存じでしょう? そのしきたりが厳重に守られなければならない理由を、しっかりとご理解いただかねばなりません。そのためにはこれから私どもが語るこの村に伝わる伝承を全てお聞きになり、飲み込んでいただく必要があるのです」

「伝承だって? ハッ、そんなもの」

 長内は鼻を鳴らした。

「あなた、お願い」

 塔子がいさめるように言った。

「私たちこの村の者にとって、とても大切なことなの。どうか私たちの話を最後まで聞いてちょうだい」

 わかった、と長内は言うほかなかった。


 塔子の実家の居間でテーブルを囲んで座り、長内は村長から村の成り立ちに関する話を聞いた。時折助け船を出すように、要所要所で塔子が補足を入れた。

 それは長内が聞いたことも想像したこともない、奇怪な話だった。


「この村は、村ごと〝呪われている〟のです」

 村長はうつむきながら言った。その顔色は、こころなしか青ざめているように見える。

「村外の人間であられる長内さんにこのような話をすることは、本来なら心苦しいのですが」

 村長は言った。

「あなたは塔子と子供をもうけた。そのことによって、もう半分は村の人間と見なされているのです」

「それは、ありがたいことですね」

 長内は皮肉っぽく言った。村の人間と見なす相手に、こんな仕打ちを? と、いまだ腹立たしく思いながら。

 だけど、〝呪われている〟だって? 村長の口から突然飛び出したその突拍子もない言葉に、長内は眉をひそめた。

「〝呪い〟に対処するため、この村には産婆と呼ばれる守護者がおります。代々受け継がれる強い霊力を用いて、村を〝呪い〟がもたらす害から護ってきた一族です」

 村長が説明した。長内は先日産婆の家に入ろうとしたときのことを思い出していた。あそこでは、お産のことだけでなく、〝呪い〟から村を護る祈祷なども行われているのだと村長は言った。


「子供が無事生まれてくることができるかどうか、オビル婆に見てもらっていたの」

 塔子が言った。産婆はこの村で最も尊敬される地位であり、子供を取り上げるだけでなく、代々受け継がれてきた独自の祈祷や占いをすることもできるのだという。この村においてひとりの子供が無事生まれてくるかどうかは何にも増して重要なことであるので、祈祷と占いのあいだ、外部と連絡を取ったり姿を見られたりすることを禁止するしきたりには厳しく従う必要があった。そのため長いあいだ塔子から連絡をすることも、長内からの打診を塔子に伝えることもはばかられていたのだという。


「オビル婆の占いで、この子は無事に生まれてくるだろうって。何のがあるのかなかなか結果が出なかったんだけど、ようやく保証されたから。オビル婆の占いは昔からはずれたことがないの」

 塔子は安心したように微笑んで言った。

「……そうか……それは良かった。でも」

 長内はまた村長のほうに向き直って言った。

「この村は村ごと〝呪われている〟とおっしゃいましたが……。どういうことなのですか? 何に〝呪われている〟というんです?」

 急激に胸にざわめきを覚えながら、長内は言った。だがしばし堪えて、順繰りに語られる村長の説明を待たねばならなかった。

 村長は先ほどよりも気を取り直したようで、顔色は元に戻っていた。そして静かな口調でゆっくりと語り始めた。


「この村は、平安時代より昔からある、極度に古い村なのです。そもそもの村の発祥については誰も知りません。あまりにも山奥にありすぎて、かつて中央行政の手が及んだことのない打ち捨てられた土地だったとは言い伝えられてありますが」

 実を言うといまだに戸籍も住所も存在しないのだ、と村長は驚くべきことを告白した。だが長内には思い当たることがあった。

 そういえば、結婚後、塔子の田舎とのやり取りをしたことは一度もなかった。年賀状を送ったり送られたり、お中元やお歳暮など実家との付き合いというものを塔子は一度もしたことがない。

 何か訳があって親類縁者と疎遠になっているのだろうかと長内は心配していたのだった。けれど塔子がそれについて口にしたことはなかった。だがいま、全ての理由がわかった。戸籍がないから入籍はできない。住所がないから宅配便や郵便物は送れない。


 しかし現代において戸籍も住所も存在しない村などというものが有り得るのだろうか。長内はその疑問をストレートに村長にぶつけた。

「本当なのです」

 村長は答えた。

「平安以前の昔から、このように山奥に隠れ住んできた我々の祖先は、行政というものを知らないまま暮らしてきました。国というものが存在することも知らなかったのです」

「そんなことって……」

 長内は唖然として言った。

「信じられないかもしれませんが、事実です。ここにいる我々を見ていただければおわかりになるとは思いますが。日本国に貴族社会が花開き、のちに侍たちの時代となり、太平の世を経て維新が起こり、数々の戦争を経ていまに至ったということを、わたしたちは口伝えでしか知り得ませんでした」

「口伝え?」

 長内は問うた。

「はい。いつの時代も、村からは若者たちが外へ出ていきました。そうせざるを得ない事情がありますので……。その者たちは、外で技術を学び物資を得、その全てを村に持ち帰り捧げました。そうやって、この山奥の村は外部の誰にも知られることなく現代まで永らえているのです。外にいるあいだに見聞きしたことを、村のなかにいる者に話して聞かせたのは彼らです。そしてそれはいまでも同じこと」

「いまも?」

 長内は目を丸くした。

「はい、いまもです」

 村長は言った。

「いまこのときも、若者たちは村の外で村の役に立つ技術を習得するために努力しています。最も重要視されているのは大工の仕事や土木工事。家屋や道の維持・整備はいつの時代も欠かせない大切な事業ですから」

 そして近年では、少しずつ通信技術も持ち帰っている、と村長は言った。それでこんな辺鄙な村の中でもスマートフォンで電話をかけることができたのだ。

「インターネットなどの複雑な通信手段はまだ未開の分野ですが」

 村長は言った。

「いずれ村のなかだけで使用できるネットワークの設立も可能となるでしょう」


 おいおい、すごいな、と長内は思った。そんな悠久の昔から外部のさまざまな社会的インフラを持ち帰って取り入れ、その上で外部の干渉は受けず完全に姿を隠したまま存在し続けていたなんて。

 村長は話を続ける。

「申し上げましたように、この村の発祥は平安時代以前に遡ると言われています。平安以前といえば、魑魅魍魎ちみもうりょうが我がもの顔に跋扈ばっこしていた時代です。神話の時代から、神と人間は共存していました。神とはつまり、人智を超えたもの、人間の力の及ばぬ存在。魑魅魍魎とて神のまたひとつの形態でないとなぜ言えましょうか」

 どうやらその時代に、この村で何かあったらしい。

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