第9話 頓死

 それからも、毎晩長内の寝室に女たちはやってきた。村の女はみな若く、夕べの十代半ばの少女と似たり寄ったりの年齢の娘も決して少なくはなかった。長内はその全ての女から塔子の詳しい近況を聞き出そうとしたが、どの女からも胡乱うろんな答えしか返ってこなかった。皆口を揃えて「塔子は元気だ」「産婆の家で大事にされている」と答えるばかりだった。なぜ塔子自身から連絡がもらえないのかという質問には、皆無言で答えてきた。   

 

 毎夜、押し倒されるようにして、長内は女たちから性の接待を受けるような形になっていた。だが実際は全く逆で、言わば長内は女たちからもぎ取るようにして〝精〟を奪われているのだった。妻への申し訳なさは募っていったが、十代や二十代の若い女たちに襲われて、巧みに男の本能を刺激されるとどうにもならない。そして女たちと寝れば寝るほど、塔子や本家、悦子などにその話をすることははばかられるようになっていくのだった。


 そうするうち、とうとうある日、長内が男としての役割を果たせなくなる日がやってきた。若い女がどんなに誘惑しても、そして長内が努力しようとして見せたとしても、どうにもならなくなってしまったのである。

「仕方がないね」

 その晩の女は言った。

「いくら何でも、続きすぎだわね。しばらく体を安めなきゃいけない」

 確かにそのとおりだった。長内は自分の体が疲れ、休息を必要とするのを自覚していた。毎朝見る鏡のなかの顔は明らかに精気を失い、命の源から根こそぎ持って行かれてしまうような危機感を感じるほどだったのだ。


 それから数日間、身体的な休養が与えられた。長内は、空っぽになってしまいそうな身の内を感じていた。それは厳密に言うと搾取そのものだった。男の〝精〟を搾り取る、この村の一貫した無情さの体現にほかならなかった。

 村からは滋養のある食べ物が日々届けられた。貴重な山人参や自然薯、まるまるとしたの椎茸や、どこで手に入れたものかオットセイの男根を煎じて粉にした強壮剤まであった。

 そういったものを運んでくるのは必ず村の男たちだった。どういうことを考えながら、この男たちはそんなものをこの家まで持ってくるのだろうかと長内はいぶかった。

 あの、悦子に連れられて裏山の墓地に行き、穴を掘らされた日のことを思い出した。毎晩忍んでくる女たちについて言及したとき、穴掘りの男たちは皆、殺気だった視線を長内に突き当ててきたものだ。そこに嫉妬の念が入っていないはずはなかった。この男たちの目には、長内が毎夜この村の女たちを思いどおりにしている果報者、とでも映っているのだろうか。当人は心と体が剥離せんばかりの、苦しい思いをしているというのに。

 誰か代わってくれてもいいのだがな。そんなことも思った。だがこの村の狂ったしきたりは、長内以外にその役目を果たさせるつもりはないようだった。

 石のように黙して語らぬ男たちは、ねぎらう言葉をかけるでもなく、日々精のつく薬や食べ物を長内の家に運び入れた。


 ある日、長内は昼間の時間にこっそり家を出た。相変わらず、塔子の実家の周囲には人影もない。野良猫が数匹行き来するか、時折山鳥が頭上をかすめて飛んでいくくらいのものだ。

 閑散とした山奥の村の雰囲気は、もはや不気味な気配に彩られていた。この静けさは、この先訪れるおそろしい何かの前触れのような気がされて仕方がなかった。

 長内は注意深く、周囲を見渡した。誰もいない。

 いまならこの村から出ていけるのではないだろうか。ふとそんな考えが浮かんだ。出産間近の塔子のことは気がかりだったが、顔も見せてもらえない声も聞かせてもらえないでは、不安は募るばかりだった。こんな状況では、自分がこの村に滞在する意味は失われてしまっているではないか。

 体力的にまだ回復したとは言い難かったが、ひとりで山を下るほどの元気は戻ってきている気がした。塔子には悪いが、こういう状況だ。あとから連絡がつけば(つけばの話だが)、何とか話をつけられないことはないかもしれない。

 長内は、一緒になって以来塔子が尽くしてくれた日々をじっと思い出していた。その若さに似合わず優しく愛情深い、賢明な女だった。

 塔子ならきっとわかってくれる。無事生まれた赤ん坊を連れて彼女が戻ってきてくれるのを、街で待とう。そう決心した。


 長内は家に取って返し、小さなバッグに簡単な荷物をまとめた。財布と仕事道具のパソコン、それにスマートフォン。着替えなどかさばるものは最小限にした。

 急いだほうがいい。本能がそう告げていた。

 玄関を出、荷物を後ろ手に隠すように持って、村の入口に向かって歩いた。相変わらず歩道に村人はいない。本当に閑散とした村なのだ。

 家々は、眠り込んだように人の気配すらなかった。長内は順調に歩を進め、ついに村の入口にまでたどり着いた。

 ほんの半月ほど前、悦子に先導されて塔子とともに村に入った場所だった。愛妻の故郷に初めて足を踏み入れたときの感慨を、長内はもう思い出すことができなかった。

 帰ろう。こんなおかしな村に、これ以上いられるか。

 そう思って歩を進めた、そのときだった。


 ズサッ!

 両脇から数人の男が現れ、長内の前に立ちふさがった。目の前に土埃が上がる。見ると全員が筋骨隆々の腕自慢のようである。

「長内さん」

 ひとりが言った。

「どちらへ行かれるんです?」

 別の、もうひとりが続けて言った。

「帰るんだ」

 長内は少しく怯えながらも、毅然として言った。

「ここにいても妻に会うこともできないしね。こんな風にしていても、妻の役に立てないとわかったから、自分の家に帰って待っていることにしたんだ」

「そいつは身勝手ですね」

 初めに言葉を発した男が言った。

「愛する妻が一世一代の初産に臨んでるっていうのに、それを見捨てて逃げ出すんですか」

 男の鋭い眼光が長内を射た。

「見捨てるなんて、そんなつもりはない。ただ、ここにこのままいても役に立てないと判断したから帰るんだ」

 長内も負けずに言い返した。

「役に立てないとおっしゃいますけどね」

 もうひとりの男が言った。

「長内さんは、充分役に立って下さってますよ」

「この村の」

 また別の男が前に出てきて言った。

「だから今日は、俺たちと一緒におうちに帰りましょうよ。この村を出るなんてこと考えないでさ」

「塔子の旦那さんてことは、この村の人間てことですよ」

 別の男も前に出ながら言った。男たちは長内のバッグに手をかけ、抵抗する長内の腕をつかみ、力ずくでその体を担ぎ上げた。

「なっ! 何をするんだ! やめろ、下ろせ! 下ろしてくれーーっ!」

 驚きと恐怖に叫び声を上げながら、滅茶苦茶に手を振り回して抵抗したが、屈強な男は総勢六人いた。六人の男たちに担がれながら、長内はいま歩いてきた道を、逆方向に運ばれていった。


 まるで神輿をかつぐかのように威勢よく、男たちは三十代の長内の身体を軽々と運んでいった。

 わっせ、わっせ、と掛け声も勇ましく、まるで楽しんでいるかのような行状だった。ときには胴上げのように高く放り投げられ、そのたびに長内の視界では空がギザギザに動揺した。

 男たちの手の上で揺られながら、長内は目の前の景色がぐるぐる回るのを見ていた。途中、酔って気分が悪くなったが、盛り上がり弾けた男たちの行進は止まらない。

 助けてくれ……。塔子……。

 気を失いそうになりながら運ばれていくと、突然男たちの足が止まった。すると長内の身体を支えていたバランスが崩れ、もんどり打って道端に放り投げられてしまった。

 あいたた……。

 擦り傷ができてしまったのを抑えながら前を見ると、男たちが輪になって立ち尽くしている。いっときざわざわと何か言い合っていたが、やがて誰もが黙り込み、異様な沈黙が広がった。

「どうした。何があったんだ?」

 長内は痛む手足をさすりながら、声をかけた。この隙に走り出して逃げることもできそうだったが、それまでの喧騒とは打って変わった彼らの沈黙に、つい気を取られて動けなかった。

 数歩前に出て、男たちの輪のあいだに顔を突っ込んだ。


「げっ……」

 そう言って長内は絶句した。そこには、見ずに済めばどんなに良かっただろうと思われるような、壮絶な場面が展開していた。

 そこには、男たちのひとりが仰向けに倒れていた。たったいま卒倒したばかりなのだろうにその体は、まるで一週間前に亡くなった人のもののように青黒く変色している。

 長内はすぐ、あの穴を掘って埋められた遺体のことを思い出した。あの遺体も全く同じ色味を帯びていた。それはどこまでも禍々まがまがしい、吐き気をもよおすような忌むべき色だった。

「死んだのか? 何があった?」

 長内は大声で叫んだが、男たちは黙ったまま、まだ立ち尽くしている。その表情には恐怖と嫌悪、そして諦めのような消沈が見て取れた。

 と、二人の男が両側から長内の腕を取り、まるで警察が容疑者を連行するときのような恰好で引きずり始めた。

「や、やめろーーッ! やめろってば!」

 その強引で乱暴な行いにすっかりパニックを起こした長内は、狂人のようにわめき散らした。だが若者たちは、それが自分たちの義務だとばかりに頑なに、長内を捕らえ家まで引きずっていった。

 長内は、振り返って最後に見た青黒く変色した遺体の顔を忘れられなかった。それはあのとき穴のなかに埋められた遺体と全く同じ、目を見開き、口を大きく開け、恐怖と苦悶に満ちた表情に凝り固まっていたのだ。



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