第8話 目的
家に戻り、気持ちを落ち着かせようと風呂に入ることにした。脱衣所で服を脱ぐと、背中じゅうに赤い
鏡に向かって顔を見ると、左の頬から目にかけて大きく腫れている。これは湯舟に浸かるのは止めておいたほうがよさそうだ、と思い、軽く
風呂場から出ると、もう日が暮れていた。まったく、今日は何ていう日だったんだろう。悦子に呼び出され、異常な墓掘りにつきあわされた。あんな埋葬の仕方は見たことも聞いたこともない。まるでマフィアだ。
でも村の男たちは、それをまるで日常生活の延長ででもあるかのように、やけに淡々と行っていたな。悦子もまた、顔色ひとつ変えずに。誰もが〝慣れたものだ〟といった風に、簡単にことを済ませていた。そして悦子の言った言葉。
「早う慣れさせようと思ってね」
「まあ、おいおいわかってくるわ」
あれはいったいどういうことだったのだろう? すぐにまた、こういったことが起こるとでもいうのだろうか。この村はつくづく秘密だらけだ。そして誰もそれについて何ひとつ教えてくれない。
いや、産婆の家で会った少年、コエシロウは少しは何かを教えてくれたと言えるか。それにしても謎が深まるばかりの返答だったが。
臨月の妊婦は産婆の家で過ごさなければならない。産婆の家は生まれてくる子供を守る
そこまではわかる。だが、そのしきたりを破ると子供に障りが出ると彼は言った。その障りが何なのか、そこまでは教えてくれなかった。あんなに血相変えて攻撃してくるほど厳重に警備しているくらいだから、よほど重要なことには違いない。
だがそれにしても、その障りとは何だろう。気になって仕方がなかった。赤ん坊の健康にかかわることか、そうでなくてもいずれ何かが出てくるらしい。
けれどもその考えは、想像の域を出ることはなかった。この村は普通じゃない。
異常だ。長内のなかで、その思いがどんどん強くなるばかりだった。
考え続けるのを止めようとして、少し仕事に集中してみた。パソコンに向き合って、ふと気づくと時計は午後十一時を指している。
もう、そろそろ寝ようかな。そう思った。今日は(今日も、と言うべきか)一日色々あり過ぎて疲れていた。体力的にも精神的にも、この村に来てから休まることがない。
寝間着に着替えて二階の寝室に上がろうとして、ふと、また女が来るのではないかと思った。
昨夜も一昨夜も、違う女が忍んできた。こんな状況でもなかったら歓迎できるかもしれない展開だったが、長内には愛する妻がいて、そしてわけのわからない奇怪な村に滞在している。
もちろん彼女らはこの村の女たちなのだろう。だがなぜあんなことをするのか? 長内の布団のなかに半裸体で忍んでくる彼女らの目的は何なのか?
彼女らに話を聞くことができれば、あるいは何か情報を得るきっかけをつかめるかもしれない。長内はそう考えた。
今夜はひとつ、待ち構えていてやろう。
そう思い、布団に入って電灯を消した。
夜半過ぎ、思ったとおり、女はやってきた。一昨夜のとも、昨夜のとも違う女だった。髪は短く、背は低い。その所作はどこかまだ幼く、子供のようだ、と長内は思った。
女は寝室の襖を細く開け、長内が眠っているか確認するようにしばらく様子をうかがってからゆっくりと入ってきた。ほかの女たちも、そのようにして入ってきていたのだろう。
だが今夜、長内ははっきりと起きていた。寝ているふりをするために目を閉じていたが、女が畳の上を少しずつにじり寄ってくる音をはっきりと聞いていた。
女が布団に手をかけ、体を滑り込ませようとした瞬間、長内は自ら布団を剥いで身を起こした。
「きゃっ!」
女は驚いて悲鳴を上げた。まさか相手が覚醒しているとは思いもよらなかったらしい。
「今日という今日は承知しない。聞かせてもらうぞ、お前たちはどうしてこんなことをするんだ?」
逃げようとする女の手をつかみ、自分のほうへ引き寄せて動きを封じてから長内は言った。最初の日は眠っていて朦朧とした意識のなかで起きたことだったし、二度目の女はまるで娼婦のように誘惑に
ところが女は、長内に引き寄せられるとその動作の流れを利用して、ひしと体に抱きついてきた。そしてうっとりとした瞳で、こんなことを言うのである。
「おじさん、お願い。抱いて」
まいったな、これは。長内は困りはててしまった。女はどう見ても十代の半ば、どう多く見積もっても十五歳は越えていまいと思われた。あのコエシロウと同じぐらいの年代だ。
「いいか、よく聞け。おじさんは君のような子供にそんなことはしない。結婚してるんだ」
長内は噛んで含めるようにそう言い聞かせた。
「そんなの知ってるよ。でも関係ない。抱いて」
少女は長内の首に手を回し、強引に押し倒そうとしてきた。細い腕が首に絡みつき、きめの細かい若い肌が吸いついた。
「いったいどうなってるんだ」
困惑しながらも、唇を重ねられると自然と体は反応してしまった。自分の健康体が恨めしかった。
少女は長内の上にまたがり、意志とは反対に勃起してしまった長内の性器を自分の性器に挿入した。そして自ら激しく腰を動かし始めた。
長内が果てると、少女はその傍らに横になった。そして枕を取り、尻の下にあてがってしばらくじっとしていた。
その様子を見ていて、妙に合点のいくことがあった。ああ、この女たちはもしかすると、自分の精子を欲しがっているのではないか。
「子種を取りに来ているのか」
ぼそりとつぶやくように、長内は言った。少女は長内との性交のあとで、子宮口に精子を定着させようとしているのだ。そう考えれば全てに納得がいく。一昨夜のもの言わぬ女も、昨夜の娼婦のような女も。皆長内自身に愛情を抱いて寝に来たわけではなく(そもそももちろん、そんなわけはない)、何かを〝奪う〟ようにして去っていったのだから。
今夜やって来た少女は、まだ人生経験も浅く、男と女のあいだの機微などにも
「まあ、そんなところ」
少女は仰向けになったまま答えた。
「何のために」
長内は首をかしげながら聞く。
「村のため」
少女は当然といったように短く答えた。
「村のために、君はそんなことまでするのか? この村はいったいどんな村なんだ? ここに来てから私はおかしなことばかりに……」
「仕方がないんだよ」
つぶやくように小さな声で少女は言った。
「あたしもあんたも、こうするよりほかはない。この村の者はみんなわかってる。どこにも逃げられないし、逃げても意味はない。いまのうちにわかっておいたほうが、あんたも辛くないかもね」
少女の声は退廃的な響きをもって寝室の壁に響いた。彼女のようなまだほんの子供が醸すそんな寂れたような雰囲気に、長内は思わず黙った。
「塔子が……。私の妻がいまどうなっているか、君は知っているか」
少女の持つどんよりと重い空気を何とかしたくて、長内は話題を変えた。
「塔子。あんたの奥さん……は、無事に産婆の家にいるよ。大事にされてるし、お産の準備も着々と整ってるって聞く。まあ、健康な赤ちゃんが生まれてくることを祈ることだね。予定日までにちゃんと生まれるといいけどね……」
少女は話した。その口調はやや気がかりな抑揚を含んでいた。予定日までに生まれないと、何か不都合でもあるのだろうか? 自分には理解できないこの村独特の決まりごとにはもう慣れっこだったが、こと赤ん坊のこととなると神経を尖らせられる。
「何か障りでもあるのか?」
咄嗟にあのコエシロウが使った障りという言葉を使ってしまったことに長内はハッとした。何かこの村の持つ重苦しい陰惨な雰囲気に自分が取り巻かれつつあるような気がして、それを振り落とすように激しく頭を振った。
「まあ、確かに、いいことにはならない」
少女はそれについては多くを語らなかった。そして、まるで酸鼻な出来事を思い出したかのように顔全体をしかめ、ぎゅっと目を閉じて、長内がしたと同じように頭を振った。
するともう充分、とでも言うように、少女は尻の下の枕をはずし、横に転がるようにして布団から出ていった。
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