第7話 門番

 門の敷居をまたごうと足を上げた途端、正面から勢いよく走ってくる者が目に飛び込んできた。それはまだ年端もいかぬ少年で、だがそれだけに小柄な体の動きは矢のように速かった。

 ゴキッ。

 少年は、出会いがしらに長内の左頬を渾身の力を籠めて殴りつけた。おかげで長内の体は門扉の外に吹っ飛び、道の上にまともに落下した。

 長内は背中を打ち、一瞬息もできなかった。そしてその一瞬が過ぎると顔に激痛が走り、頬を押さえて路上をのたうち回った。


 見上げると、腕組みをした少年が見下ろしている。その顔は怒りに燃えているようにも、眉間に皺をよせて困惑しているようにも見えた。

「まったく、いったい何を考えているんですか」

 少年は、叱りつけるように大声で言った。

「妊婦のいる家に、大の男が押し入ろうとするなんて」

 激痛に顔をしかめながら、長内は何とか起き上がった。少年にくらわされたカウンターパンチはそれなりに激しいもので、頬の骨か歯が折れていなければいいがと思いながら。


 立ち上がってからもさらに痛みは激しくなり、頭のなかに心臓の鼓動と同じ音が響き渡り、そのうちピーーという耳鳴りもし始めた。

「私はその妊婦の夫だ。この村に付き添って来たんだが、到着してから妻と全く連絡が取れないものでね。電話もつながらないし、誰も居場所すら教えてくれない。だからとうとう探しに来てしまったというわけだよ」

 歯は折れていない。それを確認し、良かった、と思いながらようやくそれだけ話した。


「それはあなたの勝手な考えですね」

 少年は長内の言を一蹴するように言った。

「残念ながら、この村ではそれは通用しませんよ。臨月を迎えた妊婦は男性から隔離され、産婆の家で過ごす。これが村のしきたりです。どんな事情があるにせよ、それは守られなければなりません。例外はありません」

 とりつくしまもなく、少年は言い放った。

「君だって、男じゃないか」

 くやしまぎれに長内は言い返した。少年は色白で端正な顔立ちをしていた。やや小柄ではあるものの、さっき長内を殴った手の力は女性には持ち得ぬ強さである。それを長内は痛烈に体感していた。

「僕は」

 少年は言った。

「いいんです。十五歳未満の少年は、まだ男とは認められないから」

「それもしきたりか」

「そのとおりです」


 互いに門を挟んで、いっとき問答が続いた。だがその少年は、長内のどのような質問や脅しにも一切動じず、しかもその答えは理路整然としているのだった。どのような教育を受けているのだろうか。悦子にしてもそうだが、この村の人間は、見た目の若さに似ず皆おそろしいほど毅然として大人びているようだ。まるで早く大人にならなければならない事情でもあるかのように。長内は思った。

「とにかく」

 少年は言った。

「奥様の無事な出産を願うなら、ご自宅でじっくり待つことです。この家に入ろうなどとお考えにならずに。この村は古い村です。昔からのしきたりを破ればどんなことになるか、先人が体現しています」

「先人は何を体現したというのだ」

 長内は詰問した。少年は即座に答える。

「子にが出ます。産婆の家は、生まれてくる子供を邪から守るまゆのようなものです。その繭による防御を、男性が出入りすることで破ることになる。大昔から言い伝えられてきた教えです。いったんそれを破ったら、取り返しのつかないことになるのです。生まれてくる子供の健康は保障されず、たとえ健康に生まれてきたとしても、いずれ何らかのが出ます」

って、何だ?」

「村外のあなたにはおよそ関係のないことです」

 少年はそれ以上答えることを、きっぱりと拒否した。そしてそれ以降はそのことについて一切話さなかった。


「いったい君は何者なんだ? 君のような年少者が、何でひとりで産婆の家を護っているんだ」

 長内は腹立ちまぎれに言った。この十五歳にも満たない子供に喧嘩でも論理でも打ち負かされたような気がして、唯一優位に立てる自分が年長であるという事実を持ち出したのだ。

「それは」

 クスッと小馬鹿にしたように笑いながら少年は答えた。

「俺がその一番の適任者だからですよ」

 そして勝ち誇ったような目つきで長内をねめつけてきた。


 この少年、憎らしい奴だな。……だが、確かにただ者ではない。少年のこちらを見る眼力に少しだけ怖気を感じた長内は認めざるを得なかった。

「君はこの家に雇われているのか? それともこの家の人間なのか?」

 実際どちらでもよく、興味はなかったが、もう少し粘って少年から産婆の家のなかの状況を聞き出すべく、長内は質問した。

「俺はこの家の人間です。この家のあるじであり産婆たちの長でもあるオビル婆の直径の曾孫に当たるのが俺」

 自信満々に答えた少年は、そのことをかなり誇りに思っているようだった。

「俺は男に生まれたから産婆の修行はさせてもらえなかったけど、その代わりに家を護るための武芸と対外的な交渉術を学びました。だからまだ若いかもしれないけれど、そんじょそこらの大人に負けるようなヤワな者ではありません」

 少年は畳みかけて言った。

「君たちこの村の人間は、どうしてそんなに大人びているんだ? ここに来てからずっと気になっていたんだが……。塔子にしてもそうだ。何か、皆異常に早熟なんじゃないか? どんな風に考えても、この村は普通じゃない。何かおかしい」


 長内は少年の言い回しとその強い語調に負けまいと反駁はんばくした。何か、このまま一矢も報いず追い立てられて帰ってしまうのは悔しい気がした。

「さあ、それは……。大人びているかどうか、俺にはわかりません。この村の人間は皆確かに早熟かもしれません。でもそれは、昔からのしきたりに従っているだけです。この年齢になればこういうことをする、というのが厳密に決められているものですから。村のルールに従って生きているだけです。俺も、ほかの人たちも」

 少年は謎めいたことを言い、長内はますますこの村のことがわからなくなった。

 結局最後は「しきたり」、「村のルール」だ。この村の人間は、それを何の疑いもなく信じて実行している。古来の決まりごとというのはそれほどまでに重要なのか。臨月の妻に会いたいと訪ねてきた夫を暴力ずくで追い返すなどということを、平気でしてしまうほどに。長内の混乱と憤怒は募るばかりだった。


 二度と妙な気を起こさぬよう、とじゅうじゅう説得されて、長内は少年に背中を押された。痛めつけるツボのようなものを心得ているのだろう、少年は手のひらを使って背中を押してくるのだが、その一手一手が木刀で突かれるように痛い。長内はついに悲鳴を上げた。

「待ってくれ。せめて妻に伝言を頼めないか? 体は大丈夫なのか、それから、一度電話でもかけてくれと、伝えてはもらえないか」

 シッ、シッと激しく追い払われながら、長内はようやくそれだけを言った。わかった、伝えておく、と少年は答えたが、それもあてになるかどうかわからなかった。

「君、名前は何というんだ」

 ぐいぐいと背中を押して産婆の家から遠ざけてくる少年に振り返りながら、咄嗟に長内は聞いた。

「コエシロウ」

 と少年は答えた。

「コエシロウ?」 

 長内は笑った。

「ハッ、変な名前だな」

 コエロウか? 頭のなかで漢字を当てたら汚い文字が出てきた。

 バシッ。

 コエシロウは再び長内を殴った。今度はうしろ頭を平手で一撃だった。キーンとまた耳鳴りがした。何と言う暴力的な少年だろう。

「うるさい! 来年になれば名前を変えられるんだよ。そうしたら、うんとカッコイイ名前をつけるんだ。とやかく言うな!」

 けっこうな剣幕でコエシロウは叫んだ。それと同時に、またうしろから殴る蹴るを始めたので、長内はほうほうの体で坂道を転げ下り、退散するしかなかった。

 参ったな……。あんな小さい体で凶器みたいな奴だ。だがしかし、それだからこそ産婆の家であんな風に用心棒のようなものがつとまっているんだろうな。

 塔子の実家へと戻る道すがら、体じゅうに痛みを覚えながら長内は考えていた。

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