第6話 埋葬
それからさらに三十分ほど掘ったところで、作業は完了した。長内も男たちに交じって、汗を流した。が、それが何のために掘られた穴なのか、最後まで教えてはもらえなかった。
土だらけになって穴の底から這い上がり、ポケットから出したハンカチで汗を拭っていると、男たちが無言のまま村のほうへ引き返していった。長内はいましがた自分たちが掘った穴を見下ろしていた。
穴は、長方形の形状を成していた。まるで棺を入れるのにふさわしいかのような形。まさに〝墓穴〟と言って良さそうだった。
長内は再び悦子のほうを向いた。もの問いたげなその表情をかわすように、悦子は長内から顔を背ける。
この村は、やはり異常だ……。
じわじわと、気味の悪さが足下から這い上がってくる。長内は本能的に、この場を離れたいと思い始めた。
やはり何もものを言わぬ悦子をそこに残して、ひとり来た道を戻ろうとしたときだった。先ほど去っていったあの男たちが、担架のようなものを担いで急斜面を上ってきた。四人で四隅を持ち、一人はそのしんがりをつとめて担架の上のモノがずれ落ちないように支えているようだった。
一行は引き続き無言のまま、その担架を運んでこちらへ近づいてきた。そして穴の前で止まると、悦子と長内の見ている前で、その担架の上のモノを、無造作に穴のなかへ放り入れた。
ドサッ。
見間違いはない。それは、まぎれもなく〝人〟だった。しかもその〝人〟に長内は見覚えがあった。灰色のセーターに、ブルージーンズ。それは一昨日、悦子に案内されて塔子に実家に向かっていたときに小道で卒倒した男の亡骸だった。
長内は目の前で起きていることに、言葉を発することもできなかった。着の身着のまま? 棺にも入れず、布にくるむでもなく?
男はあの倒れた瞬間に亡くなったのだろうか。それとも昨日息を引き取ったのだろうか。どちらにしても、死者を悼むべく丁重な葬式が執り行われたようには思えなかった。
この村の、死人に対する冒涜的な葬り方に長内は憤りと嫌悪感を覚えた。いくら人里離れた山奥の寒村であるにしても、あまりにも野蛮ではないか。神仏の教え、せめて山岳信仰でもいい、ひとりの人間の命に対する敬意というものが、彼らにはないのだろうか。
長内の
「では、土をかけちゃって」
ここでも長内は逆上しそうな異常感を感じた。おかしい。狂ってる。この村は、どう見ても普通じゃない!
長内の表情を知ってか知らずか、男たちはのそのそとシャベルやスコップを手に取り、少しずつ死人の亡骸に土をかけ始めた。ずっと亡骸を直接見ることを避けていた長内だったが、土をかけられ始めると、目線は無意識にそちらのほうに移動した。
そのとき長内は目を
衣服で包まれて見えない部分は別として、その男の体は水死体のように膨れ上がっていた。水死体というものを目の当たりに見たことはないが、よく言われる話としてそのような形状になるとは聞いたことがある。襟元からはみ出した首から顎、こめかみにかけてパンパンに腫れて、その皮膚は青みがかっている。とにもかくにも不吉な色だ。その皮膚の上には、血管に沿った紫色の線が縦横に走っていた。そして最終的に長内の目を咄嗟に逸らさせ、ぎゅっとつぶって見ることを拒絶する動作を起こさせたのは、その遺体の顔だった。
死んだ男は目と口はカッと開き、これ以上はないというほどの苦悶の表情を浮かべていた。
いったい何が起こって、この男はこのような顔をして死ななければならなかったのだろうか。想像もつかなかった。隣に立って作業を見守っている悦子は相変わらず黙して何も語らないし、長内はただショックに打ちひしがれてその場に立ち尽くすしかなかった。
「早う慣れさせようと思ってね」
そのとき突然悦子が言った。え? 長内は聞き返す。
見ると、思いつめたように固い表情をしている。従姉だけあって塔子によく似た細面の顔立ちは、いまでは冷酷さを強調しているように見えた。山道で初めて出会って、この村に案内してきてくれたときとは別人のような顔だった。
「これから、何度も見るだろうと思うから」
言葉少なに悦子は言った。
「どういうことですか? ……言わせてもらいますが、この村には、おかしなことが多すぎる。妻に連絡はつかないし、夜になると現れるあの女たちは何ですか?」
感情的になったせいか、つい言ってしまった。すると遺体に土をかけていた男たちが、ギッと一斉に長内を見た。無表情な顔をしているが、その目には凄まじいような殺気が感じられた。
その男たちのものすごい無言の圧力に、長内はぐっと黙りこむしかなかった。
「まあ、おいおいわかってくるわ」
顔を向こう側にかしげながら悦子が言った。
「そのうち、嫌でも、ね」
遺体は土に隠れ、その場はまるで何もなかったかのように完全に平坦な土地になった。すると一行は死者に手を合わせるでもなく、相変わらずの無表情のまま、手にスコップやシャベルを持ってその場を離れ始めた。悦子と長内もそれに続き、急斜面を下り、村への道を歩いた。
長内の困惑はピークに達していた。悦子はなぜ何も語らないのか。おいおいわかるとは、どういうことなのか。
塔子に会って話をしたかった。この見知らぬ土地の知り合いもいない村と長内を結びつけているのは、妻の塔子だけなのだ。それもかなわないというのは、理不尽にもほどがある話だった。
悦子のあとについて歩きながら、長内はある決心をしていた。産婆の家を教えないというなら、自分で探すまでだ。幸いこの村は小さな集落である。少し歩き回ればそれらしき家を見つけられないということはないだろう。村人に聞けば、教えてくれる人もいるかもしれない。もう何もせずじっと家で待つことは限界を越えていた。
家の前で一行と分かれ、一旦玄関に入った長内は、人々の足音が遠ざかるのを待った。そしてしばらくのあいだ息を潜め、彼らの気配が完全に消え去ったのを確認すると、再び外へ出た。
道の上を人目につかないよう、すばやく歩く。幸いいまのところ周囲に人影はない。長内はまずひとつ目の角を曲がった。
村は山の斜面を切り開いた台地の上に形成されていて、段々畑状に山頂に向かって緩やかに傾斜している。自然、低い土地のほうが広く家屋の数も多いが高くなるにつれ件数も減り、その造りも堅牢なものへと変わっていた。
長内は、産婆の家は高い土地のほうにあると踏んだ。この村の最も高い場所にあるのは村長の家だったが、産婆などは少なくともそれに準じる地位であるはずだ。家もその近くにあるに違いない。
ジグザグに角を曲がり、より上の土地へ行こうとしていたときだった。
「あんた、どこへ行かれるのかね?」
ひとりの村人に声をかけられた。見ると、三十代後半くらいの男性だった。歓迎会のときに見覚えのない顔だったので、もしかしたら長内が塔子の夫であることを知らないかもしれない。
「ちょっと、産婆さんの家に用がありましてね」
「オビル婆の家かね」
産婆はオビル婆と呼ばれているらしかった。奇っ怪な名前だ、と長内は思った。
「私は最近この村に来た者なんですが、ちょっと腹の具合を悪くしてしまって……。この村では体の調子を産婆さんが診てくれるって聞いたもので、訪ねてみようかと思いまして」
長内はカマをかけた。病院や診療所のようなものはない、と悦子が断言したことを逆手に取ってみたわけだ。
「ああ」
男は合点がいったように答えた。
「オビル婆の家といえば、このすぐ先だ。そこがほら、坂道になっているだろう? それをずっと上っていくと右側にある家だよ。看板が出ているからすぐにわかるだろう」
指差しながら、男は説明した。
「ありがとう。助かりました」
わざとらしく腹をさすりながら、長内は言った。そして、いかにも具合が悪く見えるようにゆっくりと、かがみながら前へ進んだ。
坂道は右の方向へ湾曲していた。男の視界から外れたと見ると、長内は背筋を伸ばして小走りに坂を駆け上がった。
オビル婆の家はすぐにわかった。男の言ったとおり、道の右側に大きな古い日本家屋があった。格子の門構えに貼られた表札に、「按摩・鍼灸」と筆文字で書いてある。
産婆という記載はなかったが、ここが塔子が滞在している産婆の家であることはまず間違いなさそうだった。本家に電話をかけたとき、「出産を控えた女のいるところに男が立ち入るものではない」と
だからその家に入ろうとすることをためらう気持ちは微塵もなかった。長内は迷いなく取っ手に手をかけ、門扉を開いた。
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