四十二話 お見送り
「あ、そろそろ行かないと」
朝食を終えて何をするでもなく九凪は月夜とリビングのテレビを見ていたが、そろそろ家を出ないといけない時間になっていた。マンションから学校への道順は確認してあるとはいえ通うのは初めてだ。ある程度の余裕をもって家を出ておきたいところだった。
「…………行ってしまうのか?」
それまでは楽しそうにしていた月夜が不意に悲しい表情になる。そんな顔をされる心は痛むがこれで学校を休んだらきっと明日も同じことになるだろう。
「学校にはちゃんと行かなきゃいけないから」
だからはっきりとそう答える…………とはいえ正直に言えば九凪の中で行く意味は揺らいでいた。実家で話した月夜との将来設計を考えれば今すぐ高校を中退して専門学校にでも行った方が実現は早くなるだろう。
しかし両親だって高校くらいはちゃんと出て欲しいと思っているだろうし、春明や奏のような友人といきなり別れるというのも寂しい。
「九凪が行きたいというのならわしはちゃんと我慢するぞ…………わしのせいで九凪に負担をかけるような真似はしたくないからな」
そんな彼の心情が伝わったのか殊勝な姿勢で月夜は引き下がる。
「ありがとう」
そんな月夜に九凪は微笑む。
「ふ、ふん! わしのほうがお姉さんなのだから当然じゃ!」
すると照れ隠しのように月夜は顔をそむけた…………そう言えばそうだったんだよなとそんな彼女の言葉で九凪は思い出す。態度が見た目相応なせいでどうしても彼女が年上だという意識にならない。
「うう、しかし寂しいのう」
こんな風に彼女の虚勢も長く続かないからなおさらだった。
「せっかく一緒に住むことになったのにすぐに学校に行ってしまうとはひどいのじゃ」
「それでも前よりはたくさん一緒にいられるじゃないか」
「…………それはそうじゃが」
以前は放課後に一時間ほど話すだけだったのだからそれを考えれば段違いだ。
「ある、となればそれを惜しむ気持ちが湧いてくるものなのじゃ」
最初からなければ諦められるが、九凪はすでに月夜のもとにある。それが一時的にとはいえ離れて行ってしまうことに体の一部を奪われたような感覚を覚えてしまう。
「それならせめて途中まで一緒に…………いや、ううん」
そんな彼女に思わず妥協案を口にしてしまいそうになったが思いとどまる。それは結局引き延ばしになるだけで今と同じ状況が学校の手前で起きるだけだ、そしてプライベートな空間でもない外でとなれば二人の関係が明るみになる可能性だって生まれるだろう。
「そうか! わしも一緒に行けばよいのじゃな!」
「あっ、いやそれは…………」
「わしも九凪と同じ高校とやらに通うぞ!」
「えっ!?」
九凪が口に仕掛けたことよりもさらに斜め上へと月夜は進んでいた。
「それならばずっと一緒にいられるではないか!」
「それはその通りだけど……………高校は誰でも通えるわけじゃないからさ、ほら」
「真昼に任せればどうにかなるのではないか?」
「…………流石に真昼さんでも駄目だと思うよ」
確かに真昼ならどうとでもしてしまいそうではあるけど、彼女も月夜の頼みであれば何でも聞いてしまうというわけでもない。例えば今回の件であれば編入の手続きなどだけで済むならやってくれそうではあるが、月夜にはどうしてもその見た目という壁がある。
それをどうにかするには彼女らの特別な力を使うしかないだろうけど、その神通力はできるだけ使わないようにするのが真昼の方針のようなのだ。
「むう、わしのこの姿のせいか…………」
月夜は常識に疎いし直情的だが頭が悪いわけではない。すぐにその原因に思い当たって自身の小さな体に手を当てる。
「…………本来の体であれば何の問題もないというのに」
「今は違うんだから仕方ないよ…………もし戻れたらその時に真昼さんに相談しよう?」
「…………うむ」
月夜はようやく納得したように頷く。それにほっとするのもつかの間、九凪は話している間に投稿までの時間的余裕がなくなっていることに気づく。
「ごめん、もう行かないと」
「待つのじゃ!」
「いや、ほんとにごめん、もう時間があんまりないのだけど」
月夜を置いていくのは気が咎めるけれど、九凪も遅刻はしたくなかった。
「わかっておる…………だから行くまでにせめてぎゅーっとしてくれ!」
その手を大きく広げて月夜を迎え入れるように月夜は見上げる。
「ぎゅーっとって…………」
「本当は行ってらっしゃいのちゅーとやらがよかったのじゃが、九凪はそれはまだ早いと言うのじゃろう? じゃからその代わりに抱擁でよい!」
我慢できてえらいじゃろ? と月夜は九凪を見る。
「ほれ、早う」
時間もないのだろうと月夜は促す。ここで躊躇していては確かに時間を無駄にするだけだし彼女を抱きしめたことがないわけでもない。
「そ、それじゃあ」
恐る恐る、壊れ物を扱うように九凪は月夜の背中に両手を回す。そのまま躊躇いがちに彼女の背中に触れるが、月夜のほうは構わぬというように思い切り彼の背中に回した手を押し付けてきて…………結局は九凪もしっかりと月夜を抱きしめた。
「くふふー」
心地よさそうに月夜は声を漏らすが、九凪はじわじわと自分の体温が上がって居るのを感じていた…………顔が熱い。昨夜彼が彼女に口にした言葉に嘘偽りはない。九凪は月夜を大事に思っているが現状の彼女はその性癖の対象外だ…………しかしその手に伝わる感触は柔らかく温かいしなにか甘い香りもする。
彼の中にある何かが壊れてしまいそうな焦燥感が胸の内に浮かぶ。
「よし、満足じゃ!」
しかしその危機感が最大に達するよりも前に月夜の方から体を離す。
「正直に言えば満足からは程遠いが九凪が学校に遅れてしまうからこれで我慢なのじゃ!」
「あ、うん」
感触のなくなった手を無意識にわきわきとさせながら九凪は頷く。先ほどまで感じていた温かさがなくなったのがなにか物悲しく感じられた。
「そ、それじゃあ行くよ」
「気を付けてな! お守りはちゃんとしておるな?」
「うん、大丈夫」
九凪のその手首にはちゃんと月夜から貰ったお守りが括りつけてある。
「行ってきます」
「行ってらっしゃいなのじゃ!」
そのまま見送られて九凪は家を出る。あれだけ最初はごねていたのに送り出す段になったらずいぶんとあっさりしたものだった…………対して九凪のほうにはまだ消えない感触が名残惜しいように後ろ髪を引いている。
月夜にそのつもりはなかったのだろうけど…………まるで弄ばれたような気分だった。
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