四十話 牽制

「では説明も済んだので私は邪魔者扱いされる前に隣に移ります…………何か困るようなことがあれば呼んでくださいね」


 部屋の一通りの説明を済ませるとさっさと真昼は出て行ってしまった…………当然ダブルベッドに対するフォローなどはないままにだ。彼女は九凪と月夜にどうなって欲しいのか。実のところ彼女が重要視しているのは行為そのものではなく、それに九凪の同意があるかどうかだけであることに彼は気づけていない。本気で彼が嫌がれば即座に駆け付けて月夜と敵対してでも真昼は守ってくれるはずだ。


「これで二人きりじゃな!」

「…………」


 そんな九凪の心情を他所に嬉しそうに月夜が言う。確かに今は九凪の自室予定の部屋に二人きり。月夜は自分用の部屋を確認するつもりすらない。それに困ったように九凪は押し黙ってしまうが、別に月夜はただ九凪と二人でいることに喜んでいるだけで悪意があるわけではない…………ただ、九凪が勝手に危機感を抱いているだけなのだ。


「九凪、どうかしたのか?」


 そんな彼を不思議そうに月夜が見る。どことなく不安げにも見えるのは九凪がこの状況を嫌がっているのだろうかという疑念が浮かんでしまったからだろう…………これでは駄目だと九凪は意識を改める。本来であれば九凪も月夜と同様に喜ぶべきで、幸せにしたいと思っている相手に不安を与えるべきではないのだ。


 ではなぜ自分が素直に喜べないのかというとこの部屋で存在感を主張するあのダブルベッドのせいだろうと九凪は思う。それがあるせいでどうしても彼は月夜の言葉や行動にある種のフィルターが掛かって見てしまう…………決して月夜にはそんな意図はないはずなのに。


「よし」


 まずはそこをはっきりさせておこうと九凪は決めて月夜を見る。不意に真剣な表情になった彼に彼女はきょとんした表情を一瞬浮かべるが、すぐに嬉しそうな顔になる。


「なんじゃ?」


 少し首を傾げて尋ねるその仕草はとても可愛らしい。しかしその可愛いは純粋に可愛いであって月夜に対して劣情を催すというわけではない…………だから九凪は困っているのだ。


「月夜は僕のこと好きだよね」

「うむ!」


 尋ねると即座に月夜は頷く。それはわかっていることであくまで前提の確認だ。


「それで月夜は僕とどうしたい?」

「どうしたい、とは?」


 再び彼女は首を傾げる。


「ええっと、こうして同居するようになって一緒にやりたいことってある?」

「ずっと一緒であればそれでわしは満足じゃぞ!」


 ニコニコと答えるその表情に嘘はない。しかしそれは月夜が深く考えていないだけだ。それはあくまで前提であってそのうえで何かをしたくなるものなのだから。


「例えば、そう九凪は公園で僕の膝の上に良く乗ってたよね?」

「うむ。良い座り心地じゃった?」

「ああいいうことを、今したい?」

「したい! したいな!」


 今その好ましさを思い出したというように月夜が飛びつく。


「座ってよいか?」

「…………いいけど」


 そこまでであれば九凪に断る理由もない。これまでも許していたのだし。


「では…………くふふ、やはりこれはよいものじゃ!」


 即座に九凪の膝の上へと移動して心地よさそうに月夜が頬を緩める。しかし彼の側は以前とは違い彼女を意識してしまっているせいで、伝わってくるその体温に何とも言えない気分になってしまって天井を見上げる…………いけないと首を振る。自分がここ流されてしまっては何の意味もないのだ。


 と、言うかまどろっこしい前置きをしているのが間違いではないかと気づく。月夜の場合は彼に嘘は吐かないのだから正面から尋ねた方が手っ取り早い。


「その、月夜は僕とこれ以上のことをしたいと思う?」

「これ以上、とは?」

「その、キ、キスとか…………男女の、営みとか」

「したいぞ!」


 即座に答える。先ほどの膝上への移動の手早さを考えれば今すぐ押し倒されてもおかしくはない。思わず九凪は身体を固くして身構えるが彼女は動かなかった…………ほっとする。


「えっと、月夜はどうして僕とそういうことをしたいの?」

「わしが九凪を大好きじゃからじゃ!」


 他に理由などないと彼女は九凪を見上げて微笑む。なんというかその純粋無垢さがどこまでも清々しくて余計なことを考えている自分が情けなく思える…………だからと言って彼の考えは変わらないが。


「九凪はしたくないのか?」

「うん」

「そうか、それならば仕方ない…………の?」


 肯定する九凪に月夜の言葉がしぼみ…………首を捻る。


「うむ?」


 聞いた言葉が確かにあっているのかと月夜は思い返しているようだった。


「のう九凪」

「なに?」

「今しがた九凪はわしと接吻やまぐわいはしたくないと聞こえたのじゃが」

「うん」

「なぜじゃ!?」


 信じられぬと九凪の膝から飛び降りて正面から彼を見る。


「九凪はわしのことが好きではないのか!?」

「大好きだよ」


 自分を見る月夜に嘘偽りなく答える。それだけで動揺していた彼女の表情は蕩けたように嬉しそうな表情へと戻る。


「な、なんじゃつまり冗談というやつじゃな?」

「いや、冗談じゃないよ」

「…………どういうことなのじゃ?」


 月夜は訳が分からないと言った表情だ。


「僕は月夜のことが好きだけど、そういうことを今はできないってこと」

「それはなぜじゃ?」

「月夜のことを大事にしたいからだよ」


 九凪は月夜のとこが間違いなく好きだし、生涯をかけてでも幸せにしてあげたいと思っている…………ただ、そういうことをしたいという気持ちは一切ない。もちろん全く意識しないわけではないがそれは生理的な反応の範疇に近い…………ぶっちゃけた言い方をしてしまえば月夜は九凪の性癖にはヒットしていないのだ。当たり前だが。


「月夜はほら、まだ小さいからそういうことは体に良くないし」

「わしは九凪よりお姉さんじゃと知っておるじゃろう!」

「うん、でも体はね」


 いくら年月を重ねて居ようと体つきが子供なのには間違いないのだ。


「わ、わしの本来の体であればもっといろいろと大きいのじゃ!」

「うん、だから元に戻るまで我慢しようって話」


 月夜が元の姿を取り戻せば九凪だってなんの遠慮することだってないのだから。


「むう」


 月夜は不満顔だが、ここで無理に食い下がるべきではないように感じたようだった。それこそ九凪が気乗りではない以上強要すれば真昼の介入を許すことになる。


「…………わかったのじゃ」


 しぶしぶと受け入れる月夜に九凪はほっと息をはく。確約が取れたならこれで彼女に対して余計な警戒を抱いたりしなくて済む。


「しかし、一緒に何もせず一緒に寝るだけならよかろう?」

「それは、うん」


 せめてそれくらいはと拗ねるような表情でせがむ月夜に、九凪が断れるはずもなかった。

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