三十七話 将来設計

「将来って…………月夜とのことなら考えて決めたって言ったけど」

「そういう話ではない」


 将来のことを尋ねられて首を傾げる九凪に海斗は首を振る。


「具体的な将来設計というか、そちらのお嬢さんを幸せにするのが目標でいいとして…………具体的にどう幸せにするのかというか、つまりはどう養っていくつもりなのかだな」


 誰かを幸せにすると一口で言うのは簡単だ。しかしそれは一時的に幸せにするだけではなく幸せにし続けていかなければならない。そのためにまず第一に考えるべきは金銭的な問題の解決だ。


 現代社会で幸せと言えるような生活をするためには相応のお金がいる。もちろんお金がなくとも幸せを感じる人たちだっているだろうが、ないよりはあったほうがいいのは確かだろう。


「卒業後の進路はもう決めているのか?」

「それはまだだけど…………」


 九凪は高校も二年になったばかりだ。そろそろ進路を見据えて動き始めてもいい時期ではあるがまだ決めるのにも余裕がある。元々これといった個性もなく平凡を自称していた彼にはなりたい職業とかはなかった。


 だからまあ、まだ何も決めていない。


「とりあえず進学しようとは思っていたけど」

「お前の場合それは何も決めてないのと同義だろう」

「…………」


 海斗の指摘にその通りだと九凪は押し黙る。将来的になりたい職業があるからそれに有利な大学を選ぶわけではなく、将来を決めるための猶予を伸ばすためにとりあえず進学しようとしているのだから。


「以前であれば別にそれでも構わなかったし私も余計なことは言わなかっただろう…………だがお前は背負うべき相手を選んだんだ。今からしっかりと将来を見据える必要があるんじゃないか?」

「…………そうだね」


 確かにその通りだと九凪は自戒する。漠然と月夜を幸せにすると口にするだけではなく、それを実現するための現実的な将来設計が必要なのだ。


「大学じゃなくて専門学校じゃダメなの?」

「専門学校って…………なんの?」

「パティシエの学校とかあるじゃない」

「パティシエって…………」


 不意に口を挟んだ晴香に九凪は戸惑って彼女を見る。そんな彼を晴香は何を戸惑うことがあるのかと見返した。


「あなた、昔からお菓子作るの好きだったでしょ?」

「あれは…………ただの趣味だよ」


 それも今では熱心でなくなってしまった趣味だ。そもそも発端からしてお菓子を食べたいけど買ってもらえず、けれど一から作るとなればなぜか材料費を出してくれたからという理由だ。九凪としては誇れる話ではない。


「趣味を仕事にしてる人なんて珍しくもないわよ。せっかくの特技なんだから生かさない手はないでしょう?」

「うむ、九凪の作ったクッキーはとっても美味しかったぞ!」


 母親の言葉に月夜も以前に彼から貰ったクッキーの味を思い出す。それはとても幸せな味でそれを仕事にしても成立するだろうと彼女は思う…………むろん彼女の場合は現代の事情も知らず深く考えていないがゆえにの印象であるが。


「やりたいこともなくて適当な職業に就くよりも、趣味に絡んだことを仕事に選んだほうが長続きするとお母さんは思うけど」

「うむ、わしもそう思うぞ!」

「…………言っておくけど、パティシエって激務だよ? もしなれたとしても仕事にかかりきりで月夜との時間が減るのは間違いないからね」

「む、それは困るぞ! わしは九凪といっぱい一緒にいたいのじゃ!」


 一見すると華やかではあるがパティシエも飲食業なので実態は激務であることが多い。もちろん一口にパティシエといってもケーキ屋だったりレストランのデザート担当だったりと職種も様々なのでひとくくりにはできないのだが…………というか普通に就職すれば月夜との時間が少なくなるのはどの職業でも変わらないだろう。


「いえいえ、働きながらでも四六時中月夜と一緒に過ごすことは可能ですよ」

「え」


 けれどそこに真昼が指を立てて口を挟む。


「そんなことができるのか!」

「はい」


 月夜に真昼はしっかりと頷いて見せる。


「え、いや、無理では?」

「普通に就職すれば無理でしょうね」


 戸惑って九凪は真昼を見るが彼女はにっこりと微笑む。


「つまり九凪君が自分の店を持てばいいんです。そうすれば従業員として月夜を雇って仕事中も一緒に過ごすことができるでしょう?」

「いやあのでも……………そんなお金はどこに」


 九凪はただの学生だし父親も一般的なサラリーマンで母親は専業主婦だ。別に貧しい思いをしたことはないがそれでも裕福というほどではない。上手くいくかもわからないようなお店を出すようなお金はどこにもないのだ。


 もちろん店を出すことを目標とするなら九凪だってお金は貯める。しかし今からバイトを始めて高校を卒業後は専門学校に行き、その後パティシエの資格を取ったのならどこかの店で修業しつつ開業資金を貯めることになるだろう…………貯まるのは当分先になるだろうし、その間余計に月夜と過ごす時間は減るはずだ。


「お金なら私が持っています」


 さらりと真昼は言う。


「え」


 戸惑い、思わず九凪は両親のほうを見るが二人は頷いただけだった…………つまり事前にそういう話もされているということだろう。


「それは、どういうお金なんですか?」

「私が長を務める組織のお金になりますね」

「…………組織のお金をこんなことに使っていいんですか?」

「組織の目的には適っていますし、そもそも私が運用して増やしたお金ですから」

「真昼さんが運用?」


 どの辺りが目的に適っているのかの疑問もあったが、まずそこが気になった。


「私の組織は一応国家に所属しているのですが、活動的に公開するわけにもいかないので秘匿されているわけです。しかしそうなるとなかなか大きな予算というものが下ろしづらいわけです…………だから私が活動資金を稼いでいるわけですね」

「そんなに簡単に稼げるものなんですか?」

「忘れましたか? 私は神様ですよ?」


 ふふふ、と真昼は笑みを浮かべて九凪を見る。


「神とは世界に近しい存在です。今の私はその神格の大半を封じて大した力を使うこともできませんが、そもそも神通力など用いずとも神としての感覚だけで世界の変動などは感じ取ることができます。気候やそれに伴う影響などが私には手を取るようにわかるわけです」


 つまり世界中の自然の影響などが先も含めて全て把握できる。自然に影響される分野の投資においてその力は反則のようなものだ。右から左にお金を転がすだけで資金を増やせるようなものと言っていいだろう。


「だからまあ、予算に関しては問題ありません」

「いやでも一応組織のお金ではあるんですよね?」


 それをこちらの個人的な事情に使っていいのかという気はしてしまう。


「先ほども言いましたが組織の目的にも適っています…………なにせあなたと過ごす限り月夜は大人しく暮らしてくれることでしょうから」


 真昼の組織の目的はこの世界に残された神秘に対処し、それが消えていくことを見守ることだ。しかし月夜がもしも好き放題に力を使って世に出てしまえば神秘が再び活性化することにもなりかねない。そういう意味では九凪の存在は月夜を穏当に封印しているともいえ、その為にお金を出すことは組織の目的に適っているのだ。


「だからですね、極端な話を言えばお店をやらなくてもいいんですよ」

「…………どういうことですか?」

「お金は私があげますから一生を月夜と自堕落に暮らしてくれていいということです」


 まるで冗談のようなことを、全く冗談ではない表情で真昼は言った。

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