三十一話 反応

 手を握る先には月夜の姿があり…………その後ろには大きく全面をへこませたトラックがあった。何が起こっているのか九凪には理解できない。これからの人生を一変させる覚悟で月夜に告白してそれが成功し、浮かれた気分のまま不注意でトラックに二人して撥ねられそうになった…………そのトラックはあの様で、月夜はそれが何でもないように笑っている。


「九凪?」


 呆然とする九凪へ不思議そうな表情を月夜が向ける。理解できなかった。こんな状況下にありながら恐怖も動揺もしていない…………それにあのトラックの惨状。反射的に彼女の手を握る力が弱まって、それに気づいた月夜の表情が弱々しく歪むのが見えた。


「っ!」


 自分の愚かさを呪うように彼女の手を強く握り直す。自分はほんの少し前に何を誓った? 彼女の一章を背負うつもりで告白したはずではなかったのかと九凪は己を叱咤する。辺りが騒ぎになり始めているがどうでもいい。彼は月夜を引き寄せるとそのまま抱きしめた。


「く、九凪!?」

「ごめん」


 一瞬でも彼女を恐れてしまったことを彼は謝罪する。月夜が不思議な力を持っていようがどうでもいい話なのだ…………そのおかげで彼女が無事だったのだから。未だはただその事実を喜べればそれでいい。


「ふ、ふぉおおおお! 嬉しい! 嬉しいのじゃが! め、目立ってしまうのじゃぞ!」

「どうでもいいよ」


 わちゃわちゃと腕の中で慌てる月夜その感触すらも今は彼女の生を月夜に実感させる材料に過ぎなかった。この後どうすればいいのかなんて九凪にもわからないが、今はとにかく彼女の感触を確認しておきたかった。


「やれやれ、くれぐれも気を付けてくださいと言ったはずなんですがね」


 大きなため息とともに聞こえたその声に九凪が顔を上げる。見やればいつの間にか二人の傍に真昼が立っていた。


「薄々こんなことになるのではないかと思ってはいましたが、なぜ予感というものは嫌なものほど当たるのでしょうかね」


 もう一度溜息を吐きながら、真昼はパチンと指を鳴らす。それで見た目に何ら変化が起こったわけではないが、周囲で起こりつつあった喧騒が静かになったように九凪は感じた。


「人避けか。神通力はできる限り用いぬのではなかったのか?」

「あなたがそれを言いますか」


 呆れるを通り越してむしろ感心するように真昼は月夜を見る。


「こんな騒ぎを起こしてくれたくせに」

「九凪を守るためじゃ! 仕方なかろう!」

「…………ええまあ、それに関しては私も否定はしづらいですけどね」


 真昼としても九凪が傷つくようなことは好ましくはない。だから強く非難しづらいのだと顔をしかめつつ、彼女は前面のへこんだトラックへと視線を向ける。運転手はエアバックにうつむせになって気絶しているようだが、息はあるし大した怪我も負ってはいなそうだった。


「運転手は無事なようですね…………あなたのことだからトラックごと消し飛ばしてもおかしくない状況でしたが」

「そんなことをしたら九凪に嫌われてしまうではないか」

「あー、確かにそうですね…………その調子でお願いします」

「あ、あの真昼さん?」


 二人の会話に置いてけぼりにされていた九凪は戸惑いの表情で声をかける。二人はこの状況を理解しているようだし、互いに対する態度もそれまで彼に見せていたものと違っていて余計に困惑した。


「ああすみません。混乱していますよね」

「それは、はい」


 九凪は頷く。何も説明されず理解しろというほうが無茶な状況だ。


「こんなことになってしまいましたし説明するのはやぶさかではないのですが、流石にこの場で長々と話すわけにもいきません。場所を変えますがいいですか?」

「それは構いません、けど…………」


 九凪はちらりと周囲に視線を向ける。目の前には破損したトラックと気絶した運転手。真昼が何かしたことで大きな騒ぎに放っていないようだが、集まり始めていた人の姿はそこらにはある…………こんな状況でこの場を放棄していいものなのだろうか。


「大丈夫です。部下に連絡してありますので後の処理は任せられます。穏便に事故…………だと運転手が不憫なので何もなかったということにして落ち着かせます」

「それならよかったの…………かな?」


 命の危機に陥ったのは確かだけど、その原因は急に飛び出した九凪と月夜の側にある。これで事故という形になったら非のない運転手に申し訳がなかった。


「では移動しましょう。あなたのアパートでいいですね?」

「仕方あるまい」


 月夜が承諾するのを確認して真昼は指を鳴らす。


 その瞬間、九凪の目の前の光景が一変した。


                ◇


「あ、あれ?」


 気が付くと九凪は殺風景な一室の玄関に立っていた。その直前に聞いた会話の内容からすればここは月夜の住むアパートの一室なのだろうが、なんでいきなり自分がそこに移動しているのかが理解できない。



「お前、歩いて移動するのではないのか?」

「歩きながら話す内容でもないですし、到着するまで無言というのも気まずいでしょう?」

「わしはどうでもよいが、お前の立場的にそんな理由で神通力をぽんぽん使ってよいのか?」

「よくはありませんが、この方があの子に説明もしやすいですからね」


 そんなことを話しながら、二人はさも当然のように靴を脱いで部屋へと上がっていく。


「九凪も上がるとよい」

「え、あ、うん」


 促されて慌てて彼も靴を脱いだ。


「何もないところですが座ってください」

「それはわしが言うべきことじゃろうが!」


 そんなやりとりをする二人に促されて居間の畳に腰を下ろした九凪だが、確かにその言葉通り何もない。部屋には生活に必要なものは最低限置かれてはいるのだけど、逆に言えばそれ以外のものが何もないのだ。


 普通ならあるはずの居住者の個性や趣味を示すようなものが一切置かれていないからまるで生活感を感じさせない…………けれど一つだけ例外はあった。九凪の買ってあげたキーホルダーだけは大切そうに棚の上へと飾られている。


「ここに月夜は住んでるの?」

「うむ!」


 尋ねると月夜は元気よく頷く。嘘偽りない表情だった。確認するように九凪が隣に座る真昼を見るが彼女は肩を竦めるように頷く…………つまり間違いなく月夜はここに住んでいて、この部屋の光景をまるで彼女は気にしていないということだ。


「思うところはあるでしょうが、まず事情の説明をさせてください」

「…………そうですね」


 それを聞かなくてはこの部屋のことも何も言えない。


「私が話して構いませんね?」

「任せる。そう言った話はお前のほうがうまかろう」


 月夜に確認し、改めて真昼は九凪を見て口を開く。


「ではまず一番重要なところから…………私たちはいわゆる神と呼ばれる存在です」


 その事実を皮切りに、真昼は遥か昔のことから九凪へと話し始めた。

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