三十話 急転直下

 好事魔多しというが、人間浮かれている時ほどうっかりミスをしやすい。それはどれだけ他人から注意されていようがどうしようもないもので、特にそれが人生で最も嬉しい体験の直後であればその可能性は高くなる…………たとえそれが神であろうとも。


「つまりこれでわしと九凪は恋人同士ということじゃな!」

「うん、まあ、そうなんだけど…………」


 告白は無事に成功した。あっさりと上手くいったことに九凪は拍子抜けしたような気分になってしまうが、元々の好感度を考えれば順当な結果だ。彼が覚えていた不安は結局のところ直接答えを確認できていないという事実からくる杞憂に過ぎなかったのだから。


「その、とりあえず他の人がいるところで恋人ってことを自慢したりしないでね」

「わかっておる! 世間体という奴じゃな!」

「知ってるんだ…………」


 それには九凪も少しほっとする。告白という一大イベントは成功に終わったが、彼にとっての問題はまだ積み重なっている。月夜という少女とこの先も生きていくためには解決すべき問題はたくさんあるのだ。


「それで、恋人になってわしは九凪と何すればよいのじゃ!」

「えっと、なにをって…………?」


 目をキラキラと輝かせて自分を見る月夜に九凪は戸惑う。何をすればいいと言われても恋人同士で想像するものとなるとキスとかそれ以上になってしまう…………そういうのは不味いから健全なお付き合いをしなくてはならないのに。


「い、今まで通りでいいんだよ?」

「そうなのか?」

「うん」

「恋人同士になったら体の付き合いもするのではないのか?」

「そっ、そういうのはおいおいね」


 どこからそんな知識を仕入れたんだと動揺しつつも九凪は何とかごまかす。


「おいおいか、楽しみじゃな!」

「そ、そうだね」


 にこにこと笑う月夜に同調して見せつつ、別の話題にしなくてはと九凪は思考を巡らせる。


「ところで真昼さんに挨拶しておきたいんだけど、今日って大丈夫かな?」

「真昼に? なぜじゃ?」


 喜びに水を差されたというような表情を月夜が浮かべる。


「それは…………その、僕は月夜と恋人関係になったんだから、月夜お姉さんである真昼さんにはちゃんと挨拶して報告しないと駄目なんだ」


 告白成功後の行動として真昼への挨拶は必須事項だ。いくら健全なお付き合いをするつもりであってもまず家族からの理解を得るが第一だ。黙って付き合いを続けていて後で知られればどんな勘繰りをされるかもわからないだろう。


「む、そういえば真昼も告白されたら連れてくるように言っておった気がする」

「言ってたの!?」


 九凪にとってそれは衝撃の事実だった。


「うむ」

「……………」


 頷く月夜に九凪は思わず顔を覆う。それはつまり自分が強くとこうなることを見抜かれていたということで、一体どんな顔をして彼女に会いに行けばいいのかわからなくなってしまったのだ…………見抜かれていなくても結局は同じことなのではあるが。


「どうしたのじゃ九凪? 真昼が何かしたのか?」

「い、いや…………真昼さんは何もしてないよ」

「ならよいのじゃが…………なにかあったらわしに言うのじゃぞ? 守ってやるのじゃ!」

「あはは、なんだか立場が逆転しちゃったね…………」


 これまでは九凪が月夜の面倒を看る形だったのに…………告白されたことで何か月夜は彼を見る目を変えたようにも感じられる。


「それで真昼さんは?」

「どうせアパートに行けばおるじゃろ」


 それはそれとして尋ねる九凪に月夜はおざなりに答えた。月夜が望む望まずにかかわらずあの女は大抵彼女の領域に無断で入り込んでいる。


「それじゃあ今から行ってもいいかな」


 嫌なことは早めに済ませておく主義、というわけでもないが報告するなら早い方がいい。それに考えてみればどうせ見抜かれていたなら向こうも心構えができているわけで、何も知らない真昼相手にいきなり妹さんと付き合いたいですと告白するより気は楽だ。それならば今の勢いあるうちに済ませておきたいと考えた。


「つまり、九凪がわしの領域に来るということか?」

「領域…………うんまあ、そうなるのかな」


 変わった言い回しだなとは思うがそれは今更の話だった。


「そうか! それならすぐに行くのじゃ!」

「えっ、うん」


 何が嬉しいのか突然九凪の手を引いて走り出す月夜に彼は少し戸惑うが、元々向かうつもりだったので逆らう理由もない。思いのほか強く引かれるその手と速さに月夜はけっこう身体能力が高いんだなとか考えていた。


 好事魔多し


 普段の彼であればもう少し注意深くあっただろう。任されている少女と一緒ということもあってことさらに気を付けたはずだ…………決して公園の出口を確認もせずに飛び出しなんかしなかっただろう。


「あっ!?」


 と、思う時にはもう遅く。


 手を引かれるがまま車道を走るトラックの前へと九凪は飛び出していた。


                ◇


 その時咄嗟に九凪が思ったのは何としてでも月夜を守ることだった。しかし彼女は彼の手を引いていて九凪よりも前にいる。その手を引いて自分の元へ引き寄せるだけの時間はどう考えても残されていなかった。


「月夜っ!」


 絶望的な気分の中でその名前を呼ぶ。


「なんじゃ?」


 振り返る彼女はまるで事態に気づいていないようだった。しかし彼女にその事態を伝える時間は残されておらず、その姿にトラックの武骨な車体が重なる…………その先の光景を見たくなくて九凪は目を瞑った。どうせすぐに彼自身も衝撃が襲って何もわからなくなるだろうが、例え一瞬だろうと月夜を守れなかった現実を直視したくなかった。


「…………?」


 しかし予想していた衝撃は訪れず。それの直前に怒るであろう悲劇の音も彼の耳には届かなかった。


「うっかりしていたのじゃ」


 恐る恐る目を開いた九凪の目に飛び込んできたのは無事な月夜の姿…………彼の手と繋ぐ反対の手が正面のトラックへと向けられていて、まるで二人を遮る何かがそこに在ったようにトラックの全面がへこんでいた。


「車道には飛び出ることなかれと真昼にも注意されていたのじゃったな」


 その結果起こった惨劇をいかようにか月夜はねじ伏せ、


 呆然とする九凪へと何事もなかったように彼女は微笑んだ。

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