二十四話 火を点ける

「別に僕に恋人ができたからって、月夜を拒絶なんかしないよ」


 それは仮にの話であって現状で恋人ができる予定は九凪にはない。春明が煽ったところで意識はしてもそういう対象として月夜を見ることはなかったし、他に意中の相手がいるわけでもないのだから…………しかし、しかしだ。もしこの先自分に恋人ができたとしても月夜を遠ざけることなんてするわけもない。これまで通り接することだろう。


「お前にその意思がなくても拒絶された気になるんだよ」


 けれど春明はそれを否定する。


「他に恋人を作るってことはあの子を恋人にしないと突きつけてるも同じだ…………それは拒絶だろう?」

「それは…………そうかもしれないけど」


 だからといってそれはどうしようもない話だ。誰かを選べば誰かが選ばれない。だからといって誰も選ばないままというのも結果としては変わらないだろう。むしろ淡い希望を抱く期間が長いほど残酷であるようにも思える。


「もちろんフラれた時の反応なんざ人によって違うだろうが、普通はショックを受けてしばらく落ち込むくらいなもんだ…………結局こんなもんは本人の気持ち次第なんだから相手を選ばなかったといって罪になるわけじゃねえ」

「それなら」

「だがあの子は違う」


 はっきりと春明は断言する。


「あれはものすごく重いぞ」

「重いって…………」

「拒絶されれば生死にかかわるレベルのショックを受けるんじゃないか?」

「まさか…………」


 否定しようとして九凪は言葉に詰まる。彼女に対する彼の印象は純粋でまっすぐな子だ。だからこそ春明の言う通り何もかもを正面から受け止めて大きなショックを受けるさまが目に浮かぶ。


「春明は僕にどうさせたいのさ」


 けれどそれを理解したところで春明の意図が九凪にはわからなくなった。だから月夜に対して本気になれと言うなら煽った責任がどうこうは口にしないはずだろう。しかしそれならば月夜を拒絶するリスクを教えるのは意味が分からない。


「選択権があるのは俺じゃなくてお前だ…………しかし俺にはお前を煽った責任がある。選択の結果どうなるかをお前に伝えておく義務があるわけだ」

「知ってどうするのって話のような気もするんだけど…………」

「知っていればフォローもできるだろう」


 知らないよりマシなはずだと言われれば九凪も頷く以外にはない。


「何事も事前に覚悟を決められるかで大きく違うからな」

「それはわかるけど…………」


 戸惑って動けない間も物事が致命的になってしまうことはよくある。覚悟が決まってさえいればそれを限りなく小さいものにはできるだろう。


「そもそも僕には当分恋人なんてできそうにないし」


 それであれば今すぐ覚悟を決める必要もないように九凪は思う。月夜の感情の重さについても時間と共に変わっていくものではないかとも彼は思うのだ。


「言っておくがあれは時間と共により重くなっていくタイプだぞ」


 けれどそんな彼の楽観的な考えを春明は否定する。


「答えを出すならできるだけ早い方がいい」

「…………そんなこと言われても相手がいないよ」


 そういう相手がいるなら最初からこんなことに放っていないはずなのだ。


「相手ならいるぞ」

「え?」

「三滝だ」

「……………ええ?」

 

 告げられた名前に目を丸くして九凪は春明を見る。


「い、いきなりなに?」

「あいつはお前のことが好きでな。少し前からアドバイスもしている。俺がお前を煽ったのは恋愛を意識させることもそうだが腰の引けてるあいつを焚きつけるためだ」

「だ、だから…………」


 なんでいきなりそんなことを明かすのだと九凪は困惑するしかない。


「言っただろう。結論は早い方がいい。このままあいつに任せてるとどんどんと引き延ばされていくだけだからな」


 だからもう明かしてしまうと春明は決めたらしい。


「心当たりはないのか?」

「…………そう言われればあるけど」


 自分が奏から好かれているのだとフィルターをかければ、確かに彼女のアプローチらしきものに心当たりはある。


「でもなんで僕を…………」


 その理由が九凪にはわからない。奏は才色兼備で魅力的な女性だ。凡庸な自分ではなくもっと釣り合いのとれる相手がいるはずだ…………例えば彼の目の前にいる友人のような。


「前から指摘するが自分を卑下するようなことをあまり口にするな。俺や三滝にあの子もお前を他に代わりのない存在だと評価している…………それを否定するのはその全員に対する侮辱になる」

「…………ごめん」


 もっと自分に自信を持てというのは昔から春明に九凪が言われていることだった。それでも自分が凡庸という意識はこれまで彼から消えなかったが…………確かにそれは自分を評価してくれている人たちの見る目を侮辱する行為だ。


「そういうわけだから三滝のことを恋愛対象だと意識してやれ」

「…………わかったよ」


 いきなりのことではあるが、それが本当なら本気で答えなくてはならないだろう。


「それとあの子のこともだ」

「…………月夜も?」 

「さっきナチュラルに対象から外しただろう」


 答えは早い方がいいという春明に九凪は相手がいないと答えた。それはつまり前提として月夜を選ぶことはないと彼が判断していたということだ。


「いやでもそれは…………」

「常識として当たり前だからではあの子は納得しねえぞ?」


 九凪の言葉を遮って春明は断じる。


「それが本気でお前が考えて出した答えならそれでいいけどな…………そうじゃないだろ? 一回常識とかそういうものを抜きにしてあの子について考えてみろ。そうやって本気で考えて抜いて出した答えなら多分あの子も納得してくれるだろうよ」


 なぜなら月夜は九凪のことが大好きなのだから。


「わかった」


 九凪は頷く。確かに春明に煽られて意識することはあっても、それが常識だから九凪はそれ以上を考えないようにしていた。それが間違っていたとは思わないけれど、真剣な答えじゃないと言われれば確かにその通りかもしれない。


「でもさ、春明」

「なんだ?」

「いやさ…………奏の気持ちを僕に勝手に明かしちゃってよかったの?」

「よくないに決まってるだろ」


 それはそれとして気になったことを九凪が尋ねると春明は渋い顔を浮かべる。自分の気持ちを勝手に思い人へ伝えられるなど良くないに決まっていた。黙っていればわからないことではあるが、九凪が基本的に正直な人間であることを考えればいずれ気づかれるに決まっている。それならば先んじて自分から明かした方が被害は小さいだろう。


「おかげで気が重い」


 自業自得ではあるのだが、少し遠い目をして春明は呟いた。

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