十九話 出発
「初めまして、あなた達が九凪君の御友人ですね。私は天津真昼、こちらの天津月夜の姉です」
微笑みながら自己紹介する真昼と対照的に月夜はぶすっとした表情を浮かべていた。しかしそれは九凪たちに対するものではなく真昼に対するものだ。
月夜からしてみれば楽しみにしていたデートに彼女が付いてきて出鼻から水を差された気分なのだろう。しかし当然ながら真昼当人に月夜のその不満を気にした様子はない。その代わりに戸惑うような九凪たちの雰囲気を感じ取る。
「おっと、少し配慮が足りませんでしたね」
長く人に紛れて生活している真昼だから、当然自分たちの存在が周囲に与える影響についても理解している。ただ彼女らに普通の人間は惹きつけられるものの同時に畏れ多いという印象を抱く。本能的に崇敬を感じるので直接声をかけたり騒いだりということはないのだ。
もちろん接触してこないというだけで注目はされる。しかし元々神として崇拝されていた真昼にとってそういった視線は慣れたもの…………ただ今回は違った。彼女と同じ存在である月夜に対しては無遠慮な視線を向けられずとも、一緒にいる九凪たち三人には向けられるのだ。
それに気づいた真昼の行動は単純だった。ただ周囲に向けて微笑んで見せただけ…………それだけで九凪たちに向けられた視線が一蹴される。彼女がやったのはその微笑みにこちらを意識するなという意思を込めただけだ。特に神通力を用いずとも普通の人間相手であればそれだけで効果がある。
「では改めてそちらのお名前も聞かせて頂けますか?」
九凪たちからすれば真昼が何か特別なことをしたようには見えない。しかし途端に興味を失ったように周囲からの視線は消えて、まるで狐に包まれたような気分だった。しかしそれも真昼が仕切り直したことで我を取り戻す。
「朝川春明です」
流石というか最初に名乗ったのは春明だった。すぐさま表情を取り繕い、普段の彼を知る人間からすれば信じられないようなほどに真面目な表情で口を開く。
「私は三滝奏です」
それで少し気が楽になったのか奏も続く。
「朝川君に三滝さんですね。今日は妹をよろしくお願いします」
「い、いえ…………こちらこそチケットなどありがとうございます」
深々と頭を下げられて動揺しながらもなんとか言葉を返せたのは春明の能力の高さゆえだろう。本能的に
「…………なーにが妹をよろしくお願いしますじゃ」
そんなやりとりをぶすっとした表情で月夜は見ていた。
「おはよう月夜、駄目だよそんな表情してちゃ」
「っ!?」
いつの間にか近くに来ていた九凪が月夜を見て苦笑していた。真昼に対する不満で彼に気づくのが遅れた彼女は大いに動揺する。九凪は真昼に自己紹介する必要もないから、不機嫌そうな月夜の様子を見に来たのだった。
「く、九凪…………こ、これは、ちがうのじゃ!?」
「何が違うの?」
月夜を落ち着かせるように優しい声色で九凪は尋ねる。
「わ、わしは一人で大丈夫じゃというのに真昼の奴が挨拶する必要があるからと強引に着いてきて……………それで」
「真昼さんも月夜のことが心配なんだよ」
月夜の気持ちは九凪にもわからないでもなかった。一人で大丈夫だと思っていることに保護者が乗り出してくると煩わしく感じるものだ。しかし同時に彼女を心配する真昼の気持ちもわかるので、彼は真昼のことを擁護する。
「…………九凪は月夜の肩を持つのか」
「僕も真昼さんの立場なら同じことをしただろうからね」
例え文句を言われても、きっと同行したことだろうと九凪は思う。
「それは、なぜじゃ?」
「月夜がそれくらい大事だってことだよ」
「そうか! ならばよい!」
それまでの不機嫌さもどこへやら、ぱあっと笑みを浮かべる月夜に自然と九凪も微笑む。
「相変わらず仲がいいわね」
「!?」
先ほどの月夜の反応と同じように、突然かけられた声に九凪も同様する。そちらを見れば何とも言えない表情で奏がこちらを見ていて、その隣では春明が何かに納得するような表情を浮かべていた。真昼だけはいつも通りというかこちらを見守るような微笑みを浮かべている。
「ええっと、今日は真昼さんも同行するんですか?」
動揺を誤魔化すために九凪は尋ねる。
「いえ、私は月夜を送りに来ただけですから皆さんを見送ったら帰ります」
「そうなんですか?」
「ええ、仕事もまだ残っていますしね」
少し残念そうに口にする真昼に九凪は少し罪悪感を覚える。彼女から貰った無料券でこちらは遊びに行くのに、真昼のほうは仕事というのはなんだか悪い気がしてしまう。
「ふふふ、気になるなら今度何か埋め合わせをしてくださいね」
「えっ」
「冗談ですよ。気にしなくていいですから楽しんできてください」
動揺する九凪をそれだけで満足だというように真昼は微笑んで見やる。
「そろそろ電車とやらの時間ではないのか?」
そこに真昼へ憮然とした表情を向けながら月夜が九凪の腕をとる。傍から見れば大好きなおにーちゃんをとられまいとする子供のようだった。それがまた真昼を微笑ましく感じさせて彼女の笑みを深めるのだが、その笑みがまた月夜の顔を不快気にしかめさせる。
「おっと、遅れて来たのにさらに時間を浪費させるわけにはいきませんね…………九凪君、これを」
真昼は懐から小さな財布を取り出すとそれを九凪へと差し出した。
「ええと、これは?」
「月夜の財布です」
受け取って尋ねる九凪に真昼はそう答える。
「この子はまだお金の扱いとかには慣れていないので、すみませんが九凪君の方で管理してあげてもらえますか? 電車代やお土産などを買うには十分な金額がいれてありますので」
「あー…………わかりました」
月夜くらいの年齢であればお金の管理くらい自分でまかせてもいいのではと一瞬九凪は思ったが、最初に会った時のことを思い出してすぐに思いなおす。使い慣れていない子にお金を持たせておくのは確かに不安だ。
「ちゃんと九凪君の言うことを聞くんですよ?」
「言われなくてもわかっておるわ!」
子供に言い聞かせるようなもの言いに月夜は睨んで返す。彼女の素性を知っているはずなのにその態度は彼女からすれば馬鹿にされているとしか思えない。
「そろそろ時間になっちゃうわよ?」
「あ、そうだね」
指摘する奏に九凪が頷く。別に一本くらい電車が遅れて問題はないが、遅れないで済むならそのほうがいいに決まっている。
「それじゃあ真昼さん」
「はい、楽しんできてくださいね」
手を振る真昼にこちらも手を振り返して、九凪たちは駅のホームへと向かった。
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