十五話 それぞれの本気

「恋人ねえ」


 月夜や奏と別れて家に戻り、自室の床に転がりながら九凪は呟く。特に見るものがあったわけでもなく賑やかしにつけていたテレビはちょうど恋愛ドラマを流し始めたところだった。そのタイミングもあってぼんやりと九凪はテレビへと視線を向ける。


「…………」


 日常のちょっとした出来事から相手が気になって、ふとしたことでそれが恋愛感情だと気づく。恋愛では定番とでもいうべき展開がドラマでは演じられているがいまいち九凪はピンと来なかった。


 思えば九凪は誰かを恋愛的な意味で好きになったことがない。もちろん誰かを好ましいと思うくらいのことはあったが、その誰かと恋仲になりたいと思うほどではなかった…………それは単にお前が臆病なだけだと春明に言われたことがある。臆病だから誰かを好きになって拒絶されるのを恐れているのだと。


「自己評価が低すぎるせいだとも言われたっけ…………」


 九凪は自分が凡庸であると自覚している。だからこそ相手と釣り合いが取れないと最初から諦めてそういう意識をしないようにしているのだと春明は分析していた。別にお前はそんなに凡庸ではないぞと彼にも言われているのだけど、自己意識がなかなか変わるものでもない。


「ドキドキねえ」


 テレビの中ではヒロインが思い人へのドキドキが抑えられないと胸を押さえている。少なくとも九凪は異性に対してそんなドキドキしたことはない…………いやあった。つい最近月夜にいきなり膝に乗られて体を押し付けられて、それで心臓が高鳴ったのは間違いない。


「……………っ」


 いやない、それは違う。確かにドキドキはしたがそれは社会的な信用が崖っぷち立ったというようなドキドキのはずだ。決して恋愛対象として月夜を見てしまったということによるドキドキではない。


「…………全部春明のせいだよ、全く」


 あんな風に焚きつけられなければこんな意識することもなかったはずなのだ。


「恋人ねえ」


 もう一度呟く。確かにそれが出来れば奏の言う通りこんな意識なんてしなくても済むのだろう。


 しかし、それが出来れば最初から苦労はしないのだ。


                ◇


「どう、頑張ったわよ」

「うむ、まあお前にしては頑張ったほうではある」


 自室で奏は今日のことを春明に報告していた。周囲からはクールで大人びているとみられることの多い彼女だが、その自室はイメージに反して少女趣味だった。可愛らしい柄のカーテンや壁紙に並べられたぬいぐるみ。特にお気に入りの大きなクマのぬいぐるみは彼女自身がスマホ片手に抱きかかえていた。


「しかし喜び勇んで報告するほどでもないだろう」

「あんたが私を焚きつけたからでしょうが」


 だから話を聞く義務とアドバイスの一つもする義務があると奏は思っている…………別に彼女にこんな立ち入った相談を出来るような相手が他にいないからでは断じてない。


「だから電話を切らずに聞いてやっているだろうが。それがしょうもない話でもな」

「しょうもないってなによ」


 奏からすれば勇気を奮い立たせて行動した結果なのだ。


「せいぜい五十点くらいのがんばりを勝ち誇って語られたらしょうもなく聞こえるもんだろ」

「ご、五十点ですって」

「五十点だ」


 間違いではないと春明は繰り返す。


「確かにお前自ら九凪と件の少女のもとに出向いたのは評価する。九凪に恋人を作ればいいのだと提案したのもよくやった…………だがその先が頂けねえな。なんでそこで自分が恋人になってやると言わねえんだ」

「そんなこと言えるわけないじゃない!」


 あの場で九凪に告白できるようならとっくの昔に告白できている。自分にそんな勇気がないことは百も承知しているからこそ、奏はなけなしの勇気を振り絞って一歩ずつ歩みだそうとしているのだ。いきなり九凪の懐まで踏み込めと言われても無理に決まっている。


「あのなあ、別に本気の告白をしろとは言ってねえだろ」

「…………どういう意味よ」

「こういうもんは形から入ったっていいんだよ。相手がいないなら私がそのふりをしてあげようかとでも提案すりゃあ、押しに弱いあいつのことだから受けただろうよ。そうしたらその対場を利用して散々九凪に意識させてやりゃあいい…………そうすりゃお前から告白できなくてもそのうち向こうからしてくるさ」

「あのねえ、それくらい私が考えなかったとでも思ってるの?」


 そんな馬鹿じゃないと奏は返す。確かに彼女には踏み出す勇気がないが、だからこそ踏み出さないで九凪との距離を縮める方法を必死で考えている。だから今春明が挙げたような考えくらいあの時にも思い浮かんではいたのだ。


「じゃあなんでそう提案しなかった」


 それは普通の告白と違って断られてもリスクは無い。普通に告白すれば結果次第で関係が気まずくなることもあるだろうが、これに関しては断られてもそれだけで済む。


「本気だったからよ」

「あん? お前がか?」


 本気ならそれこそ縋りつけよと春明は思うのだが。


「私じゃない。いや、私も本気だけど…………あの子がよ」

「あの子っつーと件の少女か」


 九凪が偶然に知り合ったという重い事情があると思われる少女。春明は直接目にしたことがないが、異性に興味を示さなかった九凪が珍しくその容姿と雰囲気を称賛していた。


「お前の目から見てその子が本気で九凪に恋してたと?」

「そうよ」


 奏は断言する。見ていない春明にはわからないが、同性である彼女からすれば確かだったのだろう…………しかしそれは彼からすればライバルの存在に焦る理由にはなっても、戦略的に有効な手段を捨てる理由にはならない。


「本気だったの」


 けれど奏はもう一度その言葉を繰り返す。


「あんなにあの子は本気で高天のことが好きなのに、それを嘘で諦めさせていいわけないでしょう…………結局は泣かせちゃうにしても、正々堂々勝った結果じゃないと駄目だわ」

「そんなこと言ってお前が泣く側にならなきゃいいがな」

「…………うるさいわね」


 険のこもった声に自分を睨む奏の姿が春明には容易に思い浮かんだ。それに苦笑しつつも冷静に見て空回りな彼女に彼は呆れるというか不憫さすら覚える。


「いい女なんだがなあ」


 心底そう思うだけに不憫さが際立つ。


「いきなり何よ」

「なんでそういうところを九凪じゃなくて俺に見せるかねえ」


 致命的に、そういう部分を見せる相手が間違っているのが三滝奏という女だった。


「だから」

「まあ、せいぜい頑張れ」


 問い質そうとする奏を遮るように春明は通話を切る。かけ直されても面倒なのでそのまま電源自体も切ってしまった。


「しかし、ふむ」


 自分の周囲で停滞していた人間関係はようやく動き出して行きつく所まで行きそうだ。そしてそのきっかけとなったのは一人の少女であり、その存在は恐らく結末までその中心に居座り続けるという予感がある。


「一度俺も会ってみたいものだな」


 傍観者から踏み出すつもりはないが、役者の顔くらいは確認しておきたいと春明は思う。

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