十四話 この世の終わりのような

 世話をしていると年下の少女からの好意に困っているのなら、先に恋人を作って諦めさせてしまえばいい。冗談めかしてそう口にした奏ではあるが、その心臓はばくばくと破裂しそうなくらいに高鳴っていた。


「どう? それならあの子が仮に本気でもあきらめるだろうし、周りに変な誤解されることもなくなるわよ?」


 それでも表面上は取り繕ってさらに続けて見せる。普段から本心を隠して九凪に接しているからこういう時でもすっと内心を隠して話すことができた…………彼女としては自分の勇気のなさゆえのことで誇れる話ではないのだが。


「それはそうなんだけど…………相手がいないよ」


 困ったように九凪は苦笑する。ここで私がいるじゃないと言えるようなら奏が今日まで自分の勇気のなさを恨めしく思うこともない…………それでいて聡い彼女は余計なことには気づいてしまう。


 そういう発言を躊躇いなく言えてしまう時点で、彼は自分に友人以上の感情を抱いていないのだと。


「な、なに言ってんのよ、情けない!」


 ふっとわいた暗い感情をごまかすように奏は九凪の肩を叩く。


「相手がいないなら見つければいいだけでしょ!」

「いやそういう目的で相手を探すのも失礼だと思うよ」

「相手にもきちんと本気で向き合えばいいだけよ」

「…………そういうものかな?」

「そういうもんよ」


 まるで経験者のように奏は頷いて見せるが、背筋には冷や汗をかいている。


「あんまりそういうの考えたこともなかったなあ…………」


 思い返してみると恋愛には縁遠い人生だなと九凪は思う。春明はあれで陸上部のエースだから後輩女子に慕われているし、大会でも活躍しているのでファンから告白されることもあるらしい。しかし九凪は特に秀でたところもない平々凡々な人間で、告白されたような経験はもちろんない。


 問題なのは多分そのことに何の不満もなかったことじゃないかと思う。不満があれば告白されるような人間になるべく自分を磨いたかもしれないし、そうでなくても今の自分を受け入れる相手を探したことだろう…………結局のところ九凪は恋愛に興味を持てなかったというのが全てだった。


「三滝は考えたことあるの?」


 自分の中で結論が出て、何気なく九凪は尋ねる。聞けば参考になるだろうかという何気ない気持ちであり、当然ながら奏が自分をどう思っているかなどまるで考えていない。


「あるわよ」


 それに少しいらっとしたように奏は返す。


「ええと、ごめん」

「なんで謝るのよ」


 とりあえず九凪が謝罪すると奏はさらに不機嫌な表情になる。


「…………何か無神経だったかな?」


 伺うように自分を見る九凪に奏は何をやっているんだろうかと自嘲する。確かに彼は無神経ではあったが、そもそも自分が振った話題だし奏の内心など知らないのだから仕方のない話でもある…………少しくらい想像してくれてもいいのにとは思うが。


「なんでもない。それよりいい加減あの子を放っておくのも悪いから戻るわよ」

「ええと、うん、そうだね」


 強引に話を打ち切る奏に九凪は戸惑うが、彼女がそう言うならいいのだろうかと祖霊所は何も言わずに従った。


 そしてそれからは三人で他愛のない会話をして、解散した。


                ◇


 ぱちぱちぱちぱちぱちぱち。


「いやなんじゃいきなり」


 もはやアパートに帰って真昼の姿があることには慣れた月夜ではあるが、入っていきなり拍手で迎えられると戸惑いを通り越して不気味さを覚える。それもいつものような張り付いた笑みを浮かべたまま正確なリズムでの拍手だからなおさらだった。


「見ての通りあなたを称えているのですが?」

「そのように見えぬから尋ねておる…………というかそれが本当だとしても理由がわからぬでは不気味でしかないわ」

「ケーキもありますよ?」


 見やればテーブルの上にはイチゴたっぷりのホールのケーキが丸ごとおいてあった。甘い香りのそれ自体は月夜も興味の惹かれるものではあるが、やはり理由がわからないので不気味でしかなかった。


「だから、なんなんじゃ?」

「それはもちろん、よく我慢しましたねという話ですよ」

「いやほんとなんなんじゃ」


 わがままを我慢した子供を褒めるような物言いにも怒りより戸惑いが勝った。


「いやほら、今日はあの子との会っている時にその友人の女性がやって来たでしょう?」

「うむ、それがどうかしたのか?」

「よく殺さないよう我慢しましたねと私は褒めているわけです」

「…………おまえわしを馬鹿にしておるのか?」


 そんなことはそもそもしないのが当たり前で我慢するような話でもない。それをわざわざ褒められるのは馬鹿にされているように月夜には思える。


「彼女のことを何とも思わなかったのですか?」

「わしがあの娘に殺意を覚える理由でもあるのか?」

「…………」

「なんじゃその顔は」


 信じられないというような顔を浮かべる真昼に九凪は顔をしかめる。


「一応確認しておきますが、あの娘があの子に恋愛感情を抱いていることには気づいていますよね?」


 それを尋ねるのはリスクでもあったが、真昼としてはまず確認しておく必要があった。


「そんなことに気づかぬほどわしは愚鈍ではないぞ?」

「ですがそのまま見過ごしたと?」

「いやほんと、お前はわしをなんだと思っておるのじゃ?」


 流石に不遜だろうと月夜は真昼を見やる。


「九凪にもわしと過ごす以外の場所があることはきちんと理解しておる…………それであれば様々な人間との付き合いもあろう。その中に九凪を慕うような相手がおったとしてもおかしくはあるまい」

「まあ、その通りですね」


 それをしっかりと月夜が理解しているというのが真昼には意外だったが。


「それに九凪の気持ちがあの娘に向いておらぬのはまるわかりじゃ…………大切には思っておるようじゃがそれはあくまで友人としてでしかない」


 付け加えるようなその言葉にはどこか安堵したような感情が含まれていた…………余裕の正体はこれかと真昼は判断する。九凪が奏に対して何の恋愛感情も抱いていない事は神である自分たちにははっきりと伝わる。だからこそ月夜は奏を自分の障害ではないと認識して敵意を覚えることはなかったのだ。


「ですが、それはあくまで今の話です」


 しかしそれであれば真昼としてはさらなる確認が必要だ。


「人間の気持ちとは移ろうものです…………あの娘が勇気を振り絞って行動を起こせばあの子も気持ちを揺れ動かされるかもしれない」

「…………あの娘は九凪の趣味では無かろう」

「趣味でなくとも気持ちが移ろうことはあります」


 実際問題難しいだろうなと真昼は思ってはいる。趣味云々は月夜の恋愛対象にならないようにという方便に近くはあるが、そもそも九凪自体が恋愛に消極的だ。そしてそれを揺り動かすための行動をする勇気が奏には欠けている。


「もしもあの子があの娘を好きだと言ったら…………あなたはどうしますか?」


 ただそれでも、万が一に備えて真昼はそれを聞いておかねばならない。


「…………どうしてそんな悲しいことを想像させるのじゃ?」


 真昼の言葉に月夜はこの世の終わりのような表情を浮かべる。その事態を思い浮かべた、それだけで彼女は泣きそうになっていたのだ。


「ええと、すみません…………」


 思わず、真昼は本心からの謝罪を珍しく口にしていた。

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