十話 年上
「約束通りお菓子を焼いてきたよ…………凝ったものは準備する時間がなかったからクッキーだけどね」
いつもの様に公園で月夜は待っていた。九凪を見て笑顔でベンチから立ち上がる彼女に彼は鞄から取り出したクッキーの包みを見せる。その時にようやく彼は奏に渡し忘れた包みに気づくが、まあしょうがないかとそのことは一旦意識の外に追いやる。別に奏には渡す約束をしたわけではないのだし。
「おお、クッキーとな! 知っておるぞ! 小麦粉を練って焼いたお菓子なのじゃろ!」
「まあ、砂糖とかバターとかも一緒にね」
明らかに食べたことのないもの言いに九凪は月夜の境遇を思う。クッキーなんてありふれたものを食べたことがないなんて、本当に閉鎖された環境に置かれていたのだろう。
「ふおお、香ばしくて甘い匂いがするのじゃ!」
九凪が袋を手渡すと月夜はそこから香る匂いに顔をほころばせる。
「さっそく食べてよいか?」
「もちろん」
上目遣いに尋ねる月夜に九凪は頷く。
「ではここに座るのじゃ」
すると月夜は彼の手を引いてベンチへと促した…………先に九凪を座らせようとしている時点で彼女の意図は明らかだろう。
「もしかしてまた僕の膝の上に座りたいの?」
「うむ!」
元気よく頷かれた。偽る気もないのが実にすがすがしい。
「駄目なのか?」
「…………いいよ」
急に笑顔を曇らせて悲しそうな表情で視線を向けられたら九凪に断れるはずもない。彼は諦めてベンチへと腰掛ける。
「くふふ、相変わらず良い座り心地じゃ!」
「男の膝なんて固いだけだよ」
「それが良いのじゃ!」
そう答えながら月夜はもたれ掛かってくる。それも隙間を許さぬとべったりと張り付いてその体温をしっかりと伝えてきた。
「では頂くのじゃ~!」
そしてその姿勢のまま月夜はクッキーの袋を開けると一つ掴んで顔の前へ掲げる。まるで宝物を見るように目を大きく開いて彼女はそれを見つめた。
「これをわしのために作ってくれたのじゃな?」
「ああううん、そうだよ」
膝の上から自分を見上げる月夜に九凪は頷く。元は自分で食べるために始めた趣味だったので、おすそ分けすることはあっても誰かのために作ったのは思えば初めてだったかもしれない。
「そうか、わしが初めてか。それは嬉しいのう」
「え」
口に出してはいなかったはずではと彼は戸惑う。
「ではその味を確かめるとしようかのう」
しかしそんな九凪の反応を他所に月夜は手にしたクッキーを口へと運ぶ。さくりという心地のいい音と共に砕けた破片が彼女の口の中へと広がっていく。
「ふおおおお、しゅーくりーむのような強烈な甘さではないがこれもよい! 特に九凪の手作りでその感情がこもっているところがよいぞ!」
大切に味わうようにクッキーを
「もっと食べても良いか?」
「もちろん。それは月夜にあげたものだからね」
「くふふ、美味しいのじゃ~」
満面の笑みで九凪は一つ二つとクッキーをつまんでいく。
「あ」
しかし九凪が彼女に渡したのは手のひらほどの大きさの包みだ。大した量が入っていたわけではないのでクッキーはすぐに少なくなって袋の底が見えてしまう。
「もうこんなに少なくなってしまったのじゃ」
本当に寂しそうな声で月夜は呟く。
「ええと、よかったらもう一つあげるよ」
「本当か!」
「うん」
幸い、というか奏に渡し損ねた分がある。さらに鞄の中にはそれともう一つ袋があった。
「はいどうぞ」
「ありがとうなのじゃ!」
喜んで受け取る月夜に、九凪はもう一つの袋を取り出す。
「あ、それとこれはお姉さんに渡してくれるかな」
「…………真昼にか?」
「うん」
なぜ、と
「九凪は真昼のような女が好みなのか?」
「ええと、なんでそんな話に…………別にこれはそういう意図じゃなくてただの御裾分けみたいなものだよ」
妹さんに変なものは食べさせてませんよというアピールの意味もある。真昼は確かにきれいな人だなとは九凪は思ったが、まだ一度会っただけでそんな感情は抱くような関係でもないだろうと思う。
「それならばよい、預かっておくのじゃ」
彼の言葉に納得したように月夜は袋を受け取る。そんな彼女の態度にまさか自分が真昼さんに気があると思って嫉妬したのだろうかと九凪は考えて…………いや、まさかと彼は首を振る。
月夜から好意を抱かれているのは流石に九凪にだってわかるが、それが親愛ではなく恋愛感情だと決まったわけではないのだ。
「…………九凪は年上が好みではないのか?」
けれど納得したはずの月夜がそんなことを尋ねてくる。これはどう答えるべきだろうかと彼は今しがたの月夜の反応を思い出しながら考えるが…………いっそ肯定してみるのも手だろうかと思い浮かぶ。
ここで年上が好みだと答えておけば、仮に九凪を恋愛対象としてみているのだとしても幼い月夜は恋愛対象にはならないと諦めてくれるのではないだろうか。
「どちらかと言えば年上が好みではあるよ」
「そうか!」
しかしその反応は九凪の予想は違ってとても嬉しそうだった。やはり真昼のことが好きなのかと蒸し返してくる可能性も考えていたのだが、全くその様子もない。
「そうか、九凪は年上が好みなのか」
まるで自分のことのように月夜は嬉しそうだった。
そんな彼女の様子が、九凪には全く理解できなかった。
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