三話 姉妹のようなもの

「ええと、はじめまして。高間九凪です」


 突然現れた真昼と名乗る女性に丁寧な挨拶をされて、戸惑いながらも九凪は名乗り返した。苗字が同じということは月夜の家族だろうかと彼女のほうに視線を向けると、当の月夜は頬を膨らませて真昼を睨むように見ていた。


「なぜおまえが出てくるのじゃ!」

「なぜも何も私はあなたの保護者ですからね」


 批難する月夜に真昼はやんわりと返す。それはその見た目通りに大人と子供のやり取りだった。


「あの、保護者って言うと…………?」

「はい、少し歳は離れていますが私はこの子の姉です」


 割り込んで尋ねると微笑と共にそう返される…………母親にしては流石に若すぎるし姉というのも彼女自身が口にした通り歳が離れているが、すんなりと九凪は納得できた。少なくとも二人が親族だというのは、感じる気配というか雰囲気が似通っているように感じられるので疑うべくもなかったのだ。


「わしはお前が姉などとは認めぬと言っておろう!」

「あなたが認めようが認めまいがもう法律上はそうなっているんですよ」


 だから文句があろうと意味がないのだと真昼は肩を竦める。


「それにその言葉遣い、正した方がいいと言ったはずですけど」

「ふん、九凪はこれでよいと言ってくれたのじゃ!」


 胸を張る月夜に、真昼が彼のほうへと視線を向ける。


「すみません…………無理するよりは自然な方がいいと思って」


 それを批難の視線と受け取って九凪は素直に認める。自分が間違っていたと彼は思わないが、真昼が矯正しようと考えていたのなら余計なことをしたのは間違いない…………社会的に見れば正しいのも彼女のほうだろうし。


「いえまあ、あなたがそれでいいなら私も構いませんよ」

「え」


 しかし真昼はならそれで構わないと表情を緩める。


「あの」

「あなたもうすうす感づいていると思いますがこの子は特殊な事情の中で育ちました」


 それがどういう意図なのか尋ねようとした九凪を遮って真昼は語り始める。


「その事情がなんであるかはあえて具体的には語りません…………ですが、月夜が世間から隔絶された環境で育ったということは伝えておきます。世情に薄かったり言葉遣いがおかしかったりするのはそれが原因と思っていただいて構いませんよ」

「…………そうですか」


 やはり想像していたように宗教組織の中で隔離されて育ったというような方向の事情なのだろうと九凪は納得する。


「ですが私があの子を引き取ったことでその環境からは解放されました。今は私と二人暮らしということで、その辺りの事情は察して頂けるものと思います」

「…………はい」


 歳の離れた妹を引き取って二人暮らし、両親の話を口にしないで察しろという辺り前後の話も重なって口にしがたい事情があるのだろうと九凪は想像できてしまう。


「とまあ、そのような事情もありましてこの子は同年代からも浮いてしまっていましてね。現状では学校に通うのも少し難しい状況でして。ですが私も仕事がありますから付きっきりでフォローしてあげるようなことも難しい…………どうしたものかと思っていたらあなたのことを楽しそうにあの子が話してくれたわけです」

「なっ!?」


 口を挟めず渋い顔で二人のやり取りを聞いていた月夜がそこで声を挙げる。


「わしはそんな楽しそうになどと…………」

「それはもう実に楽しそうで嬉しそうで、そんな顔を見るのはこの子を引きとって初めてのことでしてね」


 抗議する月夜を無視して真昼は重ねて強調する。


「ですのでその相手を一目確認しておきたくて、こうして厚かましくも挨拶をさせて頂きに来たということなのですよ。突然で驚いたでしょう?」

「ええと、それは構いませんというか…………心配して当然ですし」


 世間知らずの妹が突然偶然出会った相手にシュークリームを奢ってもらったとはしゃいでいたら…………それは普通に考えて相手を確認しようと思うだろう。そう見られる可能性はあるかもと九凪も想定はしていたが、実際にその立場になると心に来るものがある。


「ああ、別にあなたが邪な考えを抱いているとかそういう心配はしていませんよ。妹も私もそういう気配には敏感ですので」

「…………そう、なんですか?」


 顔に出ていたのか九凪の不安を払拭するように真昼が微笑む。


「ええ、こうして面と向かってみてみればよく感じられます…………あなたはとても良い性根をお持ちのようだ」

「そんなことは、ないと思います、けど」


 まっすぐに見つめられて思わず真昼から彼は目をそらしてしまう。見透かされているというよりなんだか気恥ずかしい感じがしたのだ…………母親に褒められている感覚というか、近しい人に温かく見守られているような気分を覚えた。


「むう!」

「おや、機嫌を損ねてしまいましたか」


 そんな二人の様子に不満そうに唸った月夜を見て真昼はくすくすと笑う。


「心配しなくてもとりませんよ」

「そんなことは言っておらん!」

「言わなくてもわかりますよ」


 憤る月夜を真昼はにこにことした表情見つめる。実に楽しげだった。


「とまあ、事情はそんなところです」

「あ、はい」


 その視線が不意に自分に戻って、反射的に九凪は頷く。


「見ての通りあまり素直な子ではありませんが、できれば今後とも相手をしてあげてくれると私も助かります」

「それは構いませんけど…………いいんですか?」

「ええ、保護者公認です」


 信用している、そういう表情だった。


「わかりました…………まあ、僕に何ができるかもわかりませんけど」


 そこまで見込まれては九凪としても断ることができるはずもない…………もちろん、ただの学生に過ぎない彼が何か特別なことができるとも思っていないが。


「別にそう構える必要はないんですよ。ただあの子と普通に過ごしてあげてくれるだけで構いません。先日のように何かを食べたりどこかへ出かけたりしてもいいですし、ただ話し相手になってくれるだけでもいいのです」


 そう言ってから、真昼は少し悪戯げな笑みを浮かべる。


「もちろん、公認とはいえエッチなことは控えてほしいですけれどね」

「えっ!?」

「なっ!?」


 九凪と月夜がそれぞれ動揺したような声を漏らす。


「なななな、お前はいったい何を!?」

「ないですから!」


 動揺した月夜がその真意を問いただそうとするのを他所に、それだけは否定しなければと言うように九凪は必死で叫ぶ。


「僕が彼女に手を出すようなことは絶対にないと約束しておきます!」


 それだけは明確にしておかないと自分の社会的信用が死ぬと九凪は理解している。


「ふふふ、常識的ですね」

「冗談なのはわかってますけど…………勘弁してください」


 言っていい冗談と悪い冗談があるのだと、流石に九凪も微笑む真昼へ批難の視線を向ける。


「…………そうか、絶対に手は出さぬのか」


 その横で小さく呟いた月夜のその言葉は、彼の耳には届かなかった。

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