二話 焚きつけと再会

「ちょっと」


 放課後になり、部活へ赴こうとしていた春明へと奏の声が掛かる。振り返るとそこにはいつも以上に仏頂面で自分を睨みつける彼女の姿があった…………まあ、予想はしていたので彼も驚きはしない。


 九凪は部活に入っていないので先に帰っているし、廊下には他の生徒の姿もないのを春明は確認して彼女を見やる。


「おう、三滝かどうした」


 それでも白々しく何の用かわからないという仕草をして見せる春明に、奏はさらに顔をしかめる。


「あんな風に高天をきつけてどういうつもりよ」

「あんな風にって?」

「高天に小学生を恋愛対象として見るように誘導したでしょうが!」

「誘導とは言いすぎだな…………精々意識する程度に印象付けた程度だろ。それにしたって普通に考えりゃ身に染みついた常識のほうが勝つに決まってる」


 九凪が次にその少女に会った時にあの会話がふと頭には浮かぶかもしれない…………しかしすぐにいやそれはないと首を振ることだろう。その少女がよっぽどの魔性でも抱えていない限りはその結果が覆ることはないはずだ。


「それがわかっててなんでやったのよ」

「そりゃ可能性は低くてもあいつが本気になったら面白いだろ?」

「…………あなた本当に高天の友達なの?」

「当たり前だろうが」


 どう考えても友人に対する発言ではないと奏はドン引きしたが、一点の曇りもなく春明は肯定する。


「あいつは色恋沙汰に縁がなさすぎるからな、珍しく異性に興味を抱いたこの機会に少しでも意識させとかないと一生を独り身でおえかねん」

「だからって小学生相手に焚きつけることはないでしょうが」

「昼にも言ったが年齢差に関しては互いに成人すれば問題ない。それまでは節度あるお付き合いをすればいいだけの話だ…………それが出来るくらいにはあいつは誠実だしな。むしろそれくらい気の長いお付き合いのほうがあいつには合ってるかもしれん」

「そんなの…………」

「もっとも理由としてそれは半分で、俺としてはもう半分のほうが本命だ」


 何か言おうとした奏をさえぎって、春明は挑発するような笑みを浮かべる。


「気が強そうに見えるくせに恋愛ごとには臆病で勇気が出せない友人が、これで少しは焦ってくれないかという期待を込めたわけだ」

「なっ!?」


 わかりやすく顔を真っ赤にする奏に、春明はくくくと笑って背を向ける。


「せいぜい小学生に負けないように頑張ってくれよ!」

「あ、あんたねえ!」

「じゃあな」


 動揺を立て直して怒鳴りつけようとする奏を他所に、春明は陸上で鍛えた足を使って素早くその場を立ち去った。


                ◇


 そもそも、そもそもの話だと自宅への帰路で九凪は考えていた。春明の目論見通りというか彼の頭には昼の会話が印象深く蠢いていたが、別にそれで気の迷いのような感情を抱くことなく九凪は冷静にその物事を判断できていた。


「そもそも、また会うとは限らないんだよな」


 高校に入学してから半年近く同じ道を通って帰っているが、彼があの少女に出会ったのは昨日が初めてだった。それを考えると九凪が再びあの少女に偶然再会するという可能性はずいぶんと低いものなんじゃないかと思うのだ。


「厳しい家庭みたいだったし」


 九凪の予想があっていればあの少女はいいところのお嬢様だが、かなりしつけの厳しい家庭で育っているように思う。その発散があんな形となって表れたのだと思うけど、だからこそ次が無いようより厳しく監視されたりするんじゃないかと思う…………それならばもう少し何かしてあげられたことがあったんじゃないかと彼は思ってしまうが。


「あ、九凪!」


 しかしそんなことを考えつつ公園の前を通り過ぎようとしたら呼び止める声がする。見やれば公園のベンチのところであの少女が満面の笑みでこちらへと手を振っていた。


「あー、もしかして…………待ってたの、かな」


 その呟きを肯定するように少女は手を振って彼を招いていた。それを無視して去るような薄情な真似はできないし、このまま立っていてまた少女が彼を呼べば余計な注目を集めることになるかもしれない…………そもそも迷うような話でもないのだ。


 春明のせいで余計な意識をしてしまったが、偶々知り合った年下の子と再会したというだけでそこに特別な意味があるわけでもない。


「ええと、昨日ぶりだね」

「うん!」


 歩み寄って声をかけると笑顔で少女は頷く。


「もしかして僕を待ってた?」

「そうなのじ…………そうだよ!」


 言い直す少女にその言葉遣いを昨日とは変えようとしているのだと気づく。昨日は少女らしからぬ老人のような口調で、その発言的に神様とかそういうものを演じようとしていたのだと思ったけれど…………違ったのだろうかと九凪は疑問に思う。これだと普段の口調がああであったのを今は抑えようとしているように見えるからだ。


「それで、僕に何か用かな?」

「う…ん! そうなの…………昨日のお礼を、言おうと思って」

「…………何か無理してない?」

 

 つっかえづっかえ喋る少女に思わず九凪は尋ねる。やはり昨日の喋り方が少女にとって自然なのは間違いない。それを無理して普通に喋ろうとしているようにしか彼には見えなかった。


「そ、そんなことはないのじ…………ないよ」

「いや別に隠さなくても…………昨日みたいな喋り方で大丈夫だよ」


 確かに少女らしからぬ口調ではあったのだけど、不思議と彼女には合っていたように今は思える。無理がわかるほどに普通の口調が喋りなれていないというのなら、それを強要する気には九凪にはなれなかった。


「しかし…………これは普通ではないのじゃろう」

「まあ確かに普通じゃないけど…………それも個性だと僕は思うし、少なくとも僕は気にしないよ」

「そうか!」


 とても嬉しそうに少女が顔を輝かせる。それに九凪は自分の答えが間違っていなかったことを確信するけれど…………しかしそんな口調が日常のものとなるなんて一体どういう家庭環境なのだろうかとますます疑問が浮かぶ。


 これまで彼が推測した情報から考えると厳しい家庭で、しかしあの口調は矯正せず良しとする環境…………宗教? この少女が何かしらの宗教団体で現人神のような扱いを受けていると考えると全部筋が通るような気もする。


「どうかしたのか?」

「いや、なんでもないよ」


 推測想像全ては確証もない話でしかない。変な偏見で少女を見るべきではないだろうと九凪はそれらの考えをいったん放り捨てることにした。


「それで九凪…………あ、今更じゃが九凪と呼んでも良いか?」

「それは構わないけど…………」


 そこでふと気づく。


「そういえば君の名前を聞いてなかったね」


 タイミングがなかったというか、昨日はあまり関わりすぎないようにしようとする意識あったからか彼らか尋ねることなかった。


「うむ、わしは月夜じゃ!」

「月夜…………いい名前だね。苗字は?」

「苗字か…………うん、苗字?」


 戸惑ったような表情を浮かべる少女……月夜に九凪のほうも戸惑う。なぜそこで戸惑われるのかが彼にはわからない。


天津あまつ、ですよ。その子は天津月夜です」


 すると別のところから声が掛けられて、彼が視線を向けるとそこにはスーツ姿の女性が立っていた。


「初めまして九凪君。私は天津真昼と申します」


 一礼して九凪にそう名乗ると、その女性はにっこりと微笑んだ。

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