紺碧の楽園 ~南国の海の王は北国の不遇な軍神王子を溺愛する~

日崎アユム/丹羽夏子

第1章 ひどい展開はさらにひどい展開へ

第1話 ブルヤ総督府焼き討ち事件について

 アウシュリスが城塞の屋上にて双眼鏡で平地に展開する敵軍の陣をにらむように見つめていたところ、後ろから声を掛けられた。


「殿下!」


 甲冑の鉄板が乱雑にこすれ合う音と荒い息の声が聞こえる。どうやら焦っているらしい。こと戦場においては焦りは禁物だ。だいたい今回の戦は勝ち戦である。何をいまさらとたしなめようと思って振り向くと、真っ青な顔をした見慣れぬ若い騎士がひざまずいていた。


「貴様は誰だ」

「私はブルヤの守備隊に所属する伝令兵です」


 ブルヤ、というのは、このイステア王国の南部州の州都である。アウシュリスは今北方の国との戦争中で、この平原からブルヤまでは中間地点にある王都エレファを経由して馬で一週間かかる。この伝令兵はそんな長距離をこんな顔で駆けてきたのだろうか。


「ブルヤで何かあったのか」


 非常事態であることを感じ取ったアウシュリスは、かたわらにいた親衛隊の騎士に双眼鏡を預けて、伝令兵のほうを向いた。

 伝令兵がかしこまった様子でうつむく。出てくる声が震えている。


「総督府が焼け落ちました」


 思わず「はあ?」と言ってしまった。


「どこの? ブルヤのか」

「はい」

「何か不始末があったのか?」

「ガラサの民が火を放ちました」


 すぐには状況を呑み込めなかった。


 ブルヤは風光明媚な土地柄で、青い空、青い海を誇る、常夏の港町だ。しかしそののどかな景色、穏やかな気候に反して、支配者であるイステア人と先住民であり被支配者であるガラサの民の関係は良好とは言いがたい。

 三年前、ブルヤで働いていたガラサの民が反乱を起こした。アウシュリスは王にその鎮圧を命じられてブルヤに赴任したのだが、あれも後味の悪い軍事行動だった。後味の良い軍事行動などアウシュリスが軍の指揮官になってから一度たりともなかったけれど、ガラサの民の件はとりわけ思い出したくない。でも、ガラサの民の側は蒸し返したいということか。


「また焼き討ちされたのか」


 伝令兵がさらに縮こまる。


「申し訳ございません、我々がいながらこのていたらく、こんなことならガラサの民をもっと絞っておくべきでした」

「ちょっと待て」


 予想外の言葉に、眉を吊り上げる。


「絞るとは何だ? まさか貴様ら、あのあともガラサの民から無理な収奪を続けていたわけではあるまいな?」

「とんでもない。奴らは、慈悲深い我らがイステア王が、ガラサの女子供に仕事を与えてやっているのが不満のようです」


 アウシュリスは目眩を感じた。

 王がふたたびガラサの女子供に労働を強いていたというのか。

 聞いていない。

 アウシュリスは王族として政府の要人も兼ねているが、先住民を国の仕事に徴用するのはたとえ大人の男であっても慎重にならなければならないと思っている。しかし、その上司であり国の最高権力者である王はまったくそんなことは思っていなくて、女子供にまで何かをさせている。何度同じことを繰り返せば気が済むのか。


「女子供に何の仕事をさせている?」

「総督府の役人に仕える仕事です」

「具体的には?」


 伝令兵が黙り込み、もっと小さくなる。

 おぞましい予感が脳裏をよぎっていって、吐き気がしてくる。


「兄上は何をしているんだ」

「アウシュリス殿下に至急お戻りいただき、ガラサの民を制圧しにブルヤに進軍していただけないかとおおせです」

「先に現地人に無体を強いたのはこちらだ、反発されるに決まっている。和平を提案しこそすれ、俺はもう馬鹿げた戦はしないぞ」

「ですが、国王陛下がお求めです」


 思わず舌打ちしてしまった。


 アウシュリスは先王の第二王子だ。第一王子だった兄が即位して現イステア王を名乗っている。

 ところがこの兄は少し危ういところがある。子供の頃は真面目で聡明な人だったが、王であらねばならぬという重圧に負けてしまったのか、年々理性が衰えて専制的なそぶりを見せるようになってきたのだ。アウシュリスはそんな兄を全力で支えてきたつもりだったが、まだ何かが不足しているのかもしれない。


 ろくな武器も持たずにひっそりと生活している先住民が、イステアの役所に火を放つほどの恨みを抱いている。ブルヤの役人はいったいどれほどの悪事をはたらいているのだろうか。


 とにかく、なんとかしなければならない。


 目の前の北方の戦はもはや本陣を叩くだけの勝ち戦だ。しかも人間が住んでいない平野での戦いであり、今から民間人に被害が出るとは思えなかった。

 一方ブルヤは巨大な港町である。人的被害も甚大だろうし、ブルヤ港が機能しなくなると政治的にも経済的にも中央に悪影響が出る。なにより、ガラサの民が反乱を起こすくらいの失政を見逃せるほどアウシュリスは腐っていない。


「俺は親衛隊だけを連れて引き返す。一度エレファに帰着してからすぐにブルヤに向かう」


 アウシュリスがそう言うと、伝令兵が安堵の表情を浮かべて肩の力を抜いた。それにアウシュリスは苛立った。この青年が直接ガラサの民を虐待したとまでは思わないが、ブルヤ守備隊に所属する騎士がガラサの民に心を寄せているようではないというのが非常に残念だ。しかもそれで被害者面して施設を焼かれたと騒ぐのに腹が立つ。自業自得ではないか。けれど、それは王国の政治の中枢にいる王族の自分が言うべきではない。


「北方守備隊は引き続きあちらの陣を囲み、投降してきたら捕虜として迎えてやるように」


 北方守備隊の面々がこうべを垂れた。


「俺の馬を用意しろ。すぐに向かうぞ」


 親衛隊の年長の騎士が進み出てきて、「お食事は?」と問うてきた。アウシュリスは「馬上でパンでもかじる」と答えた。


「自分のことになど構っていられるか。俺が悠長に食事をしている間に兄上がガラサの民を殺戮するかもしれないということだろう?」

「アウシュリス殿下は聡明かつお優しいお方であらせられる」

「そんな冗談はいい。早く支度をしろ」


 アウシュリスは城塞の階段を小走りでおりていった。


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