028 仮想空間

 イオリとの昼食を終えて、ヤスヒコは午後の授業を迎えた。

 事前に聞いていた通りの『対人訓練』だ。


「ヤスヒコ君は初めてだからぁ、簡単に説明するねぇ」


 担当教師のセイラが、おっとりした口調で話す。


 対人訓練とは、仮想空間で行う対人戦だ。

 目的はイオリが言っていた通り、ダンジョン内でトラブルを想定してのこと。

 付け加えるなら、戦闘技術の向上なども目的になる。


 内容はダンジョン装備を使っての戦闘だ。

 基本はPT対PTだが、時には1対1や1対PT、PT対複数PT等もある。


 場所は仮想空間と呼ばれるダンジョンを模したフィールドだ。

 仮想空間は複数あり、学校の面積の大半を占めている。


 ヤスヒコたちは2年生は、ある仮想空間の前に立っていた。

 外観は巨大な倉庫のようで、中の様子は全く見えない。


「――そんな感じだけどぉ、何か質問あるかなぁ? ないよねぇ?」


 セイラが笑顔で圧をかける。

 並の生徒なら「ありません……」と言うが、ヤスヒコは違った。

 迷わず「あります」と言ったのだ。


「ダンジョン装備を使っても、ここはダンジョンじゃないから関係ないと思うのですが」


 セイラは「あぁ」と納得した。


「仮想空間ではねぇ、ダンジョン装備の効果が発動するのぉ」


「へぇ、そういう仕組みなんだ」


「変わってるよねぇ。他にも質問はあるかなぁ? ないよねぇ?」


「いえ、もう一つあります」


「チッ」


 反射的に舌打ちするセイラ。


「なにかなぁ? どうでもいい質問なら先生怒っちゃうよぉ? 時間を無駄にしないでねぇ?」


「さっきイオリから聞いたのですが――」


 ヤスヒコが前置きをすると、近くにいたイオリの肩がビクッと震えた。

 皆の視線が彼女に向かう。


「冒険者学校では成績表みたいなものはなく、出席日数なども全く気にしなくていいんですよね? なんだったら早退するのも自由だとか」


「そうだけどぉ、それって今する質問かなぁ?」


「質問はここからで、この対人訓練で手を抜いてもペナルティとかないのですか? 停学やら退学になったり冒険者年金に影響が出たり」


「そういうのはないよぉ。だからわざと手を抜いてもいいけどぉ、それだったら最初から参加せずに早退したほうがいいよねぇ? 時間の無駄だしぃ、相手にも失礼だからぁ」


「なるほど。質問は以上です。どうも」


 セイラは「はぁい」と頷いた。


「それではヤスヒコ君以外は戦闘訓練をしてねぇ。好きな仮想空間を使っていいからねぇ」


 この言葉によって、生徒たちは方々に散っていった。


「先生、俺は?」とヤスヒコ。


「まずは武器と防具を選ぼうかぁ」


「武器ならありますよ」


 ヤスヒコは装備している弓とサーベルを見せた。


「ヤスヒコ君って防具を使わないんだぁ?」


「最近は検討しています」


「そっかそっかぁ。その二つの武器ってランクはぁ?」


「両方Dです」


「なら新しいのにしたらいいよぉ。冒険者学校ではCランクの武器や防具が無料だからぁ」


「おお!」


「あ、でもぉ、転売はできないからねぇ」


 ヤスヒコはセイラに案内されて装備の保管庫に行った。

 一つ数百万の武器が大量にあるため、厳重に守られている。

 ――と思いきや、警備は非常に緩かった。

 専用の対策を施してあるからだ。


「好きなのを選んでいいからねぇ」


「そうは言われても悩むなぁ」


「大丈夫だよぉ。何回でも無料で交換できるからぁ。とりあえず気になったのを使ってみればいいよぉ」


「そういうことなら……」


 ヤスヒコはすぐ傍にある鞭を手に取った。

 武器なのでSM用と違って殺傷能力が非常に高い。

 ダンジョン武器でなければ、一発で皮膚をえぐるほどだ。


「へぇ、鞭が好きなんだぁ?」


「いえ、目の前にあったので。あと先生が鞭を使っているから」


「ふふ、お揃いがいいんだねぇ。ヤスヒコ君は鞭で叩かれるならどこがいい? お尻? 顔? それとも背中?」


 セイラは笑みを浮かべながら地面に鞭を打ち付けた。

 パチィンと弾ける音が響く。


「俺は叩かれるより叩くほうが好きです。今度先生のことも叩いて差し上げましょうか?」


「あはは。面白いこと言うねぇ。でも、先生にそういうことを言うと――」


 セイラがヤスヒコに向かって鞭を振るう。

 鞭は彼の首に巻き付くと、そのまま体をセイラのほうへ引っ張った。


「――ボッコボコにしちゃうからねぇ?」


 セイラはヤスヒコの胸ぐらを掴んで凄んだ。

 ロリ顔からは想像もつかぬ恐怖が漂っている。

 流石のヤスヒコも金玉が縮み上がった。


「すみませんでした……」


「気にしないいいよぉ。それじゃ、好きな仮想空間に行って、生徒たちと楽しく稽古してきてねぇ」


 セイラはヤスヒコの頭を撫でると、その場から離れていく。


「先生はどうするんですか?」


「私は職員室の監視カメラから皆の様子を見守るのぉ」


「分かりました」


 ヤスヒコはセイラに背を向け、元いた仮想空間に向かった。


 ◇


 ヤスヒコが仮想空間の前に着くと、イオリが待っていた。


「何しているんだ?」


「えっと、ヤスヒコ君と一緒に対人訓練を受けようかなって」


「俺と勝負したいってことか?」


「勝負というか、稽古……かな? 私じゃヤスヒコ君の相手にならないと思うし」


「それはやってみなくちゃ分からないだろう。冒険者学校のエリート様なんだから」


「皆はそうかもしれないけど、私は落ちこぼれだから……」


 イオリは悲しそうに俯いた。


「そういえば二年の中でダントツのビリなんだっけ」


「うん……」


 イオリのレベルは22。

 メグ、サナ、アキの三人組より低い。


「でも入学できたんだからアキより見込みがあると思われたのだろう」


「入学時は周りよりレベルが高かったから……」


 冒険者学校の試験を受けた時、イオリのレベルは14だった。

 つまり、1年かけて8レベルしか上がっていないのだ。

 手を抜いているわけではなく、それが彼女の限界だった。


「ま、戦ってみれば分かるさ。中に入ろう」


「うん!」


 ヤスヒコは仮想空間の扉を開いた。


「うおー、すげぇ、バイオスフィアじゃん」


「バイオスフィアって?」


「ようするにこういう場所のことだ。サナと観た映画に出てきた」


「サナって?」


「よく俺の家に泊まる女で、家事とか色々してくれる」


「ヤスヒコ君の恋人?」


「いや、違うよ」


「恋人じゃないのに家に泊まるの?」


「サナやアキは変わり者なんだ」


「アキって!?」


「…………あとで話す」


 ヤスヒコは苦笑いで話を打ち切る。

 それから、視界に広がる景色に「すげー」と改めて声を弾ませた。


 なんと森の中が完全に再現されているのだ。

 まるでアマゾンの熱帯雨林に来たかのようなフィールドである。

 湿度が高く、木々には蔦が絡まっていた。


「この中だとダンジョン装備の効果が発動するのか」


 ヤスヒコは試しに鞭を振ってみた。

 すると、鞭がしなったあとにピューと吹雪が発生。

 アイスブレードと同じく氷タイプだ。


「おー、本当に発動した。すごいな」


「だよね。私も最初はびっくりした」


 イオリは懐から指輪を取り出し、右手の中指に嵌めた。


「それがイオリの武器か?」


「これは〈具現化の指輪〉だよ」


「なんだそれ?」


「予め登録しておいたダンジョン装備を具現化するの」


 イオリは右手を掲げて「はっ!」と念じる。

 次の瞬間、どこからともなく巨大なハンマーが召喚された。

 また、彼女の体に紺色のマントが装備されている。

 こちらも先ほどまではなかったものだ。


「すげーなイオリ! 手品でも使ったのか!?」


「これは冒険者学校の生徒がもらえる便利な道具だよ。まだ試験段階で一般には販売されていないから、なかなか目にする機会はないよね」


「初めて見た! びっくりしたぜ」


「あはは。じゃあ、まずは私と1対1で勝負ね」


「負けたほうが晩メシを奢るってことでいいかな?」


 ニヤリと笑うヤスヒコ。


「えー、そんなのダメだよ。私は落ちこぼれなんだから」


「なら負けたら俺と友達になってくれ」


「え?」


 驚くイオリ。


「どうもセイラ先生は説明不足が酷くてな。俺には色々と教えてくれる仲間が必要だ。ということで、俺が勝利したらイオリには友達として傍にいてもらう。困った時の知恵袋としてな」


「わ、わかった、いいよ、それで」


 イオリは心の中で喜んでいた。

 実は彼女、この学校に友達がいなかったのだ。

 落ちこぼれなので誰も相手にしてくれなかった。


「俺が負けたらご飯を奢ってやろう」


「うん! 私、絶対に負けないよ!」


 とはいえ勝負は勝負だ。

 イオリはわざと負けるようなことはしない。

 巨大なハンマーを両手で担いでやる気十分だ。


「初めてだからルールを教えてくれ」


「ルールは特にないよ。相手に負けを認めさせるか、客観的にそう判断できる状態にさせたら勝利」


「分かった」


 ヤスヒコは頷き、イオリから距離を取る。

 いくつかの木々を隔てて向かい合う。


「お? 新入りが戦うみたいだぞ」


「相手はイオリか」


「さすがに推薦で入ってきた奴相手にイオリじゃきついだろ」


「分からないぞ。イオリは1対1の対人戦だとそれなりに強いからな」


「そういえばそうだったな。すると面白い勝負になるんじゃないか」


 同じ仮想空間にいた生徒たちが集まってくる。

 邪魔にならないよう遠巻きに観戦していた。


「いくよ、ヤスヒコ君」


「おう!」


 多くの生徒が見守る中、ヤスヒコとイオリの戦いが幕を開けた。


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