第十三話:勝利



 剣を振り翳して飛び出したクレイウッド団長は、自分の身体とは思えないほどの速度に戸惑いを覚えていた。甲冑の重さを感じ無いほど速く、力強く踏み出す突撃。

 大鬼型の足元まで一気に寄せると、その勢いのまま体重を乗せて剣を突き込む。大鬼型の硬い皮膚に弾かれるかと思った剣先は、予想に反して深々と突き刺さった。


グオオオオ


 ダメージを受けた大鬼型が唸る。思わず後退る大鬼型の脚に引っ張られたクレイウッド団長は、慌てて刺さった剣を抜こうとする。


「気を付けて、無理に引っ張ると剣が折れちゃうわよ」


 呼葉に声を掛けられて気付く。少し引き摺られたが、自分が大鬼型に刺さった剣を握ったまま踏ん張れている事実。


(これが、聖女の祝福の効果か)


 大鬼型の脚に足を掛けて剣を引き抜き、反撃に備える。しかし、敵の反応は鈍い。

 ここに陣取っていた四体の大鬼型は、後半の出番に備えて待機命令を受けていたので、迎撃準備がまったく出来ていなかったのだ。

 クレイウッド団長の一撃に続いたアガーシャ騎士団の攻撃は、完全な奇襲になった。五人の騎士の猛攻に倒れる大鬼型。ここでようやく、残り三体が迎撃に動き出した。

 対峙する一体の大鬼型の櫓から矢が放たれる。それを躱そうと剣を正面に構えながら横に跳んだクレイウッド団長は、勢い余って民家の窓に突っ込んでしまった。


「ぬわぁ!」


 窓には板が打ち付けられていたのだが、あっさりとぶち破っていた。自身の身体能力が異常なほど上がっている事に戸惑いつつ通りに復帰すると、先程の大鬼型は櫓ごと炎に包まれ、倒れ伏していた。

 残り二体。宝杖を構えた呼葉が、正面に巨大な火炎球を浮かべながら指示を出す。


「左は私が仕留めるから、右をお願い!」


 それに応えるべく、クレイウッド団長は駆け出しながら騎士達に攻撃命令を出した。大鬼型の一体に騎士達が殺到する。

 緩い坂道になっている中央通りを駆け上がりながら、クレイウッド団長は考える。


(この感覚なら、大鬼型の腹部まで跳び上がれるのでは?)


 あの大きな腹を足場に、直接首を狙えるのではないか。重い甲冑を身に付けた通常の騎士には、おおよそ考えられない戦法だが、聖女コノハの祝福を受けた今なら、やれそうな気がした。

 足と腰付近を無数の剣で突き刺された大鬼型が、群がる騎士達を薙ぎ払おうと唸り声を上げなら腕を振るう。騎士達は素早く下がってそれを躱した。それにより、大鬼型の正面ががら空きになる。


(ここだ!)


 一気に加速したクレイウッド団長は、大鬼型の突き出た腹に向かって跳び上がると、そこを足掛かりに頭部を目掛けて跳躍した。果たして彼の思惑通りながらも予想外の跳躍力で大鬼型の眼前に躍り出たクレイウッド団長は、そのまま渾身の突きを放った。


ゴゥヴヴガアアァ


 剣先は大鬼型の喉元に深々と突き刺さり、大鬼型の濁った咆哮が声帯を通じて刀身からビリビリと伝わる。仰け反った大鬼型の胸板を急な斜面の如く足場として踏ん張ったクレイウッド団長は、そこからさらに剣を押し込み、斬り裂くように振り抜いた。

 骨ごと断ち斬られた大鬼型の首から大量の血液が噴き出し、自重と血のぬめりによってズレた頭部が、ゴスンと重い音を立てて地面に落ちる。やがてその巨体も轟音と土煙を上げて倒れた。

 人間の騎士が大鬼型の首を落として倒すなど、通常ではあり得ない光景。

 討伐に加わった騎士達は、勝利を喜ぶ以前に戸惑った。それを成し遂げたクレイウッド団長自身、信じられない思いをしていた。

 そんな彼等の意識は、大鬼型の咆哮と小鬼型の断末魔に引き戻される。振り返れば、大鬼型の最後の一体が呼葉の放った特大火炎弾に包まれて燃え上がっていた。崩れ落ちた櫓の中で小鬼型は消し炭となり、足から上を焼かれた大鬼型も黒焦げになって横たわる。

 魔族軍駐留部隊の主力級大鬼型部隊は、呼葉とアガーシャ騎士団によって全滅した。


「急いで! 中央広場の施設を制圧するわよ!」

「お、おおぅ!」

「あと誰か私を運んで!」

「では自分が!」


 呼葉の号令に応えた騎士達は気勢を上げて隊列を組むと、強化された身体能力をもって猛然と通りを駆け抜けていく。その速度は防具を装着した戦馬に騎乗しているのと変わりないほどであった。 若い騎士の肩に乗って運ばれる呼葉は、中央広場にも魔族軍部隊が展開している場合を想定して宝杖を構え、何時でも火炎弾を放てる態勢を維持していた。

 やがて、アガーシャ騎士団は中央広場に到達した。進軍速度が速かった為か、中央広場には目的の展望台施設の周囲に敵部隊の姿は無い。だがちらほらと小鬼型や狼型の魔獣がうろついており、彼等に指示を出している魔族軍の兵士らしき数人の姿が見える。

 広場にはバリケードの材料っぽい木材や道具が散乱していて、集められた廃材を焚き木のように燃やしていた。

 そして展望台施設の前には、造りの荒い簡易処刑台らしき木造の台座が立てられていた。広場の外周には同じく急造されたと思われる粗末な絞首台も並んでいる。

 まだ何体か遺体がぶら下がっていて、的にされたのか無数の矢が突き刺さっていた。彼等は服装から街の住民だと分かる。


「これは……」

「……魔族軍による見せしめと燻り出しの跡です」


 眉を顰めた呼葉の呟きに、クレイウッド団長が苦渋を浮かべながら語る。

 王都アガーシャから落ち延びたクレアデス国の王族が、身を寄せていたパルマムの街は、魔族軍に急襲されて瞬く間に街の半分以上を占拠された。

 魔族軍は、この広場に街の住民を集めて「王族を匿っている者が居る限り、住民を処刑する」と宣言すると、無差別に処刑を始めた。かなりの人数が殺されたという。


「当時、王を御守りしていた我々の戦力では、戦うのは無謀。しかし、民の虐殺を捨て置けぬと、王は街を脱出する際、広場で処刑をしていた部隊に攻撃を仕掛けて行く事を決断なされた」


 しかしこの処刑自体が陽動だったらしく、クレイウッド団長達が広場に斬り込んでいた時、魔族軍の別動隊が王族の隠れ家に奇襲を掛けていた。

 報せを受けたアガーシャ騎士団は直ぐに引き返したが、隠れ家を護っていた近衛兵は全滅。王族の姿はなく、そこへ魔族軍の大部隊も押し寄せて来た為、やむを得ず街を脱出したのだと。


「そう……」


 呼葉は絞り出すような声で、どうにかそれだけ答えると、若干重苦しい空気に包まれた騎士達の前に歩み出た。

 そして彼等を振り返りながら言った。


「よし、この街を取り戻そう!」


 展望台施設の見える酷い有様な中央広場を背に、宝杖をガシャリと鳴らして地面に立てた呼葉の励ましに、アガーシャ騎士団は気勢を上げて応えた。



 中央広場を徘徊していた小鬼型や魔獣は直ぐに片付き、それらを使役していた魔族軍兵士は展望台施設に撤退した。その施設の窓からは、魔族軍の指揮部隊と思しき多数の人影がこちらの様子を覗っている。呼葉達が施設の正面に近付くと、広い出入り口から魔族の戦士達が現れた。

 黒地に赤のラインが入ったデザインの武具で統一されている彼等は、広場で見た魔族軍の下っ端兵士達とは、纏う雰囲気も装備も違う。一目で強者と感じさせる威圧感があった。


「聖女様、奴らは魔族軍の指揮部隊に所属する精鋭小隊です」


 全員が剣術も魔術も使って来る実力者で、かなり手強い相手だという。クレイウッド団長を始め、アガーシャ騎士団の皆が緊張しているのが分かる。

 しかし、ここで睨み合っている暇は無いと、呼葉は行動を促す。


「大丈夫。私と皆の敵じゃない。早いとこ施設を制圧して魔族軍を残らず追い出しましょう!」


 魔族の精鋭小隊にも聞こえるように声を張り上げた呼葉の鼓舞に、水を差すがごとく氷の槍が飛んで来た。精鋭小隊の前列にいた魔族の戦士が放った魔術の氷槍が呼葉に迫る。

 鉄板で補強された大型の盾でも簡単に穿つほどの威力を誇る氷槍は、咄嗟に呼葉を庇うように動いたクレイウッド団長の甲冑胸部に直撃した。


「!?」


 しかし、氷槍は突き刺さる事なく、クレイウッド団長の甲冑に弾き返されて砕け散った。それを見た魔族の戦士達が驚きを露にする。


「人間の騎士が、氷槍を跳ね返しただと?」


 これまで、人間軍との戦いで幾度となく敵を屠って来た攻撃魔術。氷槍を撃ち込んで倒れなかった相手はいない。訓練で大鬼型を的にした時も、ほぼ一撃で仕留める威力を誇っていたのだ。

 対魔術装備でも開発したのかと、少し身構える魔族の戦士達。しかし、彼等に焦りなどは微塵も無かった。

 人間の戦士と魔族の戦士では、基本的な身体能力に大きな差がある。多少攻撃魔術を防げたところで、その実力差は埋められるモノではない。



 一方のアガーシャ騎士団では、攻撃魔術を跳ね返したクレイウッド団長が一番驚いていた。

 魔族の戦士達が石飛礫でも投げるように放って来る攻撃魔術は、人類側の高位魔術士の攻撃魔術と変わりないほどの威力があり、人類軍に甚大な被害を与えていた。


「まさか、今のを防げるとは……これも聖女様の御力なのですか?」


 戸惑いながらそう訪ねるクレイウッド団長に、呼葉は微笑んで答える。


「私の祝福は、身体能力だけじゃなく武器や防具も強化するからね」

「……なるほど、大鬼型の首をあっさり落とせたのも納得出来ます」


 これなら魔族の戦士達とも十分に渡り合える。聖女の祝福効果を体感し、分かり易く目に見える形で実感出来た事で、騎士達の士気が上がる。闘気を漲らせたアガーシャ騎士団が、展望台施設を制圧するべく、正面の出入り口前に陣取る魔族軍指揮部隊の精鋭小隊に突撃した。



 パルマムに駐留する魔族軍の指揮官、指揮部隊の隊長レーゼムは困惑していた。精鋭小隊は指揮部隊の中でも選りすぐりの戦士達であり、魔族軍全体で見てもかなりの実力者集団である。

 そんな彼等が、明らかに押されている。応援の部隊が施設内からボウガンや回復魔術で援護しているのでどうにか持ち堪えているが、このままでは突破され兼ねない状況だ。


「人間の軍に、これほどの使い手集団がいたとは」

「しかし、あれはアガーシャを護っていた騎士団では?」


 レーゼム隊長の困惑に、参謀は同意しつつも、以前クレアデスの王都やパルマム攻略の際に交戦した凡庸な騎士団である事を指摘する。

 たった数日の間にここまで強化されるものだろうか。人類側を世界の端まで追い詰めている魔族側だが、最後の追い込み前だからこそ油断してはならない。

 何か起死回生の策を打って来たのだとすれば、その情報を本国に送らなければならないと、意を決したレーゼム隊長は展望台の屋上から探りを入れる事にした。


「参謀、アレを使う。準備をしておけ」

「了解しました」


 切り札・・・の用意を参謀に指示したレーゼム隊長は、戦闘が続く中央広場の展望台施設入り口前を見下ろした。謎の騎士団の後方に陣取っている大杖を持った小柄な魔術士らしき少女を一瞥する。

 先程の報告では、街門の防壁上に配備していた投擲兵が、無数の魔法の矢で全滅したとあったが、あの魔術士の仕業だろうか。


(広場の入り口で大鬼型部隊を焼いた魔術士だとすれば、それなりの実力者か……)


 先日、オーヴィスへ威力偵察に向かっていた斥候部隊が、大規模魔術らしき攻撃で全滅したとも聞いている。魔術士の動きに注視しつつ、レーゼム隊長は声を張り上げた。


「我ら魔族の戦士を相手に見事な戦いぶり、称賛に値する! 私はパルマム駐留軍指揮部隊を預かるレーゼム! 貴殿等は一体何者か!」


 一瞬、戦いの喧噪が薄れると、斬り結んでいた両軍の騎士と戦士は展望台屋上のレーゼム隊長を注目する。クレイウッド団長が騎士団の代表で口上に応えた。


「我らはクレアデスの騎士! 聖女様の祝福を受けしアガーシャ騎士団だ!」

「聖女、だと?」


 レーゼム隊長の困惑に訝しみが交じる。交戦中の魔族軍部隊全体にざわめきが広がるのを感じた呼葉は、今がアピール時と判断して、宣戦布告にもなる自己紹介をした。


「最近召喚されて来た聖女です。これから人類の領域を取り戻す為に魔族軍と戦う事になるので、よろしく」

「召喚……!」


 それを聞いたレーゼム隊長は驚愕の表情を浮かべた。魔族の国にも『人類の切り札』として異界より喚ばれる存在、『聖女』という最終兵器の言い伝えはあったが――


(まさか、実在したとは……)


 魔術も使えないただの脆弱な人間の騎士達が、聖女の祝福を受けただけでこれほどの精強集団になるのだ。まさに戦略兵器。これを軍部隊単位で使われたらどうなるのか。


「参謀! まだかっ」

「連れて参りました。しかし聖女召喚とは……伝説の存在と対峙するのは初めてですよ」

「私もだ。とにかく、コレで時間を稼いで援軍の到着を待つ」



 魔族軍の指揮部隊長レーゼムとアガーシャ騎士団長クレイウッドの口上に、呼葉の『聖女』発言も重なり、双方が戦いの手を止めた事で、展望台施設前では膠着状態が作り出されていた。

 レーゼム隊長は此れ幸いとばかりに、アガーシャ騎士団に向けて切り札を投入する。魔族軍兵士に両脇と背後を固められた状態で、展望台の屋上を囲む低い柵の前まで連れて来られた一人の人物。拘束された若い青年を認めたクレイウッド団長が思わず声を上げる。


「なっ……! アルスバルト王子!?」

「王子?」


 指揮部隊の切り札。それはパルマムを陥落させた時に捕らえたクレアデスの王族、アルスバルト王子であった。


「王子の命が惜しくば、退く事だ!」

「ぐぬぬ……」


 王族が生きていた事に、クレアデス再興の希望を見出すアガーシャ騎士団。しかし状況は芳しくない。苦悶の表情を浮かべているクレイウッド団長に、呼葉が問い掛ける。


「王子様って戦えるの?」

「一応、戦闘訓練は教育の一環として受けてはいるが……」


 多少なりとも剣や槍を扱える程度であり、戦場に出たり、本格的な戦闘を行えるほどではないという。


「じゃあ、ちょっと王子様にも頑張ってもらおうかな」

「聖女様? 一体何を……」


 展望台の屋上を見上げた呼葉は、魔族軍の兵士に挟まれて立つアルスバルト王子をじっと見詰めて祝福を与えた。そして王子に向かって呼び掛ける。


「王子様! 縄を切るから、自力・・で脱出して!」

「はっ?」

「んん?」


 クレイウッド団長やレーゼム隊長を始め、両軍の兵士達が一斉に疑問符を浮かべた。呼葉が魔弓を構える。


「まさか、矢で縄を射貫くつもりか?」


 訝しむレーゼム隊長に、参謀が告げる。


「あれは、街門防壁の投擲兵を殲滅した魔弓です!」

「む、魔矢を放つつもりか。人質を少し下げろ」


 変幻自在な魔法の矢であれば、地上から射った矢で建物の屋上にいる人物の拘束具を射貫く等という芸当も可能だ。

 そう判断したレーゼム隊長は、念の為アルスバルト王子の周りを部下で固めつつ下がらせた。そこへ、呼葉の声が響く。


「王子様、前に出て!」


 それを合図に飛び出すアルスバルト王子。彼は屋上に連れて来られた時、レーゼム隊長が広場の騎士達と話している中で、救世主伝説にある聖女の存在に触れるのを聞いていた。そして広場から見上げる呼葉と目があった時、身体中に不思議と力が漲るのを感じた。

 その感覚が、この強大な力を持つ魔族の戦士達を揺るがしている『聖女の祝福』であると信じた王子は、呼葉の呼び掛けに応じて展望台の柵があるところまで走った。

 決して体格が良い訳でも無い王子の体当たりで、正面を固めていた二人の兵士が吹っ飛ばされ、王子の後ろで拘束の縄を掴んでいた兵士は、その凄まじい牽引力にバランスを崩して転倒し、そのまま引きずられた。レーゼム隊長達は、予想外かつ想定外の事態に対応が遅れる。

 王子が柵まで辿り着いた瞬間、その姿を捉えた呼葉が魔弓から魔矢を放った。

 光の軌跡を残しながら飛んで行った魔矢は見事に王子を拘束する縄を射貫き、ついでに王子に引きずられて来た兵士も仕留めた。

 王子はその兵士の剣を拾って武装すると、魔族軍の兵士達を牽制する。

 魔族軍側は柵を背にした王子を捕らえようとするが、呼葉の魔弓を警戒して動きが鈍いのに加え、聖女の祝福が届いている王子は思いの外強く、並の兵士では歯が立たず近付けない。

 しかし、狭い屋上での孤軍奮闘は直ぐに限界が来る。呼葉は、騎士達にマントで受け止めるよう指示を出すと、王子に再度呼び掛けた。


「王子様、飛び降りて!」

「中々無茶を言う」


 フッと笑った王子は、地上で騎士達が広げたマントを掴んで待機している様子を認めると、展望台から身を投げた。落下して来る王子を騎士達がマントでキャッチ。

 呼葉も念の為、マントの下に風の塊を置いてクッション代わりにしたので、双方に怪我も無く、無事に救出する事に成功した。



 その様子を、展望台の屋上から唖然とした様子で見下ろす、レーゼム隊長達魔族軍の指揮部隊。あれよあれよという間に、切り札の王族を取り返されてしまった。


「な……なんだこれは……どうなっている」


 部下の誰かが、著しい失態を犯したわけではない。目を瞠るような、とてつもない攻撃に晒されたとか、思いもよらない奇策で隙を突かれたというわけでもなく、本当にスルリと取り返された。

 意味が分からず、思考停止に陥っていたレーゼム隊長に、我に返った参謀が進言する。


「隊長、援軍は間に合いません、撤退しましょう!」

「撤退だと!?」


 そんな馬鹿な選択が出来るかと怒鳴り掛けるレーゼム隊長は、ギリギリの理性で思い止まる。

 あの聖女という伝説の存在に、この得体のしれない戦況の引っ繰り返され方を考えると、被害が嵩む前に撤退して情報を持ち替えるべきかと判断した。

 冷静さを取り戻した彼は、迅速に指示を出す。


「施設正面の出入り口をバリケードで固めよ! その後、裏口より速やかに撤退する!」



 一方、アルスバルト王子を取り戻して大いに士気が上がっているアガーシャ騎士団と呼葉達は、後は展望台施設を制圧するだけだと気勢を上げると、総攻撃を仕掛けていた。

 護りに入った魔族軍指揮部隊は施設の出入り口をバリケードで封鎖したが、呼葉の特大火炎弾であっさりとぶち破る。

 突入した騎士団は怒涛の勢いで展望台施設を制圧していく。しかし、レーゼム隊長達指揮部隊は裏口から逸早く脱出しており、呼葉達が破城槌で破った街門とは反対側にある街門に辿り着くと、パルマムから離脱していった。

 指揮部隊の撤退に伴い、パルマムの街に潜んでいた魔族戦闘員や魔物部隊も、裏門など他の出入り口からバラバラに撤退して行った。



 展望台施設を制圧した呼葉達は、今度は籠城戦だと準備を進めていたのだが、街から退いて行く魔族軍を見て一息吐いた。


「集まって来なかったね?」

「指揮部隊を退けた事で、決着が付いたと判断したのでしょう」


 魔族軍側にとって、聖女の存在はかなりのインパクトがあったと思われる。

 展望台施設の攻略では、アルスバルト王子を人質に出して来た指揮部隊が完全に自爆した形だが、それも聖女の祝福効果があってこその賜物。

 大鬼型部隊をあっさり殲滅するところも見られていたので、あれも魔族軍側には心理的な牽制になっていたはず。今回は色々と良い条件が重なって大勝利に繋がった。



 それからしばらくして、カーグマン将軍の援軍兵団がやって来た。

 聖女コノハとアガーシャ騎士団が突入してからしばらく騒がしかったが、静かになったのでそろそろ突撃するかと、カーグマン将軍の号令で援軍兵団が一斉突撃をしたのだ。

 ――が、パルマムの街に魔族軍の姿はなかった。


「これは、どういう事だ……?」


 広場に展開しているアガーシャ騎士団の指揮の下、生き残った街の住民から男手衆が募られて、バリケードや処刑台を撤去するなど、街中の掃除が進められていた。

 黒ずんだ大量の血痕や集められた遺体など、陰惨な痕跡は残っているものの、トンカンと木材を打つ音や、箒で石畳を掃く長閑な雰囲気に戸惑う援軍兵団の兵士達。


「まさか、あの聖女とアガーシャ騎士団だけで、魔族の駐留軍を退けたのか?」

「そんな馬鹿な!」


 既に戦いが終わって後片付けをしている感が溢れる街の光景を前に、呆然と立ち尽くす援軍兵団。そんな彼等に呼葉が歩み寄る。兵士達は緊張を浮かべて道をあけた。開けた兵士達の先には、カーグマン将軍と取り巻きの参謀達。

 怪我をした様子も無く、目立った汚れも無く、出撃した時と変わらない佇まいで現れた呼葉は、困惑しているカーグマン将軍達に言った。


「クレアデスの王族救出とパルマムの奪還は終わったから、次の戦いに備えましょ」

「お、王族の救出ですと!?」


 呼葉から突入後の流れと顛末を報告されたカーグマン将軍達は、ただただ呆けた表情を浮かべていた。



 末端の兵士達や傭兵を含めて、今回の奪還劇は聖女コノハと、その守護を受けたクレアデス国のアガーシャ騎士団による功績であると、広く認識される事になるのだった。


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