第十四話:アレクトールの憂鬱
パルマムの奪還を果たした聖女コノハの一行とカーグマン援軍兵団。
しばらく駐留する事が決まっている援軍兵団と共に街に迎えられた呼葉達は、パルマムの行政院でもある宮殿の一室で身を休めていた。
「コノハ殿、もうお休みになられましたか?」
呼葉の部屋を訪ねて来たアレクトールがそっと声を掛ける。
宮殿のホールではささやかな祝典の宴が開催され、軍民問わず酒と料理が振る舞われたのだが、呼葉は軽い食事だけ取ると与えられた部屋に引き篭もった。
今宴の主賓とも言える呼葉が直ぐに引っ込んでしまった為、街の有力者や民達に対する『オーヴィスがいかにクレアデスに貢献したか』の宣伝はカーグマン将軍周りが行っている。
アガーシャ騎士団のクレイウッド団長等が呼葉の活躍を謳い、パルマム奪還の立役者である事をアピールしているが、本人が居ないのではインパクトに欠ける。
そんな訳で、もし来られるなら会場に呼んでもらえないかと、頼まれた呼葉付きの六神官であるアレクトールが様子を見に来たのだ。
「コノハ殿……?」
そっと扉を開いて覗き込んだアレクトールは、その光景に目を瞠った。薄暗い部屋の中、ベッドの傍で蹲っている呼葉は、宝具を無造作に詰めた鞄と大杖にしがみ付くようにして震えていたのだ。
召喚されてからこれまで、常に超然とした立ち振る舞いしか見せなかった呼葉の、初めて目にする弱弱しい姿に、しばし呆然としていたアレクトールは、我に返ると駆け寄った。
「コノハ殿っ、いかがなさいました?」
ビクリと肩を揺らした呼葉が、のろのろと顔を上げて振り返る。
「……アレクトールさん?」
「はい、私です。もしや体調が優れないのですか?」
具合の悪そうな呼葉を気遣うアレクトールが、屈み込んで目線を合わせる。すると、抱えていた鞄と大杖から手を離した呼葉が、吸い寄せられるように倒れ込んで来た。
「っ!?」
首筋を滑るように擽る髪の感触と、胸元に柔らかい衝撃。一瞬、何が起きたか分からず硬直したアレクトールは、腕の中で微かに震える少女の体温を感じた。
「こ、コノハ殿……?」
「フォローが欲しいの」
呼葉は、パルマム奪還の最中に封じていた戦いの恐怖や、殺傷に対する嫌悪感など、付け焼き刃の悟りの境地で抑えていた感情の反動にもがいていた。
事態の最中は平静を保てるが、安全が確保されてから心の奥底より噴き出して来るのだ。廃都で生活していた頃は、お爺ちゃんっ子よろしく膝枕などしてもらって甘える事で対処していた。
今回は魔獣ばかりでなく、人の姿をした魔族も手に掛けたし、処刑された住人の遺体が晒される中央広場の惨状も衝撃的だった分、反動も大きかった。誰かに支えてもらわなければキツい。
しばらく人の温もりに包まれていれば回復する。
突然抱き着かれた形のアレクトールは、驚きと困惑の胸中にあの夜の出来事――湯浴みを覗いてしまった先日のハプニング思い出して紅潮すると、呼葉の両肩をそっと押し戻して諭した。
「お、落ち着いて下さい、コノハ殿。このような事は……」
「……」
動揺しているアレクトールの顔を見上げた呼葉は、そのまま身体を離して背を向けると――
「やっぱいい。寝る」
そう言って、また鞄と大杖を抱えてまるまった。そんな呼葉に「ベッドでお休みください」とも言えず、アレクトールは静かに部屋を立ち去った。
宴が続くホールに戻る途中の廊下で、アレクトールはザナムに声を掛けられた。
「アレクトール? コノハ嬢はどうしました?」
「いえ、その……」
呼葉が呼ばれて来るのを待っていたザナムは、何やら様子がおかしいアレクトールを訝しむと、何があったのか訊ねる。
「聖女様をお世話するのが私達の使命。貴方は何に心を迷わせているのです? アレクトール」
「実は……――」
普段の穏やかな口調を若干硬くしたザナムの訪いに、アレクトールは先程の呼葉の様子について説明した。
「それで、今日はもうお休みになると……」
「……ふむ」
アレクトールの話を聞いたザナムは少し考え込むように唸ると、やがて顔を上げて言った。
「分かりました、私が様子を見て来ます。貴方は会場に向かい、コノハ嬢はお休みになられた旨を伝えておいてください」
あれだけの活躍をしたのだ。「今はとてもお疲れになっている」と言えば、皆納得するだろう。そうしてアレクトールは宴の会場へ、ザナムは呼葉の部屋へとそれぞれ向かった。
道すがら、ザナムは彼女が召喚されて来た日の事――正しくは、人類の滅んだ未来から時間を遡って来た日の事を思い出していた。
その日のうちに魔族軍の斥候部隊を排して神殿に帰って来た呼葉は、奥の会議室で自身が如何にして未来に召喚され、どういう経緯でこの時代に来たのかを説明してくれた。
そして説明会の終わりに重要な注意点として、自身の弱味について言及した。人の死に慣れていない為、フォローが必要なのだと。
呼葉の部屋までやって来たザナムは扉をノックして声を掛ける。
「コノハ嬢、起きていますか? ザナムです」
中で身じろぐ気配を感じ、ごそりという荷物が揺れた様な音が聞こえた。あの沢山の武器を詰め込んだ大きな鞄の音だろう。
「入ります」
返事を待たず部屋に踏み入ったザナムは、アレクトールに聞いていた通りの光景を見る。ベッド脇で鞄と大杖を抱えて蹲っている呼葉は、まるでそれらの武具に縋りついているように思えた。
呼葉の傍に歩み寄り、膝をついて労いの声を掛ける。
「大丈夫ですか?」
「ん……」
虚ろな瞳を向ける呼葉に、ザナムは優しく問い掛けた。
「未来では、どうしていたのですか?」
「……ネス爺さんの膝で甘えてた」
聖女を召喚し、その傍に仕える救国の六神官は、聖女と深い関係になる事も含めて親睦を図り、この世界に聖女の居場所を作るという役割も担っている。
それは聖女を神殿に止めておく為という側面も多分にあるが、聖女と信頼関係を結ぶ事は六神官の義務であり、存在意義でもあった。
「では、私がその代役を果たしましょう」
ザナムがそっと呼葉を抱き締めると、彼女は大人しくその腕に納まる。震えていた呼葉の肩から徐々に力が抜けていくのが分かった。
(やはり、無理をさせてはいけませんね)
パルマム奪還の勢いに乗って、今後はクレアデスの王都奪還と、さらにその隣国ルーシェント国の解放に向けて、対魔族戦略は活気づくだろう。
呼葉が進んで戦いに身を投じる姿は容易に想像出来る。しかし、彼女をその
状況を見て神殿側で調整し、聖女の投入が適切な場面を選んで戦わせるようにしなければ、呼葉の心が疲弊してしまう。
(古から伝わる
ザナムの腕の中で呼葉が安らかな寝息を立て始めた頃、部屋の前から立ち去るアレクトールの姿があった。
会場で『聖女様はお休みになられました』の旨を伝えたアレクトールは、やはり呼葉の事が気になって様子を見に来たのだ。
彼は六神官筆頭という立場なだけに、聖女に対する自分達の役割についても深く理解していた。聖女の望む事、求める事に適切に対処する。普段の彼であれば、呼葉の求めに落ち着いて応える事が出来ただろう。今のザナムのように。
しかしながら、今夜はめぐり合わせが悪かった。六神官の心構えはあれど、アレクトールは十七歳の若人であり、職業柄あまり女性に免疫も無い。
加えて、先日のハプニングで湯浴みに濡れた呼葉の肢体が目に焼き付いていた為、動揺が勝ってしまったのだ。
落ち着いた呼葉をベッドに寝かしつけるザナムを見て、アレクトールは複雑な感情に苛まれた。『本来なら、自分があの役割を果たしていたはずだった』と。
胸の内にもやもやを抱えたまま、アレクトールは宴の続く会場へと足を向けるのだった。
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