第8話 ぴちぴちと跳ね上がる心

 「はなやぎ」に飛び込んで来た結城ゆうきさんは「あ、あの!」と口を開くが。


「そ、その前に注文しますね! すずください」


「はい。まずはお掛けくださいね。おしぼりをどうぞ」


「あ、ありがとうございます」


 結城さんはおたおたと焦る様にカウンタに腰を降ろし、世都せとからおしぼりを受け取った。もう10月なので常温のものになっている。


 世都はワイングラスにすず音を注ぎ、結城さんに出した。


「はい、お待たせしました」


「ありがとうございます!」


 言うや否や、結城さんは中身を一気に飲み干してしまった。


「だ、大丈夫ですか!?」


 世都は慌ててしまう。すず音はスパークリング日本酒でアルコール度数は5度と低めで、生ビールとそう変わらない。だが一気飲みは身体にも良く無い。世都はチェイサーとしてお水を用意した。


「どうぞ」


「す、すいません、ありがとうございます!」


 結城さんはそのお水もごくごくと喉に流し込んで行く。そして「ぷはぁっ」と盛大に息を吐いた。


「すいません、駅から走ってきたんで、息が切れてもて、喉が渇いて」


「大丈夫ですよ。落ち着いてくださいね。占い、要ります?」


「はい……! よろしくお願いします!」


 結城さんは大きく頭を下げた。




「あら、まぁ」


 結城さんの話を聞いて、世都は目を見開いた。


 結城さんは前の恋人と別れ、それから山縣やまがたさんを見初め、恋人同士になった。今は同棲もしている。


 今日も定時にお仕事を終えた結城さんは、晩ごはんは何にしようかなんて考えながら帰途に着こうとした。すると、会社が入っているビルの前に、前の恋人が待ち伏せていたと言うのだ。


 そして、言われたのだと言う。


「俺ら、より戻されへんか?」


 そこで、世都は驚いたのである。これまでも何度か結城さんの恋愛絡みの相談を受けて来て、タロット占いもして、結城さんが恋多き、そして男好きする女性であることは知っていたつもりではあるが、そういう行動をする男性の出現を聞くのは初めてだったのだ。


 今日の開店前の占い結果は「ワンドの8の正位置」だった。急展開や新展開などの意味がある。世都はいつも「はなやぎ」のその日の運勢を占っているのだが、こうして占いを希望するお客さまがいると、そちらに反映されてしまったりする。今日もそうだったのだろう。


 結城さんは照れくさそうに身体をくねらした。


「あたし、元カレには振られてしもたんです。重いって。でもこうして戻って来たってことは、別れてからあたしのええとことかに気付いてくれたってことですよね? せやから迷ってしもうて」


「……今の彼氏さんと、前の彼氏さんと、ですか?」


「そうなんです〜」


 結城さんは困った様に頬を染めた。多分本当に困っているのだと思うのだが。


 世都はまた驚いてしまう。今の恋人とは同棲までしている仲なのだ。結婚まで意識していたでは無いか。その相談と占い結果はまだ記憶に新しい。


 山縣さんはまだそこまで考えてはいないと、占いの結果では出たのだが、それが正解だとしても、ふたりはそれなりの関係を築いているはずだ。まさかこの段になって迷われてしまうとは、夢にも思わないだろう。


 それほどまでに前の恋人は良い人だったのだろうか。結城さんの切り替えの早そうな性格的に、未練などは無いと思っていたのだが。世都が見誤ったのだろうか。


 ……そこで、ふと世都は思い立つ。結城さんは山縣さんを選ぶにしろ前の恋人を選ぶにしろ、どうしたいのだろう。


 流れはどうであれ山縣さんと同棲を始め、結城さんは結婚を意識した。結城さんの年齢は聞いていないが、もう社会人なのだし、そうしたいと思っても不思議では無い。


 それを視野に入れているのなら、生涯の伴侶はんりょとして、結城さんにとって良い相手を選ぼうとするのは当然なのだろう。だから迷ってしまっているのだろう。


 世都は3等分からひとつにまとめたタロットカードの1枚目をめくった。


「ワンドの3の、正位置ですね」


 そこから読み取れる、現在の結城さんの状況は。


「展望、さらなる発展、未来を見る、などの意味があるカードです。そうですねぇ、結城さんは山縣さんとの進展があんま無いことに、れてはったりしませんか?」


「あ、あはは」


 図星を突かれたか、結城さんは苦笑いを浮かべた。そんなときの出来事だったので、余計に心が揺れ動いてしまったのだろうか。


「焦らんことです。結城さんにご自分のペースがある様に、山縣さんにかてペースがあります。向こうに合わせろとまでは言いませんけど、歩み寄ることは大事ですよ」


 それは、恋人に限らず人間関係を築く上で大切なことだ。考え方や価値観など、例え気が合う人同士であっても違う人なのだから、気遣い合うことは重要なのである。どちらかひとりの気持ちを押し付けてしまえば、破綻に近付くと思うのだ。


「まだ、お付き合いを初めて半年も経たんでしょ。まだ早いんとちゃうかなって、私なんかは思ってしまうんですよ。ご結婚を望んではるんやったらなおさら、ゆっくりとはぐくみはったらええんとちゃいます?」


 世都が穏やかに言うと、結城さんは落ち着いた様で「はい」と唇を引き結んだ。


「あたし、もう少し待ってみます。できることしながら、たっくんを待ってみます。ありがとうございます」


 結城さんは頭を下げると、会計をして帰って行った。その華奢きゃしゃな背中を見送って、世都は小さく息を吐いた。


 何だか、世都が不安に思っていたことが、徐々に可視化されて来た様な気がする。結城さんは強引なところがあるのだろうなと思ってはいたのだが、自分の意思のみでことを運ぼうとするところもある様だ。


 それが結城さんの普段の人への接し方なのか、それとも恋愛に限ってなのかは分からないが、それだと良好な関係性を保つのは難しいかも知れない。


 結城さんはあくまでこの「はなやぎ」のお客さまである。こうして相談事を聞いているとはいえ、世都が首を突っ込む立場では無い。だが放っておくというのは、どうにも薄情な気がしてしまう。


 世都は接客業の難しさをしみじみと噛み締めたのだった。

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