第7話 さんまの一喜一憂

 10月に入り、すっかりと気候は秋めいて来た。木々は徐々に赤や黄色に染まり、青い空は高くなりつつある。


 世都せとは今日も仕入れのためにキャリーカートを引いて岡町おかまち商店街の各店舗を訪れ、魚屋さんを前にため息を吐いていた。


 冷蔵陳列棚の中では、新鮮なお魚たちの目がらんらんと輝いているのであるが。


「さんま、やっぱり高いなぁ。ほんで細いし」


「せやねん。ほんま不漁が続いとるわ」


 魚屋さんの親父さんもそう言って眉をしかめた。


 秋の味覚の代表格であるさんまだが、ここ数年はすっかりと漁獲量が落ち続けている。毎年春にはその年の漁獲枠が国際会議で決められ、今年も厳しいことは前もって分かっていたはずなのだが、やはりいざ目の前にすると、落胆するのだった。


 さんま不漁の原因は、親潮の弱化と、それに伴う海水温度の上昇だと考えられているそうだ。そして餌の密度の問題で、生育にも影響が出ているのだ。


 だからさんまの価格が上がり、なおかつ小さくて細い。


 世都が幼いころは、もっとでっぷりと肥えたさんまの塩焼きにありつけていたと思う。もう何年前のことだろうか。


 とは言え、旬は今である。数週間前に比べれば価格も落ち着いて来ていて、お腹も太り始めている。


 出始めのころはその貧弱さに肩を落としたものだが、これだったらどうにかお客さまに提供できそうだ。


 「はなやぎ」では毎年、さんまを梅煮にして出している。梅煮は筒切りにして作るので、量の調整もしやすいのである。


 やはり人気は塩焼きだとも思うのだが、それだったら他のお店や、それこそお家ででも手軽に調理できる。梅煮は手間もそれなりに掛かるので、こういうものこそ「はなやぎ」で食べてもらいたい。


「親父さん、やっぱりさんまもらいます」


「お、世都ちゃん張り込むなぁ!」


 親父さんは相貌そうぼうを崩し、さんまを入れるためのナイロン袋を取り上げた。




「ここでさんまの梅煮食うと、秋が来たなぁて思うわ」


 高階たかしなさんはお食事を終えてから、桃色の切子ロックグラスに注いだ花邑はなむらを傾け、お箸で器用にさんまの梅煮をほぐして口に運んだ。


 花邑は秋田県の両関りょうぜき酒造さんがかもす日本酒である。「はなやぎ」では純米酒陸羽田りくうでんを取り扱っている。フルーティな甘味を感じさせ、ほのかな酸味がすっきりとさせてくれる。滑らかな舌触りの一献いっこんである。


 さんまの梅煮は、「はなやぎ」ではお醤油は控えめにして、みりんとお砂糖を心持ち多めにし、お塩だけで漬けた酸っぱい梅干しとしょうがを効かす。お水は使わず日本酒で補うのだ。


 しっとり、そしてふっくらと柔らかく煮上がったさんまに、調味料の甘味と梅干しの酸味の調和が絡み、あっさりといただける大人の味になるのだ。日本酒にもぴったりである。


「ここ近年さんまって不漁やんなぁ。今年もやっけ」


「そうなんですよねぇ。せっかくの旬のもんやから、もっとたくさん食べていただきたいんですけどねぇ」


 世都はため息を吐く。さんまは蒲焼きや甘露煮も美味しい。どちらも甘辛い味付けで日本酒に合う。あまりたくさん仕入れるとコスト的に厳しいが、やはり別日に作れたらと思っている。


 とは言え、秋の味覚はさんまだけでは無い。生のぎんなんが出回り始め、きのこだって張りが出て美味しくなる。もっと水温が下がればお魚だっていろいろ出て来るし、脂乗りの良い戻りがつおだって今が盛りだ。里芋や蓮根などもどんどん甘みを増していく。


 そういうわけで、今日の作り置きお惣菜は蓮根の明太子和え、里芋の煮っころがし、椎茸と舞茸とえのきの和風マリネ、人参しりしり、かぼちゃのサラダと、旬を意識したおしながきになった。


「難しいわなぁ」


 高階さんも息を吐く。すると高階さんの横のご常連のふくよかな壮年男性が「そうやんなぁ」と、やはり憂鬱そうに息を吐いた。


「うちも、家内が「さんまが高い高い」言うてな。塩焼きもなかなかお目に掛かれんわ」


 この男性は岡町商店街にある長島ながしま酒店さんの店主さんで、名をそのまま長島さんと言う。「はなやぎ」で取り扱う各種日本酒の仕入れ先である。


 長年この地で酒屋さんを営んでいるから仕入れルートも豊富で、長島酒店さんで普段取り扱っていない銘柄も都合してくれる、ありがたいお店なのである。


 長島さんが飲んでいるのは白川郷しらかわごう。岐阜県の三輪みわ酒造さんが醸造する純米にごり酒である。どぶろく祭にちなんで醸されたにごり酒で、その飲み口はどろりと濃厚。際立つ甘さの中にほんのりとした酸味が覗くのだ。


「この時季にしか食べられへん生さんまやから、生活にも直結しますよねぇ」


「せやんなぁ。財布握っとる家内は大変やと思うわ。さんまだけやなくて他の値上げもえげつないしな。俺らが若いころなんか、さんまなんかでっぷり太ったんが1尾100円とかで買えたで。めちゃめちゃ獲れてなぁ。時代が進んだら物価が上がるっちゅうんも分かるんやけど、今は痩せたさんまが倍ぐらいの値段や。そりゃあ世都ちゃんもなげきたなるわな」


「ほんまですねぇ」


 過去をうらやむ必要は無いと思うが、さんまに関しては心底羨ましいなと思う。世都も幼いころに食べることができた、脂乗りの良いさんまがまた食べたい。


 そんな記憶に陶酔とうすいしていると、がらりとお店の開き戸が開いた。何事かを視線を向けると、息急き切った結城ゆうきさんが顔を覗かせた。


「お、女将おかみさん、あの、大変なことになりました……!」


 一体どうしたのかと、世都は目を丸くした。

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