第13話 赤子への救い

 奥の見えない薄暗い影の中から、忍び寄るように戦場へ姿を見せたこの森の第二のボス、クルシマラは根本的恐怖を煽るようなおぞましい姿であった。


──紅梅色の滑らかな体表。


 胴体は円柱状に長く、脂肪の膨らみで身体は丸みを帯びている。四対、八本の短く太い、鋭い爪の生えた足が長い胴体に付いており、見た目は薄汚いピンクに染まった芋虫の様だった。常に宙に浮いており、その身体で光を遮って戦場の地面を陰らせていた。


「序盤のボスがこの芋虫かよ...!!」


 噂に聞くクルシマラの、アヤミチの思い描く異世界には似つかわしくない圧倒的異質な、不気味なその姿にアヤミチは恐怖を覚えつつ、怯えを誤魔化すように焦りを含んだ薄い笑みを、顔に張り付ける。


──相対者に不安を感じさせる面貌。


 長い胴体の先端にある顔と思われるもの。頭頂部に刻まれている大きな切創、円状に鋭い牙が連なる剥き出しの口、潰れている両目。そのどれを取っても、決してこの怪物に好印象は持てない。


「───ッ!!!」


 剥き出しの口から大量の唾を吐きながら、クルシマラは高音の悲鳴のような叫び声を上げる。その容姿も相まって、赤子の悲鳴のような咆哮にも思えた。


 クルシマラは叫び声を出し終えると、長い胴体を縮め、八本の足を丸めて身体をなるべく小さくする。


「──危ない!」


 次の瞬間、激しい轟音が鳴り響き、視界が激しく動いて目の前の景色が揺れて見えた。少し遅れて身体に若干の衝撃が走り、アヤミチはルルドロスに抱擁されていることに気付く。

 アヤミチが目を見開いてルルドロスの顔と、木の幹に身体がハマっているクルシマラの方向を交互に見つめると、クルシマラが目に見えぬ速さでアヤミチに猛突進したことが分かった。


 アヤミチはルルドロスの腕から離れると、腰にさげている剣の柄を握り、なかなか慣れない重量に身体をよろめきながらも両手でしっかりと剣を持つ。


「────ッ!!!!」


 木の幹にハマったままのクルシマラの咆哮を合図に、アヤミチ、ルルドロスは捨て身の突進を警戒して散開しながら、クルシマラの方向へ戦場を駆け抜ける。

 リリアはと言うと、


「───灼陽しゃくよう術、準上級魔法」


 リリアは両手をクルシマラの方へかざし、自身の初得魔法の名称を口にする。

 直後、リリアを中心にして周辺の空気に炎のような赤い色が付き、目の前に佇む空間に重みが増す。色付いた空気はリリアの両手に収束し、炎の塊のような物体が生成される。


 リリアは目を細めてクルシマラに焦点を当て、炎の塊に込められた魔力を一気に発散するように手のひらに力を入れる。

 次の瞬間、赤く輝く炎球から無数の炎の矢が勢いよく飛び出し、クルシマラの方向へ弧を描きながら空中を舞う。


 炎の矢は光線のように空中に軌跡を濃い赤で彩りながら、クルシマラの不気味な顔にあっという間にたどり着く。炎の矢がクルシマラに当たると、炎は大きく爆散し、クルシマラは木の幹諸共、炎の矢の爆散に巻き込まれる。

 炎の矢の爆散に巻き込まれた周囲の木々は幹が抉れ、何本もの巨木がクルシマラに倒れかかり、それによる地響きが辺りを轟かす。木の幹は爆散の影響を受けたものの、炎で焼かれることは無く、紅梅色の怪物のみが一人、炎を全て見に受けていた。


「ははっ!すげぇな魔法!これぞファンタジー!」


 アヤミチは、炎の矢の爆散によって降りかかった火の粉に肌を焼かれ、その熱傷に顔を歪める。しかし、その痛み以上に魔法の大胆さと派手さに心を奪われ、不思議な高揚感を得る。

 アヤミチとルルドロスは、クルシマラの首と思われる部位に、手に握る銀色に美しく輝く鋼を両側から力を込めて振り下ろす。

 両者は振り下ろす剣で空を切り裂き、風を巻き込む音が辺りに響く。


 刹那、両者の剣からその軌跡に従うように、その刃から空間を切り裂く巨大な波動が縦に放たれる。その波動は、大地を揺らし、木々を薙ぎ倒しながら一直線に進み続け、森の奥底に消える。


 波動によって縦に大きく斬られた巨木は、その痛みを必死に訴えるように自身の幹と葉を大きく揺らした。


「───────ッッッ!!!!!!」


 辺りに土煙が立ち、アヤミチとルルドロスは腕で土から顔を守る。


 二人の斬撃と炎の矢を身体に浴びたクルシマラは、土煙を払うように悲鳴のような叫び声を上げる。赤子の泣き声を歪めたような、か細く、それでいて耳を刺すような鋭さを持ち、静寂を守る森に不気味に響き渡った。

 その叫び声に、戦場にいる三人は追撃を中断し、両手で耳を塞いで自身の鼓膜を守る。


「──ッ!これは....!!」


 クルシマラの叫び声によって土煙が晴れ、ルルドロスは、未だに燃え上がるクルシマラに付けた剣傷の具合を見ようと目を開くが、その光景にルルドロスは驚嘆の声を上げる。


 クルシマラに付けたはずの剣傷は、表皮の薄皮一枚が切れただけであり、切り込みどころか血の一滴すらも流れていなかった。

 クルシマラに付けられた傷は、リリアの炎で焼かれた皮膚とあまりにも効果の無さすぎる剣傷のみであり、リリアの炎でさえもクルシマラの身体からは消えようとしていた。


 その光景を見たアヤミチとルルドロスは、すぐに状況を理解し、クルシマラからの攻撃を恐れて散開しようとする。


「ぐっ、うぉお!?」


 アヤミチは、クルシマラから離れようと地面を蹴るも、大地が震える程の地響きによって、足を取られてしまう。


───大地が震える程の、によって。


 アヤミチの頭に過去の記憶が一気に蘇り、それを脳で理解するのにしばらく時間がかかった。


 突如、森の中に夜が訪れ、戦場は暗闇に包まれた。


「──ルル!リリア!!避けろ!!」


 アヤミチは、真っ暗──否、星すらも無い真っ黒な空を見上げてようやく状況を理解し、自身と離れた場所にいるルルドロスとリリアに必死に怒号を上げる。



 何故、クルシマラは事あるごとに森中に響くような叫び声を上げていたのか。


 何故、今までに何十人もの冒険者がクルシマラに挑んだのに、誰一人としてこの怪物を倒せなかったのか。


 何故、リズムを刻むように鳴り響く地響きに気付けなかったのか。



 そんな事を考えている暇もなく、頭上から勢いよく落ちてくる"巨大な敵"は、戦場を自身の巨体で上書きするように地面と衝突し、戦場全体に土埃と衝撃波を繰り出した。


「──クソっ。そりゃ、中ボス同士が協力なんてしたら、半端な戦力じゃ勝てないわな」


 アヤミチは、衝撃波によって身体を吹き飛ばされて地面に勢いよく横転し、土汚れで身体を汚す。

 顔に付着した汚れを袖で拭い、目の前に立ちはだかる二体の強敵を睨み、自身を嘲笑うように好戦的な薄い笑みを浮かべる。


───アヤミチの目の前には、紅梅色に肌を艶めかせるクルシマラと、透明な肌を新橋色に染めた変異スライムが立ちはだかっていた。


 変異スライムの作る巨大な影によって、そのどちらも、不敵な笑みを浮かべているように見えた。

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