第12話 よーいドン
静まり返る巨大な森。
──否、王都エリドールの南方面を大きく塞ぐような巨大な森は、木々のざわめく音と揺れた葉が空を切る音でとても静かとは言えない。それは、森全体の動揺によるものなのか、一人の勇者には理解に及ばなかった。
そんな森の中、丸く切り取ったように草木が一切生えていない、まるでバトルフィールドのような形状をしている場所に、アヤミチは堂々と入り込む。
「さて、と。どうしてか実家みたいな安心感がするぜ」
つい昨日の事に何故か懐かしさを感じつつ、アヤミチは背伸びをして澄んだ空気を十分に堪能する。アヤミチは、戦いやすさの為に前まで肩に掛けていた白いマントを腰に巻き付けるようにして縛っており、更に長い袖を肘辺りまで捲っている。その通気性の良さにアヤミチはどこぞへ感謝をする。
何故かこの周辺だけ木々が避け、太陽の明るい光が入っており、森の奥の薄暗さと太陽の元の明るさの対比は、何とも神秘的である。
そこへ──
「──おお、明るくて戦いやすそうだ」
腰に一本の剣を携えたルルドロスが、頭にかかりそうになる枝を、腰を低くして手で避けながら、アヤミチのいる場所へと足を踏み入れる。
ルルドロスは、戦闘には適さない軽装のアヤミチとは違って、しっかりと重装備で挑むようで、鉄製の肘当てや胸当てなど、彼の身体には所々重たそうな装備が付けられている。しかし、最も重要と言っても過言では無い頭には、何の装備も付けられておらず、彼いわく、頭だけは魔法で強化できるから必要ないらしい。
「頭隠して尻隠さずの逆バージョンだな....」
アヤミチは、その重量のありそうな彼の装備を見て、顔に苦笑いを浮かべる。ルルドロスから鳴る鉄のぶつかり合う音に、アヤミチはどこか気の毒な思いをした。
そして勿論、アヤミチと同行しているのはルルドロスだけではなく、
「こんな植物が育ってると魔法使うのに罪悪感が....」
そう呟くように独り言を言うのは、炎の魔法使いリリア・ガーネットである。彼女は、自身の胸辺りまで伸びている、背の高い草を何とか掻き分けながら、アヤミチとルルドロスの元へと小走りで近付く。
何故、アヤミチ達勇者一行はこの巨大な森へと足を運ぶ事になったのか。理由は至極簡単である。
【勇者への試練】
リリアを仲間に引き入れた際に、マグナスの言い放った一言だ。勇者を名乗る者達ならば、脅威など簡単に退けられよう。そんな大層な建前の手前、真実は王都を脅かす厄介者を退治してくれ、との事だ。この森に巣食う魔物達は、段々と王都の方角へと近付いているのだそうだ。王都に襲撃されては困るため、勇者達に倒してもらおうという魂胆だ。
だが、そんな厄介者払いでも、勇者の実力を示せる事には変わりない。そういった経緯で、この場にやってきた訳だ。
「よし、全員集まったな!まずは最重要事項、作戦確認だ」
アヤミチはその場で背筋を正し、好戦的な薄い笑みを浮かべ、戦場に集う二人の仲間へ作戦を伝える。
森に巣食う変異スライムの討伐計画は以下の通りである。
・ルルドロスとリリアを主戦力とする
・アヤミチが囮となり、ルルドロスがスライムに致命傷を与える
・再生を試みるスライムにすかさずリリアの炎魔法を撃ち込む
「とりあえずスライムの作戦説明終了、っと。二人とも、準備はどうだ?」
アヤミチは作戦の説明を終えると軽く手を鳴らし、終了の合図を出すと共に二人の準備の具合を尋ねる。リリアとルルドロスの二人は、同時に首を縦に振り、準備完了の合図をアヤミチに送る。
ルルドロスは、戦いの前の手癖のように鞘に収められている剣の柄を触り、リリアは目を閉じて深呼吸、意識を外界から逸らしている。
アヤミチは、二人のそんな様子を確認すると、視線を地面に下ろし、膝をへそ辺りまで持ち上げ、整えられた土地面を、蹴るように思いっきり踏みつける。木々のざわめきによって音はあまり響かないが、奴をおびき寄せるには十分な音だろう。
「────!!!!!」
アヤミチが地面を思い切り蹴ってから少し経つと、アヤミチ達のいる戦場より遠く離れた位置から、金切り声のような鼓膜が痛む奇声が耳を劈く。距離はかなり離れているようなので、少しばかりは心の準備というものは出来るだろう。
──遠く、遠く離れた場所にいるはずだ。
悲鳴のような甲高い咆哮は、確かに遠く離れた位置から聴こえたはずなのだ。
だが、木々の倒れる音──否、木々が破壊される轟音が、異常な速さでこちらへ近付いてきているのだ。この速さは、あの変異スライムの比では無い。もっと別の──
「避けろ!アヤミチ!!!」
脳内を駆け巡る不安と疑念に対する結論を出そうとしていたアヤミチは、すぐ側から聞こえるルルドロスの怒号によって、反射的に身体を大きく横へ、倒れるように動かす。
瞬間、アヤミチは鼓膜が破れそうになる程の轟音と、何かが腕を掠めた事によって腕から流れ出る血を虚ろな五感で確かに感じ取った。少し遅れて、アヤミチは後ろを振り向き、戦闘体勢に入る。
音の発生源を注視すると、何十年も時を経たであろう巨大樹の中心には、丸い形状の風穴が出来ており、それによってバランスを保てない巨大樹は、木の幹が折れる音が辺りに響き渡り、巨大樹は重力に身を任せる。
樹皮が砕け散り、枝葉が空を舞う中、巨大な木の幹は鋭く空気を切り裂き、戦場とは反対側に倒れようとしている。
地面が爆ぜた音と共に、巨木は土埃を大きく散らして地面と激突する。その衝撃で大地が揺れ、アヤミチ達は耳を塞ぎ、リリアは小さな悲鳴を上げている。
アヤミチは、戦場を激しく襲う土埃から目を手で覆って守りながら、何が起きたかを冷静に整理しようと頭の中で様々な思考を巡らす。
『そう、変異スライムを倒すだけでいいんだ。ただ、あの森には厄介な魔物がいてね』
遡ること数時間前、森へと続く道を歩きながら、ルルドロスは正面を見つめながら舌を滑らせる。
『変異スライムの討伐での死者は、その魔物と戦った者達だけだ』
『この森の脅威中の脅威。幾度も挑戦者を葬り続けた、その魔物の名前は──』
「──クルシマラ、か」
アヤミチは、脳内で結論を出し、森の薄暗い空間からゆっくりと近付く影を睨みつける。ルルドロスとリリアはそれぞれの配置に着き、変異スライム討伐の作戦ではなく、クルシマラ討伐の作戦へと変更された。
「────!!!!」
影から出でる魔物は、耳を通じて脳を蹂躙するような奇声を上げ、奇しくもそれが討伐戦の開戦合図となった。
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