8話 命の時間と目に映る差異(5/6)
クスクス、きゃっきゃと子ども達の楽しそうな声が遠くで聞こえる。
「せんせー寝てるー」
「起こす?」
「しーっ」
「ねんねよー」
「せんせーおきてー」
「ダメだってば」
「寝てたらせんせー怒られるんじゃない?」
「そうなの?」
可愛い声はだんだん言葉として聞き取れるようになって、俺は自分が目を閉じている事に気付くと慌てて目を開いた。
「あっ、せんせー起きた」
「おはよー」
「おはようー」
「おはよーごじゃます」
「寝てたのー?」
腕枕の下でグシャリと何かが音を立てる。
見れば俺の腕の下には子ども達が描いた夢の国の紙が敷かれていた。
そうか、子ども達と一緒にこれを敷いて寝るフリをして……俺はそのまま寝てしまったのか。
時計を見れば昼寝の時間はまだ始まったばかりで、一瞬のうたた寝だったことにホッとする。
「みんな、自分のお布団に入るよー」
声をかけると、渋々といった風ではあるがそれぞれの布団に戻ってゆく。
よく見れば、俺の周りに集まっていたのは普段からなかなか寝付かない子達だ。
俺は立ち上がると、布団が敷き詰められた室内を見渡す。
ええと……亜夢ちゃんはもう寝てるな。忘れないうちに水を汲んでおくか。
「もー、やめて!」
「せんせー、滝くんがみーちゃんに意地悪してるー」
「今行くよ、咲ちゃんは寝ててね」
俺は、喘息持ちの亜夢ちゃんのコップに汲んだ水をいつものように亜夢ちゃんの近くの台に置いてから、そちらに向かう。
「何があったのかな?」
半べその未来ちゃんと怒った顔で黙り込む滝斗君からなんとか話を聞いて、二人の布団の場所を交代して、俺は時計を見上げる。
あと十五分で職員室に行く時間だから、書けるとこまで連絡帳を書いて……。
……ん? 時計って、こんな形だったか?
いやいや、何を突然。
こんな形だよ。というかこれ以外にどんな形があるって言うんだ。
不意に、ぽたん。と水滴が落ちるようなイメージが過って、まあ確かに、砂時計とかオイル時計とかもあるか。と思う。
けどそんなんで一日分の時間を測るのは難しくないか……?
って、そんなこと考えてる場合じゃないな。連絡帳連絡帳……。
えーと、彗くんは今日……。
ポケットからペンを取って返事を書き始めると、右手首にチリッと痛みが走った。
見れば、カラカラに乾燥した蔦のような赤黒いものが手首にぐるぐると巻き付いている。
なんだこれ。
千切り捨てようとしてから、思いとどまる。
俺が寝てる間につけられた、子どもからのサプライズプレゼントだったりする可能性もあるか……。
もちろんただのイタズラの可能性もあるが、これが善意からのものか悪意からのものかは、残念ながらこの見た目では判断しきれない。
どの子に付けられたのか分からない以上は、全員帰るまでこのままがいいだろうな。
***
最後のお迎えは、いつもと同じで滝斗くんのママだった。
リュックを背負って靴を履いて「外で待ってる」という滝斗くんと一緒に、電灯の下で待つ。
自転車を飛ばしてやってくるママさんはいつも息を切らしてて、そんなに急がなくても大丈夫ですよ、と声をかけると「いつもギリギリですみません」と決まって頭を下げられてしまう。
園は十九時で閉所だ。滝斗くんのママさんはいつも十九時になるかならないかという頃にやってくる。
けれど、どう見たって大急ぎでお迎えにきてくれているのに、今だって毎日誰か途中ではねてないだろうかと心配なくらいなのに。
俺はこれ以上早く来いなんて言うつもりはないから、せめて安全運転で来てほしい。
「少なくとも僕が担任の間はママさんが来るまで一緒に待ってますから、焦らないで、車に気をつけて来てくださいね」
俺が言えば滝斗くんも「先生が一緒だから大丈夫だよ。ママはゆっくり来て」と言った。
『一緒だから大丈夫』という言葉に、なぜか胸がズキンと痛む。
「せんせーさよーならー!」と自転車の後ろの席から手を振る滝斗くんに手を振り返すと、手首でカサカサと音が鳴った。
そういえばこの手首のグルグルは誰も「私が付けたんだよ」と言いに来なかったな。
夜の闇に溶けてゆく二人の背中を見送ってから、手首のカサカサを千切ろうと指をかけた時、小さな小さな泣き声が聞こえた。
虫の声か……?
それにしてはなんだか鳴き方が子どもの泣き声のような……。
園にはもう誰も残っていないはずだが、誰かがこっそり隠れていたのに気付いていなかったなんて事があれば大問題だ。
俺は精一杯耳を澄まして、小さな小さな声を辿る。
園の花壇の一角。そういえば十七時お迎えの子達がこの辺に集まってたな。
なんか、ふわふわの変な虫がいるって……。
「それじゃ明日探してみような」なんて言って帰したが、その虫の鳴き声なのか……?
うろうろしてみたものの、小さな声は確かに園舎や遊具ではなく、この花壇の隅から聞こえているようだった。
まさかこの花壇の土の下に子どもが埋まってるなんてこともないだろうしな。
花壇の花々はそこそこの手入れでそこそこに咲いているという状態だったが、少なくとも人が潜れるほどに大きく掘り返したような形跡はない。
もう暗くてよく見えないし、人じゃないならまあいいか。と背を向けようとした時、小さな声が俺の名を呼んだような気がした。
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