7話 隠し事とスライム少年(6/6)

元の……世界……?

そんな事、尋ねられたのは初めてだよな……?

どういうことだ? まさか……、帰る方法が見つかった、のか……?


ドクドクと心臓の音が大きくなる。

帰りたいかと問われたのに。

俺は『帰りたい』とも『帰りたくない』とも言えず立ち尽くす。


「次の家政婦さんが、見つかった」

ザルイルの言葉に、俺の視界がぐにゃりと揺らいだ気がした。


ああ……。

そうか……俺はもう、この家に要らないって事……か。


ここまでの出来事が全て無に帰す気がして、足元が崩れるような感覚を覚える。

「あ……。じゃあ……俺、は……」

喉がカラカラに張り付いて、言葉が途切れた。

最初の頃のように、ただじっと虫かごに入っているのか、それとも、捨てられ……。


「ただ、次の家政婦さんの子の預け先が中々見つからないらしくてね。……ヨウヘイが良ければ……なんだが、家政婦さんの仕事中、その子はうちで預かろうかと思うんだ」


………………うん?


「え……? いや……、俺が……」

俺が? 良ければ?

「っ、それは、良いんですけど……」

とりあえずそこまで答えてから、俺は息を吐く。

どうやら今まで俺は息を止めていたらしい。

すう、と新鮮な空気を肺に入れてザルイルを見れば、俺を真っ直ぐ見つめている琥珀色の瞳が六つ。

一番下の一対以外は開いてるので、今は多い方だな。

ああそうか。ザルイルはよく見たいと思っている時に、興味があるものに対して目を多めに開くのか。

普段の生活では、目が良い分、四つも開けば十分って事なんだな。


ザルイルは、急かす事なく俺の言葉を待っていた。

「ええと、それなら別に家政婦さんを雇わなくても、俺が今まで通り家事も保育もやればいいのでは……?」

俺の言葉にザルイルは少し驚いた顔をして、小さく首を傾げた。

「君は……保育士であって、ハウスキーパーではないだろう?」

「それは、そうですが……」

「子ども達の親でもなければ、私の……伴侶でもない……」

「そうですね」

「ならば、君の仕事は保育だけで良いはずだよ」

まあ、そう言われてしまえば、確かにそうなんだが……。

「それに私は、たとえヨウヘイが私の伴侶だとしても、君だけに全ての仕事を押し付けるつもりはないよ」

はあ。……まあ、その例えはよく分からないが、とりあえずザルイルに俺を手放す気はなさそうだ。


ホッとした途端、膝が笑いそうになって俺は壁に手をついた。

「ヨウヘイ……?」

「いえ……。その、ザルイルさんが元に世界に帰りたいかなんて聞くから、俺はてっきり……」

安堵からか、うっかり溢してしまった言葉。

慌てて口を押さえるも、言葉はすでに溢れた後だ。

「ああ。帰れるかと期待をさせてしまったかい? すまない……。まだ君を帰す確実な方法は分からないんだ。だが、君が帰りたいと願うことが条件の一つだと知って、つい……。心配になって、尋ねてしまった」

ザルイルは、バツが悪そうに琥珀色の瞳を伏せた。

「私は……格好が悪いな……。すまない……」

自嘲のような苦笑を漏らすザルイルに、俺はぽかんと口を開けた。

この人が、そんな心配をしてたなんて。

いつでも余裕たっぷりに、俺達を見守っているザルイルが……?

俺が帰ってしまうんじゃないかと心配してたのか?


いやまあ、そのうち帰りたいとは思っているが、今すぐはちょっとな。

こっちに気がかりな事が、まだ多過ぎる。


俺に対して格好が付かないと、耳も尻尾もうなだれてしまったザルイルは、まるで捨てられた犬のようだ。立派な体躯をちんまりと縮める姿に、俺は堪えきれず吹き出した。

「ふふっ、いや、すみません。そんなに心配しなくても、俺はまだ帰りませんよ。少なくとも、今見てる子ども達が卒業するまでは……」

と、そこまで言ってから、昨日の疑問が蘇る。

「……えっと、ライゴ達はいつから学校に上がるんですか?」


***


新しい家政婦さんとその子どもは、その三日後からうちに来る事になった。

ザルイルの話では種族はズライムとのことだ。

多分あれだろ。このパターンはスライムなんじゃないか?

まあ、全然見た事がないようなのが来ても、保育中は人型でという条件に了承をもらっているらしいので、なんとかなるだろう。

なんだか俺も、異形達への度胸だけはついてきたな。


チリリンと保育室の呼び鈴が鳴って、俺はザルイルと顔を見合わせた。

今日から来る家政婦さんとの顔合わせのため、ザルイルは午前半休を取っている。

子ども達も、ぴたりと動きを止めて扉を振り返っている。

いや、なんか呼び鈴が鳴って来客に気付くのって、この巣に来てから初めてなんじゃないか?

何せリリアさん達は地響きと共に来るし、ニディア達トラコンはバサバサと羽音を響かせて飛んでくるから、どうしたって呼び鈴が鳴る前に気付くんだよな。


「はい」と扉を開けた俺の目の前には、真っ青な景色が広がっていた。

なんだこれ。

外の景色が全部青みがかって見えるんだが……?

「よく来てくれたね、入っておくれ」

「よろしくお願いしますよ。お邪魔しますねぇ」

ザルイルのエスコートで、家政婦さん? とその子ども? が巣の中に入る。

ああ……スライムか……なるほど、スライムだな……。

俺は、よくゲームの序盤に出てくるようなプニプニした丸っこいのを想像してたんだがな。これはあれだ。子ども達の大好きな、洗濯のりとホウ砂で作る方のスライムだ。どろっとした手触りで、ひんやりベタベタ手にくっつくやつ……。

色こそついているが半透明のスライム達は、体の向こうの景色が透けて見えている。

家政婦さんと思しきスライムはライゴ達と同じくらいのサイズで、子どもらしきスライムはライゴやシェルカの半分ほどしかなかった。

いや、上下よりも左右に広いから背の高さで測るのは間違いか。

俺よりは大きいが、体積としては、ざっと俺三人分くらいか……?

「ほら、挨拶して」

ママスライムの声に、子スライムが答える。

「……ケト」

ライゴよりも低くて落ち着いた、少年らしい声。

「ケトです、だろう? ほら、よろしくお願いしますって。頭下げて」

ママスライムにぐいと頭らしきところを押されて、渋々呟く。

「……よろしく……」

俺は事前に書いてもらっていたシートをママスライムから受け取って、性別を確認する。よし、今度こそ間違いなく男だな。同じ失敗は繰り返さないからなっ。

シートには、好きなものや好きな遊び、食べられない物や苦手なものの他、五感のうち敏感な物はどれかとか、種族の特性みたいなものも書いてもらえるようにしておいた。

シートを見る限り触覚が敏感って事らしい……まあえーと、スライムに触覚以外の五感ってあんのかな、と思ったりもするが。

「ケトくん、今日からママさんの仕事の間、先生と楽しく過ごそうな」

「……せんせい……?」

「あ、ごめんな。僕はちょっと前まで保育園の先生をしてたんだよ。今はただのヨウヘイだ。ヨーへーって呼んでくれたらいいよ」

「ヨーへー……」

さっきからずっと思ってたんだけどさ……どこから出てるんだ? その声。

どう見ても、その、口とかが動いてるような場所がないんだが?

年齢は五歳、ニディアのひとつ下だな。

俺は、ザルイルから教わった組数字とかいう千までの間一つとして同じ形にならないという図柄を脳内で数字に換算して誕生日を把握する。

ちょい前に過ぎてるな。ザルイルよりは前……、かろうじて先月ってとこか。誕生日会はやらなくてもいいな。

ザルイルが俺とスライム少年……ケトに手をかざせば、彼は青いボディと同じ青い髪に、大人しそうな雰囲気からか色白で線の細い人間の姿へと変わった。

顔の右半分には前髪が長くかかっていて左目しか見えてないが、目は二つある……のか……?

大きな丸襟の白いシャツとブルーのチェックの吊りズボンには見覚えがあった。これは俺が教育実習でお世話になった幼稚園の男子制服だな。凛と涼やかで、男子のデザインも可愛いなと思ってたんだよな。


人型になった少年を、俺の後ろでうずうずと待ち構えていた子ども達がわあっと囲む。

自分達と同じスケールになったのを、遊んでいい合図と取ったんだろう。

「こんにちは、僕はライゴ。よろしくね」

ライゴにむぎゅっと手を取られて、ケトが一歩下がる。

「ぇ……」

「ボクはニディアだ」

「あたち、りぃば」

胸を張って名乗るニディアには威圧感があるな。

リーバもえへんと胸を張ってはいるが、まだまだ可愛い。

「……ぁ……」

おいおい、あんまりグイグイ行き過ぎるなよ?

ケトは集団生活初めてらしいし、お手柔らかにな……?

「……シェルカね、えっと……、シェルカだよ……」

おお、三人につられてか、あの引っ込み思案なシェルカが自分から自己紹介をしている……!?

もじもじしてるとこがまた可愛いな。

ケトは俯いたまましばらく固まっていたが、周りの子達の眼差しに耐えかねてか「ケト……」と短く名を告げた。

「ケトは何して遊ぶのが好き? 僕ね、今すごく好きな本があってね……」

「ケトは足は速いのか?」

「あたち、うた、すき」

ライゴがケトの手を引いたまま歩き出す、本棚に連れて行こうとしてるんだな。

「何でもゆっくり教えてやってくれよー?」と子ども達の背に声をかければ「はーい」「うん」「分かっている」「できぅ!」と頼もしい(?)返事が返ってきた。

「話は聞いてたけど、まるで保育園みたいだねぇ」

カラカラと笑う家政婦さんは、肝っ玉かあさんといった風だな。

「うちのは同じ年頃の子と遊んだ事がなかったからありがたいねぇ。仕事させてもらって、子どもまで見てもらえるなんて、こんな良い条件なかなかないよ」

ケトと同じ青いボディを揺らしてママさんが弾む声で言う。

そうだよな。俺も頑張らないとな。

俺は保護者にもう少し話を聞いてから、部屋の奥で本を囲む子ども達の元へ向かった。

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