5話 脱皮と責任と独占欲(4/4)

すっかり眠ってしまった二人を大きなクッションに寝かせて、俺はそっと二人の間から抜け出した。

薄手の毛布をかけてやりながら、まだほんの少し寂しさを残した寝顔を見つめる。

こんな可愛い子達を置いて、あんなに誠実な人を置いて、ザルイルの奥さんはどうしていなくなってしまったんだろうか。

どうしようもない疑問は、自分の胸にも深く刺さった。

俺の両親は、俺がまだ小さい頃に離婚していて、物心ついた時には父と二人暮らしだった。

ああでも、父はザルイルほど良い人ではないからな……。悪い人だとまでは、言い切れないが。

その点、ザルイルは誠実だし紳士的で責任感も強い。悪い癖だって、今のところ見当たらない。

むしろ、こんなに子ども思いのザルイルが、奥さんとそんな簡単に別れたりするだろうか?

……もしかしたら、奥さんとは死別なのかも知れないな。

だから、二人は母親のことを全く口にしないのかも知れない。

ザルイルが辛くならないように、子どもなりに気を遣っているんだろうか。


俺は、そんな事を考えながら、料理の仕上げに取り掛かる。

もう随分と遅い時間だ。ザルイルもさすがにそろそろ戻ってくるだろう。


シンクの下に隠しておいた瓶詰めを取ろうと、棚の奥へと頭を突っ込む。

この家の家具はどれもザルイルサイズでできているので、子どもたちから半分ずつ要素をもらった今の状態では、まだまだ大きい。

体が完全に棚の中に入り込んだ時、バタンッと音を立てて棚の扉が閉まった。

次いでゴトゴトンと重い音が扉の外で響く。踏み台がわりにしていた椅子が倒れたんだろうか。

それきり、扉は開かなくなった。


中から押しても叩いても、扉はびくともしない。

物を動かす力で押してもピクリともしないので、棚の向こう側で椅子がつっかえているんだろうな。

思い切り力を込めれば開くかも知れないが、それではザルイルの魔力をたくさん消費してしまうだろう。

きっと彼も、もうヘトヘトだろうに。

うちに帰ろうと今も懸命だろう彼から、その力を奪うような事はしたくなかった。


子どもたちの寝ている部屋からここまでは距離がある。

扉越しに叫んでも、きっと気付かないだろうな。


……大丈夫だ、もう少しすればきっとザルイルが帰ってくる。

そうしたら、助けを呼べばいい。

彼ならきっと、俺をここから出してくれる。

この扉を開けてくれる……。


俺は、閉じ込められてるわけじゃない。

今はたまたま、運悪く、出られなくなっているだけだ。

そう自分に言い聞かせながら、ゆっくり深呼吸する。

自分が震えていることに、俺は気付いていた。


暗くて狭い、四角い空間。

息を殺して、声を漏らさないように。父が開けてくれるまで。

いつになるか分からないけど、きっと、きっと開けてくれる。

子どもの頃、そうやって繰り返し自分を励ましていた。

そんな感覚が重なってしまいそうで、必死に首を振った。


ええと、料理の仕上げは、あと、あれと、これと……。

最後に振ろうと思ってた香草……パセリみたいなやつは、ここではなんて名前だったっけな……。


違うことを考えて、自分の気を逸らそうとする。

それでも、じわじわ息が苦しくなってくる。

上がってくる息を抑えようが無くて、震える両手で胸元を握り締めた。

落ち着け。大丈夫だ。

俺くらいのサイズなら、酸素はまだまだいっぱいある。

落ち着いて、ザルイルの帰りを待つんだ。


ザルイルの両手に包まれてここへ運ばれた時は、慌てこそすれ、こんな恐怖は感じなかったのに。

ザルイルの手が、ふわふわで温かかったからだろうか……?

あの時は、指の隙間から見える外の景色があまりに信じられなくて、ただただ混乱していた。

こんな場所でどうやって生きて行けばいいのかと、途方に暮れた。

夢が覚めることを、切に願っていた。


けれど、今は違う。

俺はまだ、この夢から覚めたくなかった。


暗闇の中で、意識がふわふわと現実味を失ってゆく。

このまま、夢から覚めてしまうのだろうか。


俺を慕ってくれる四人の子を置いて……、俺に会えてよかったと言ってくれた人を置いて、俺は戻ってしまうのか……。


そんなこと、したくない。


ライゴ、シェルカ……、ザルイルさん……。


遠のく意識の向こうから、確かに羽音が近付いてくる。


小さく巣を揺らす衝撃。

いつものように、ザルイルが大きな体で、なるべくそうっと巣に降り立ったんだろう。

「あっ、父さん、おかえりなさい!」

その衝撃で目覚めたのか。ちょっとだけ眠そうな、それでも待ちわびた親の帰宅に心弾ませるライゴの声。

「ただいま。遅くなってしまって、すまなかったね」

「ん……、……ぁ、お父さん、おかえりなさい……」

シェルカもまだ半分夢の中といった声ではあるが、目を覚ましたようだ。

「見て見て! これぜーんぶ、僕たちで用意したんだよ!」

「ほう……これはすごいな。いつの間に用意していたんだい? 全く気づかなかったよ」

落ち着いた優しげな声が、子ども達を撫でるようにかけられる。

「えへへ、父さんびっくりした!?」

「ああ、とても驚いたよ。こんなに沢山大変だったろう。ありがとう」

「シェルカね、いっぱい頑張ったの。ニディアも一緒に作ってくれたよ」

シェルカの言葉に、ザルイルがもう一度礼を言う。


「あれ? ヨーヘーは??」

ライゴがようやく気付いてくれたようで、俺を探すように右へ左へ足音をさせている。

「父さんっ、どうしよう! ヨーへーがいなくなっちゃった!!」

巣をひとまわり見て回ったライゴが悲痛な声を上げる。

「ヨーへー前に言ってたんだ。もしヨーヘーが急にいなくなったら、父さんを呼べって……。……もしかして、これって……」

あんなにはしゃいでいたライゴの声が、次第に滲んでゆく。


ああ、違うんだ……。俺はまだ、ここにいるよ……。

伝えたいのに、頭の芯が痺れて、体はまるで思ように動かない。

俺は戸棚の奥で小さくうずくまったまま、息をする事に必死で、声を出すことすらできずにいた。


「……そうか……。彼は知っていたんだね……」

何かに深く納得するようなザルイルの声。きっと、あの紫のふさふさの毛を揺らして、ゆっくり頷いたんだろう。

「私も、こないだのヨウヘイの笑顔が何だか壊れそうに見えてしまって、調べていたんだ。どうやら、ヨウヘイのように別の世界から来た者は、不意にいなくなる事があるようだね。……残念だが、それは、本人の意思でどうにかできる物ではないらしい」

ザルイルが落ち着いた声で話す。

そんな事を……わざわざ……調べてくれていたのか……?

仕事の合間を縫って?

もしかして、遅くなったのはそれを調べてて……?


「そんな……」

「じゃあヨーへーは……?」

涙声のライゴとシェルカに、ザルイルは優しく声をかけた。

「落ち着きなさい。今の話は事実だが、私たちのヨウヘイはまだここにいるよ」

「え?」

「そうなの!?」

「ああ、お前たちがまだその姿をしているのが、何よりの証拠だ」

そう告げるザルイルの気配が少しずつ近付いてくる。


「ふむ……。ここかな?」

ガタガタと音を立てて、ザルイルが棚の前に倒れていた椅子を避ければ、棚は軽く開かれた。

暗闇に、眩しい光が差し込む。反射的に、俺は顔を上げる事ができた。

光を背にしたザルイルが、棚の奥を覗き込む。

優しげな笑みを浮かべたザルイルの琥珀の瞳が、うずくまる俺をとらえてハッと色を変える。

……俺……、どんな顔、してるんだっけ……。

「ヨウヘイ……」

心配そうな声と、俺へ真っ直ぐに伸ばされるふわふわの手。

それに縋り付きたいと思うのに、俺の体は震えるばかりで動かない。

「……ザル、イル、さ……っ」

やっと絞り出した自分の声は、細く掠れて、涙に濡れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る