タイセツナモノを返せ

 ある日、職場に一本の電話がかかってきたことが、今回の事件の始まりでした。


「はい。〇〇不動産です」と、私が電話に出ると、いきなり「あなたは、女性ですか」と聞かれました。声の感じでは、おそらく中年の男性だと思います。しゃべり方は妙にモゴモゴとしていて、陰気な感じがしました。


「あなた、女性、ですか」

「女性ですかって言われましても……」

 声でわかると思うのに、なぜ聞くのでしょう。ちなみに私は女性ですので、そう答えました。


「干支を、教えてください。何年なにどし生まれ、なのか、教えてください」

 さっきから一体どういうことなのでしょう。この人はお客さんでもなければ、取引先でもないことは明白でした。いたずら電話でしょうか。


「あの、どうして干支を知りたいんですか?」


「へび年生まれで、不動産屋で働いている女性を、探しているんです」と、男性は言いました。


 怖い。背筋がぞわっとしました。


「ど、どういう目的でそういう女性を探しているんですか?」


「預けた物を、返してほしいんです。大切なものなんです。あなたは私から、大切なものを、預かりましたか?」


「預かってないです!」


 間髪入れずに返事をしました。

 だって本当に預かっていませんし、へび年生まれでもありません。そもそもこの男性が誰なのかさえわからないのです。それに言っていることもおかしいし、電話口から聞こえてくる声もとても陰気なものだったので、もしも何か誤解されてしまったらあの世につれていかれるんじゃないかって、そんな嫌な想像をしてしまったのです。


 男性は、私の返事なんかまるで聞いていなかったみたいに一方的に話を続けました。

「預けた物を、返してほしいんです。へび年生まれで、不動産屋で働いている女性に、預けたんです。大切なものなんです……タイセツナモノなんです……タイセツナモノなんです……タイセツナモノな」


 私はすっかり怯えてしまって、男の言葉を遮りました。


「あの! こんなこと聞いていいのかわかりませんが、預けた大切な物っていうのは、何ですか?」


「保険証です。あと車の免許証も。ちょっと預かるからって、言われて」


「あー……ああ、そういう感じのやつですか、あー」

 

 魂を返せとか目玉を返せとか、そういうオカルトっぽいことを言われなくてよかったと一瞬安心しかけましたが、違う意味で不穏なものを感じ取りました。不動産屋がお客様の保険証や免許証を預かることなんてありますか? いやない。本人確認のために見せてもらうことあっても、それは見せてもらうだけで預かりはしないですよ。これは犯罪のにおいがする……!

 この方は、身分証を取り上げられて、勝手に銀行の口座を作られるといったような犯罪に巻き込まれているのではないでしょうか。


「あの、私には事情がよくわからないのですが、でも警察に相談したほうが良いのではないでしょうか」


「そうですか。じゃあ、そうします」

 電話は切れて、それっきりです。



 この方が保険証と運転免許証を取り返せるといいなと思いました。


 他人の身分証を悪用するの、ダメ、ぜった~い。

 

<おわり>

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