人の声がするんです……

 これは私が不動産屋に勤めていたときに実際に体験した話です。


 ある夜、入居者さんから騒音の苦情の電話が入りました。


「あの、201号室のものなのですが。お隣の声がうるさいっていうか、耳障りなんで、ちょっと注意してもらえませんか」


 201号室の隣は、202号室です。私は早速202号室に電話しました。もちろんいきなり責めるようなことはしません。心当たりがないかをお尋ねするだけです。


 202号室の人は、

「それはうちじゃないです。隣だと思います。私はイヤホンをして動画を観てましたから。あ、今も隣から声が聞こえましたよ。なんかぶつぶつ言ってますね」と、おっしゃいました。


 次は203号室に電話してみました。このアパートの2階には3部屋しかありませんから、騒音の発生源は203号室で決まりのようです。


 203号室の人は、不機嫌そうな声で電話に出ました。

「はあ? 今寝てたんだけど。というか、騒音っていうなら隣じゃないですか。さっきからぶつぶつ言ってるし」


 これは一体どういうことでしょう。3階には3部屋しかないのに、全員が「隣から声が聞こえる」と言っているわけです。


「ええと、203号室の隣というと……つまり202号室から声が聞こえるということですか?」


「え? いや、そっちじゃなくて、反対側から聞こえるんです……けど……あれ?」


 反対側には部屋はありません。


「か、壁の中から人の声がする……? なんで? 下の階の人ですかねえ。声が壁をつたって、上にも届いているのかも」


「下というと、103号室ですね。でも、そこは空き部屋ですよ。そちらのアパートは二階建てですから、上にも部屋はありませんし……」


「え、どういうこと?」

「うーん、よくわからないですね」

 皆さんのおっしゃることをまとめると、人の声は203号室の壁の中からしているということになります。


「え、心霊現象とかそういうこと!? え怖い、え怖い。え……怖いっ!」

 203号室の人はパニック状態になりました。


「これって霊とかですか、うわ最悪、お祓いってしてもらえます?」


「あー、そういうのは入居者様の自己負担でお願いしているんですよね」


「そんな……いま金欠なのに」


「でも、多分あれです、霊じゃないですよ。壁の中にあるパイプの振動音とか、そういうのが人の話し声に聞こえるだけだと思うんです。近いうちに点検に伺いますね」


「いやでも……これって絶対人の声です。パイプの振動音とかじゃないと思います」


「うーん。霊のせいだなんて思ってしまったせいで、そう聞こえるだけってこともありますから。思い込むとなんでも怖く感じてしまうものですよ」


「いや、これ絶対霊だよ。どうしよう、塩とかまけばいいのかな。いや、お経がいいかな? そうだ、お経の動画を流してみようかな」


「ああ、ネットにもありますね、お経のやつ。いいかもしれませんね」


「じゃあ、やってみますね」




 後日。

 私はそのアパートの点検に行きました。点検といっても、壁に耳をつけて音を聞いてみるぐらいのことしかやらないのですが、特に異変は感じられませんでした。人の話し声も聞こえません。


 一体なんだったんだろう。まさか本当に霊のしわざ……? でも、まあ、いまのところは問題はなさそうです。点検も済んだことだし、そろそろ帰ろう、そう思ってアパートを出ようとしたときのことです。


 ふと、思い出したんです。

 そういえばこのアパートの空き部屋の103号室って、近々内装工事が入る予定だから、鍵をあけたままにしていたなって。


 背筋がぞくっとしました。なんだか嫌な予感がします。


 部屋の様子を見にいったほうが良さそうです。ああ、だけど行きたくない。103号室のことは無視してさっさと帰りたい。そう思いましたが、仕事ですからやっぱりそういうわけにもいきません。


 私はおそるおそる103号室のドアをあけてみました。


 ああ……思ったとおりでした。

 室内には、空になったコンビニ弁当や空き缶が散乱していました。汁が残ったままのカップ麺もありました。誰かが無断で住み着いていたのでしょう。多分、騒音の犯人はこの侵入者です。声が壁を伝って、上の部屋にも届いてしまっていたのでしょう。


 幸いなことに、侵入者はいまは不在のようでした。ほっとしました。はちあわせせずに済みました。



 携帯電話で会社に103号室に侵入者がいたことを報告していたら、そのとき聞こえてきたんです。上の階から、お経の音声が……。



 お経のおかげで、住み着いてしまった人も居心地が悪くなって、逃げ出したのかもしれませんね。


 お経って、ありがた~い。


 <おわり>

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