第10話 一番のスポンサー

私が勝手に油絵などを高尚に考えていたけれど、そんな事はなかったのかもしれない。それより彼の親的に息子のネガティブさが心配なのだろう。


「学校は? テレビ出るのに厳しい学校とかあるよね」

「うちは校長教頭先生達が王崎晶のファンで、友達と一緒になって学校ごとで応援してくる……」


それはプレッシャーでなおさらネガティブになりそうだ。あと結城君に友達は多いらしい。少し付き合っただけでおもしろいのがわかるもんな、この人。


「結城君は王崎晶が好きなの?」

「好きっていうか、憧れてる。死ぬまで美術の世界にいられたんだから。僕もそうありたい」


それはきっと当たり前のようで凄く難しいことだろう。

多くの人が美術の道を歩もうとして挫折する。挫折しなかった人も芸術家になれるわけじゃない。美術に関わるだけなら努力次第でできるかもしれないけれど、一生芸術家でいるのが一番難しい。


気軽にイラストレーターやってる私は何と言えばいいのだろう。迷っているとき、小さな人影が私達に近付いた。


「ごめんなさいね、少しいいかしら?」


スタッフにしては上品すぎるし年齢も上の女の人だ。黒髪が若々しくて、顔には笑顔のシワが刻まれていて、小柄で痩せた体なのにしゃんと立っている。そして品のいいワンピース姿。おばさんというには嫌味かもしれないし、おばあさんというには若い。


「hikariさんですよね。私ね、あいすくりんうさぎのファンなんです。それでサインをいただけたらと思って。よろしいかしら?」


この人は誰だと思っていたら、結城君が私の耳元へ小声で告げる。


「王崎晶の奥さん、王崎登喜子さんだ」


その言葉に私の体は縮こまった。あの巨匠の奥さんが、私のサインを!?


「どこか渋い抹茶うさぎちゃんが好きなの。スマホの壁紙にもしているのよ。好きすぎて持てる権限を使ってここに潜りこむほどで」

「あ、ありがとう、ございますっ」


結城君の事を言えないほど、私は緊張で固まっていた。いくら人気のキャラクターでもこんな風にすごい人からサインを求められるとは思わなかった。

登喜子さんは本来このアトリエすべてを引き継ぐはずの人。なのに旦那さんのやりたいことを優先して、この企画の場所を貸し、縁もゆかりも無い私達の誰かに譲ろうとしている。ある意味一番大きなスポンサーだ。スタッフさんも私達を遠巻きに見てソワソワしている事がわかった。ここで失礼があってはいけない。


渡された色紙に油性ペンで慣れた自分のサインと、簡略化したあいすくりんうさぎを描く。これだけは緊張していようが体にしみついている。


「お名前は登喜子さん宛ててよろしいですか?」

「それなんだけど、『おばあちゃん』でお願いできる?」


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