第8話

「いただきます」



 夕暮れ時、目の前に置かれたおにぎりの皿を見ながら少女は手を合わせる。そして一つ手に取って口に運ぶと、少女は驚いた様子を見せた。



「美味しい……! のりだけ巻いたシンプルなものだけど、ご飯はふっくらとしていて塩加減も程よいからしっかりとした旨味もあるし、香りもよくてどんどん食べたくなる……!」

「喜んでもらえてよかったです。風助達の分もすぐに作ってあげるからね」

「ああ、すまねえな」

「しかし、腹空いててフラフラしてたなんて不思議な話だな。金はなかったのか?」

「……思い立って家を出てきたから」

「え……い、家出ですか?」



 辰也が驚く中、少女は静かに頷く。



「自慢するわけじゃないけれど、私の家は結構お金を持っていて、父も母も社長をしているのよ」

「ほーん……つまりはお嬢様って奴か」

「そうね。だから、なに不自由ない暮らしをこれまでしてきた。世間から見ればね」

「あなたからすれば不自由な暮らしだったという事ですね」

「そうよ。父も母も早くから私に許嫁をつけようとしてきたし、周囲からの嫉妬や羨望の視線だって辛かった。何をやっても出来て当然だと言われるし、出来なければ意外だと言われる。そんな生活をこれまでしてきたの」

「だから家出を……」



 少女は俯き、それに対して風助は腕を組んだ。



「家出をした理由はわかった。だが、何も金を持たずにってのはやっぱりよくない。俺達が通りかかったからまだよかったが、あのままだったら野垂れ死ぬかよくない奴に目をつけられたりしてたぞ?」

「それはわかってる。でも、あの家にはもう帰りたくない。家出にはお金とかが必要なのはわかっているけど、そのためだとしても帰りたくない。帰るくらいなら死んでもいいわ」

「そこまでか……」

「難しいですね……」



 風太と風音が頭を悩ませていたその時、風助は組んでいた腕をほどいてから少女に話しかけた。



「なあ、嬢ちゃん。一個提案があるんだがいいか?」

「なに? 帰らせるつもりなら聞かないわよ」

「いいや、帰りたくないなら帰らなきゃいい。だが、衣食住が揃ってねぇと家出だってうまくいかねぇだろ?」

「それはそうだけど……」

「お前もここに住まないか? 嬢ちゃん」

「え?」

「ふ、風助?」



 少女と辰也の視線を浴びながら風助は話し始める。



「俺も居候だから住むには辰也に許可を貰う必要がある。だが、ここに住めば家もあって食べ物もあって、金を借りれば服も買える。悪くねぇと思わないか?」

「それはそうだけど……そこの彼が許すわけがないでしょ? それに、親御さんにだってお話を……」

「大丈夫ですよ。僕も風助と同じ意見ですし、親はいないのと同じような物ですから」

「いないのと同じ?」

「ええ。だから、あなたさえよかったらウチにいても大丈夫ですよ。同じくらいの年の男がいるのは嫌だというならそれはそれで方法を考えますし」

「あなた……」



 少女は辰也をジッと見る。そして射貫くような視線を向け続けていたが、やがてふうと息をついてから立ち上がり、辰也に右手を差し出した。



「住まわせてもらうのに嫌と言うつもりはないわ。あなたも危険そうな人じゃなさそうだからね」

「わかりました。これからよろし……あ、そういえばまだお名前を聞いていませんでしたね」

「名前……せっかくだから、ここに置いてもらってる間は別の名前を名乗らせて貰うわね」

「自分の名前が嫌いなのか?」

「嫌いというか、あの家にいた私と今の私は別人として扱いたいのよ」



 少女は顎に手を当てながら考えると、程なくして辰也に目を向けた。



「あなたの名前は?」

「僕ですか? 僕は風祭辰也といいます。辰は十二支の辰です」

「風祭……聞いたことある気がするけど、まあおそらく気のせいね。それなら私もその辰の字を使わせてもらって、辰美たつみにするわ。名字も風祭を名乗らせて貰うけど、それでもいいかしら?」

「はい、大丈夫です。えへへ……」

「どうしたの?」

「なんだか嬉しいんです。これまで一人きりだった家に新しい家族が四人も増えてくれたから」



 嬉しそうにする辰也を見ながら風助はニッと笑った。



「よかったな、辰也」

「うん。それじゃあこれからよろしくお願いしますね、辰美さん」

「ええ。でも、敬語はいらないわ。もちろんさん付けも」

「うん、わかった。それじゃあ改めてよろしくね、辰美ちゃん」

「こちらこそ。えっと……鎌鼬の三人もよろしくね」

「ああ、よろしくな。辰美の嬢ちゃん。風太も風音も辰美の嬢ちゃんと仲良くすんだぞ?」



 風太は仕方ないといった顔で頷き、風音は静かに頷いた。そしてリビングに和やかな雰囲気が流れ始めたその時、風太の腹からグウと音が鳴った。



「う……美味そうなおにぎり見てたら腹が……」

「まったくお前は……辰也、ちょっと作ってもらってもいいか?」

「うん、もちろん。せっかくだからおかずとかも用意して、少し早い夕食にしようか。辰美ちゃんの着る服とかも用意しないといけないから」

「それもそうだな。んじゃ、俺も手伝える事は手伝うぜ」

「ありがとう。辰美ちゃんと風太と風音はそのまま座ってていいからね」



 三人が頷いた後、辰也は風助を連れてキッチンへと向かった。これ以上ないといった幸せそうな表情を浮かべながら。

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