なんだかよくわからない本

 図書室に入ると、オレはすぐに窓の外を見た。

 何と言うか、昨日迷い込んだあの灰色の世界が、トラウマになっていたからだ。


 だが今のところ、大丈夫そうだ。

 外には、いつものオレンジ色の夕暮れが広がっている。

 窓から下を見下ろすと、さっきの花壇が見えた。

 和美とみちるちゃんが、楽しそうに花壇の前で話してる。


 子どもって、気楽でいいよなぁ……。

 あぁ、オレもあっち側になりてぇ……。


「古住さん」


 オレが花壇を見下ろしていると、土器手さんがとなりに並んできた。


「はい。何でしょう?」


「古住さんは、図書委員をされているわけですよね?」


「はい。そうですけど」


「でしたら――さっきみちるさんがおっしゃってた『なんだかよくわからない本』がどれか、ご存じありませんか?」


「いや、そもそもですけど、みちるちゃんが言う『なんだかよくわからない本』って、この図書室にあるんでしょうか?」


「え? でもさっき、みちるちゃんは、この図書室で見た、と……」


「いやいや。土器手さん、よく考えてみてください」


 図書室の本棚に沿って、オレは室内を歩きはじめる。

 まるで、推理をはじめる名探偵のように。


「ここは小学校の図書室です。小学校の図書室に、外国の本が置かれてると思いますか?」


「逆に、置かれていないのですか?」


「ほぼ、置かれていません。もっとも、最近は英語の授業もありますので、増えてはいます」


「でしたら、簡単な英語の本くらいは……」


「そこです! たしかに簡単な英語の本は少しだけ置いてあります。しかし、よく考えてみてください」


「考える?」


「みちるちゃんが触れたのが英語の本であれば――彼女は『英語の本だった』と言うのではないでしょうか?」


「……」


「英語は、この日本でもアチコチでフツーに見かけます。みちるちゃんだって、トーゼン見たことがある。でも彼女は『英語』と言わなかった。ってことは――」


「彼女が言っていた『外国の字』は、英語ではない?」


「そういうことです。加えて、彼女はこう言いました。図書室で『植物の本』を見ていた、と」


「はい。たしかに」


「英語以外で植物のことが書かれた外国語の本――そんなものは、小学校の図書室にはありませんよ」


「なるほど……」


「おそらく、みちるちゃんが言ってることはデタラメです。放課後に一人ぼっちで花壇をいじる小2。おそらく彼女は、さみしさのあまり、我々に興味深いウソを――」


「あの、古住さん」


「はい。何でしょう? ひょっとして、オレの推理がめっちゃ鋭くて、ちょっとソンケーしちゃいましたか?」


「いえ。あの本は、何でしょうか?」


「あの本? え? どれです?」


 土器手さんが、すぐそばの本棚に近づいていく。

 一冊の本を抜き出し、その表紙をながめた。

 彼女のとなりに並び、オレもそれをジッと見つめる。


 それは――まったく見たことがない本だった。


 なんだかめちゃくちゃカビ臭い。

 何だ、これ?

 この本。


 こげ茶色の、思いっきり薄汚い表紙。

 これ、ひょっとして――革でできてる?


「中を見てみましょう」


 土器手さんが、本を開く。

 それを見て、オレは目を見開いた。

 なんだか……本当によくわからない文字が、そこにはズラッと並んでいる。


 それは、英語っぽいけど、なんか違う。

 石碑とかに彫られているような、やたらムズそうな文字列。


 これ、何でしょう?

 何かの、研究資料?


 みちるちゃんが言ったように、たしかにページのアチコチに、イラストがたくさん載っている。

 絵のタッチは、どっからどう見てもガチな古代の絵っぽい。

 こんなの、フツー、小学校の図書室にある?


 土器手さんが、パラパラとページをめくり続ける。

 だが最後のページにたどり着いても、さっきみちるちゃんが言ったような、小さなビニール袋は見つからなかった。

 ってことは、もう種は入ってない。


「土器手さん。これ、何でしょう? タイトルも書かれてませんけど……」


「古住さん」


「はい」


「私、思うんですけど……」


「はい。どうぞ」


「この本、おそらくこの図書室の本ではないような気がします」


「この図書室の本ではない? って、それは一体、どういう……」


「つまり外部から持ち込まれて、なぜかここに置かれている。そう考えた方が、自然だと思うんです」


「何ですか? そのめちゃくちゃ不自然な説は?」


「不自然ですか?」


「不自然でしょう? 外部から持ち込まれた本って……一体、誰が? 何のために?」


「とりあえず、もう少し様子を見てみましょう」


 そう本を閉じると、土器手さんはそれを元の位置に戻した。


「興味があるようでしたら、借りて帰れば良いのではないですか? 昨日、オレが代本板だいほんばんを作ってあげたじゃないですか」


「いえ。この本は……できれば自宅に、持ち帰りたくありませんので」


「あ、あぁ……まぁ、ちょっと臭いますものね」


「いえ、そうではなく。理由は別にあるのです」


「理由は別にある? その理由というのは? お聞きしても?」


「いえ」


 土器手さんは、キッパリと言った。


「古住さんは知らない方がいいと思います。知ってしまうと、あとで色々と大変なことになる可能性があるので」


「何ですか、それ? めちゃくちゃ思わせぶりじゃないですか。オレは知りたいですね。この本が、一体何なのか」


「さぁ、そろそろ帰りましょうか?」


「ちょっと、待ってください。土器手さん、まだ話は終わってな――」


「置いて行きますよ、古住さん。昨日みたいに、またこの図書室の外が灰色になってたら、今度は古住さん一人で脱出してくださいね」


「いや、ちょっと、そんな、ま、待ってくださいよ!」


 スタスタと図書室を出ていく土器手さんを、オレは小走りで追う。

 廊下を歩き、校舎を出た。


 花壇に戻ると、和美はまだみちるちゃんと話をしていた。

 外はなんとなく、薄暗くなりはじめている。


「すっかり遅くなったな。ほら、和美。帰るぞ」


「えー、もう少しいいでしょ? 私、もっとみちるちゃんとおしゃべりしたい。って言うか、碧くんもみくさんも、どこに行ってたの?」


「図書室だよ。さっ! 暗くなったら、みちるちゃんが困るだろ。ほら、みちるちゃん。そろそろ帰らなきゃ。ご家族が心配するよ」


「うん!」


 和美に比べて、みちるちゃんは素直だ。

 オレにうなづき、花壇の後片付けをはじめる。


「それじゃあ、和美ちゃん。また明日ね♪」


 みちるちゃんが手を振るので、オレと土器手さんは「じゃあね」と手を振り返した。

 しぶしぶと、和美も手を振る。


 夕暮れの中、オレたち三人は校門に向かった。

 土器手さん、和美といっしょに歩きながら、オレはさっきの本のことを思い出す。


 しかし……あの本は、一体何なんだろう?

 土器手さんは、このまま様子を見るとか言ってたけど……。

 本の様子を見るって、一体どういうことなのか?

 そりゃあ、まぁ、花壇の様子を見るとかなら、わかるんだけどさ。


 だが――それについて、翌日オレは、全力で思い知ることになる。

 土器手さんが言った通り、あの本は、おそらく外部から持ち込まれたものだったのだ。

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