夕暮れのオレンジにたたずむ

 ふわっ――。


 初めて体験する、無重力状態。

 しかも2階からの、めっちゃ高いダイヴ。


 数秒後、オレたちは地面に着地していた。

 土器手さんがオレを下ろし、引き続き腕を引っ張る。


「古住さん、こちらへ!」


「は、はい!」


 何が何だかわからないまま、オレたちは灰色の運動場のド真ん中まで走った。

 立ち止まり、土器手さんが真剣な眼差しを向けてくる。


「あの……古住さんは、秘密を守るかたですよね?」


「え? な、何ですか、突然?」


「守る方ですよね?」


「は、はい。まぁ、秘密は守りますけど……」


「じゃあ、今から見ることは、絶対に誰にも言わないでください」


「え? なんでですか?」


「一応、私、これでも女の子なんで」


「いや、そりゃあ、誰がどう見たって、女の子でしょう……」


「約束してください! 今すぐ!」


「は、はい! や、約束します!」


 オレの返事と同時に、2階の別の窓ガラスが大きな音を立てて割れた。

 ロケット状態で、そこからさっきの黒い影が飛び出してくる。

 ファサッと、全力でキモい着地。


 カサッ!

 カサカサカサカサカサ!


 大人サイズのクモ人間が、8本の手足で、地面を素早く這っていた。

 進む先は、もちろんオレたちがいる、この場所。


 何度も言おう!

 どっからどう見てもキモい!

 めちゃくちゃキモい!


 キモすぎる!

 特に、何と言うか、全身に生えたフワッフワな黒毛がキモい!


「古住さん。少し私から離れていてください」


「は、はい」


 土器手さんに言われた通り、オレは数歩、後ろに下がる。

 すると彼女は、なぜかクモ人間に向かってゆっくりと歩きはじめた。


 えっと、あの……土器手さん?

 ひょっとして――マジで戦うつもりなのですか?


 いや、土器手さん、ここは逃げましょう!

 あんな化け物、オレたちみたいな子どもでは――。


「!」


 その瞬間、土器手さんが何か気合いのようなものを入れた。

 すると、彼女の周囲に、何か煙のようなものがただよいはじめる。


 これ……何?

 ひょっとして……オーラ?

 それはまるで黒い炎のように、彼女の全身からユラユラと宙に舞い上がっていた。


「え……」


 それを見て、オレは思わず声をもらす。

 気がつくと、彼女の背中のあたりから――なんだか黒くて長いくだのようなものが飛び出していた。


 全部で、十本はあるだろうか?

 オレは最初、それが何なのか、まったくわからなかった。


 目を凝らしてみる。


 彼女の背中からニュルニュルと伸びているのは――タコの足のようなものだった。

 つまり、触手しょくしゅ

 それが彼女の背中で、クネクネとうごめいている。


 まるで海の底で揺れる、海草のように。

 それ自体が、意志を持っているかのように。


「こ、これは……」


 オレのその声が合図だったかのように、その数本のタコ足が、大きく伸びていく。

 まっすぐに、クモ人間に向かって。


 そこから先は、一瞬だった。


 タコ足が、クモ人間のまわりで踊る。

 ムチのように素早く、しなやかに、宙を舞った。


 知恵の輪のように複雑なカタチで、次々と空気を切り裂いていく。

 黒い血液のようなものが、あたり一面に飛び散っていった。


「ギギギギギ……」


 クモ人間の声を聞いたのは、それが最初で、最後だった。

 そう鳴いたあと、目の前の宇宙生物はその場でグッタリと動かなくなる。

 灰色の中で目をこらすと、いつの間にか、クモ人間の体はバラバラになっていた。


 し、死んだのか?

 いや、わからない。

 でも、とにかく、バラバラだ。


「ど、土器手さん……」


「大丈夫。危険は去りました。こいつが作りあげたこの空間も、もうすぐ消えていくでしょう」


 そう言って、土器手さんがこちらに戻ってくる。

 彼女の背中のタコ足は、いつの間にか、どこかに消えていた。


 ボンヤリとした灰色の中、少しずつ、周りがいつもの夕方に戻っていく。


 気がつくと、オレと土器手さんは、見慣れた夕方5時の運動場に立っていた。

 オレンジ色の夕暮れの中、オレは彼女と向かい合っている。


 さっきまですぐそばに転がっていたバラバラなクモ人間も、なぜか、消えていた。

 おだやかな風が吹き抜ける運動場の真ん中で、土器手さんが口を開く。


「あの、古住さん」


「あ、は、はい……」


「こんなことになってしまって、本当にすいませんでした。私の不注意です」


「あ、いえ、そんな……その、こちらこそ、助けてくださってありがとうございます」


「実は、私――今みたいに、人間に危害を加える宇宙生物を退治するために、この学校に転校してきたんです」


「そ、そうなんですね……」


「だから、今起こったことは、他の人には内緒にしといてくださいね」


「それは、もちろんですけど……土器手さんは、ひょっとして……その、昔の資料に書かれた、天女、なのですか?」


「ウチは先祖代々、そういった役目を負っているのです。天女ではありません。私はフツーの、どこにでもいる女の子ですよ」


「いや、フツーの、どこにでもいる女の子は、背中からタコの足は出せないと思いますけど……」


 そう言って、オレは、目の前に立った女の子を見つめる。


 サラサラとした、黒髪ストレートのロングヘア。

 ミニ丈で、アチコチにフリルがついたブラックドレス。

 顔も、スタイルも、怖いくらいに整っている。


 土器手 みくさん。


 夕暮れのオレンジの中にたたずむ彼女を見て、オレは思う。

 この人って……マジでキレイだ……。

 こんな女の子、初めて見た……。


 この人はきっと、天女なんだと思う。

 身にまとっているのが羽衣じゃなくて、黒いクネクネとしたタコ足だけど……。


 昔の人は、あのタコ足を羽衣だと思ったんだろうか?

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