クモ人間の恐怖
「な、なんで、こんな……灰色……」
「なるほど。こういったタイミングで登場するわけですね」
となりで土器手さんが、そうほほ笑む。
なんだかものすごく、落ち着いた声。
図書室のドアに近づき、彼女がそこに耳を当てた。
どうやら廊下の音を聞こうとしているようだ。
「あの、土器手さん? な、何を?」
「シッ! 静かにしてください。気づかれます」
「気づかれる? だ、誰にです?」
「宇宙生物に、ですよ」
「はい?」
その言葉を聞いて、オレも彼女のとなりに並ぶ。
用心深く、ドアに耳をくっつけてみた。
カサッ……カサカサカサカサカサ……。
な、何?
何かが……何かが動く音が聞こえる。
ケッコー、素早い感じ?
「こ、これ……何の音でしょう?」
「たぶん、宇宙生物が歩いてますね」
「あ、歩いて……マ、マジですか……」
「さっき古住さんもおっしゃったじゃないですか? 火球が落ちた場所の近くに、物の怪――つまりモンスターが出現する、と。この学校は、落下地点のすぐそばです」
「ま、まぁ、たしかに。たしかに、めちゃくちゃ近いですけど……」
「実は私、数日前、この町に隕石が落ちてきたニュースを見ました。その時、この学校に転校することを決めたんです。きっと宇宙生物が現れるだろうな、って思って」
「え……土器手さんの転校理由って、宇宙生物なんですか?」
「はい」
「そんな人、います?」
「ここにいます」
「えぇぇぇぇ……」
「しかし意表を突かれましたね。ヤツらが行動を開始するのは、てっきり夜だと思っていました……」
「意表を突きすぎでしょう……なんで宇宙生物がマジで存在してるんですか?」
「とりあえず、ここから脱出しましょう」
「脱出……」
「こんな狭い室内で戦うのは、完全に不利です。私も思い通りに動けない」
「ちょっと待ってください、土器手さん」
「はい?」
「あなたは、その――ひょっとして、戦うんですか?」
「もちろんです」
「えぇ? いや、あの、えぇ? そういうの、大人にまかせた方が良くないですか? きっとまだ校舎に残ってる先生もいると思いますけど……」
「この感じ――おそらく宇宙生物は、この空間を閉ざしています。つまりここは、私たちがいた世界とはまったく別の場所です。言ってみれば、裏の世界」
「裏の、世界……」
「私たちがいた場所にとてもよく似た、まったく別の世界。いつの間にか、図書室ごと、移動させられています。この宇宙生物、すごい能力ですよ」
「そんな、勝手に……」
「今この空間にいるのは、私と古住さん、そして宇宙生物だけです」
「う、宇宙生物は、なんでこんなことをするんでしょうか?」
「さっきも言ったように、彼らが言っていること、やっていることは、我々人間には理解できません。でも宇宙生物の狙いは、ハッキリしています」
「その、狙いとは?」
「私と、古住さんです」
「えぇぇぇぇ……」
「説明は、あとで。このままでは危険です。私についてきてください。広い場所に出ましょう。ここからなら――運動場でしょうか」
そう言って、土器手さんがオレの手を掴む。
いきなり、図書室のドアを開けた。
廊下は、外と同じように、めちゃくちゃ不気味な灰色に染まっている。
ボンヤリとだが、前が見えた。
廊下の天井と床に交差する、銀色の糸。
何だ、これ?
クモの糸?
それが廊下全体に、無数に張りめぐらされている。
そしてオレは――それを見た。
オレたちの数メートル先に……なんだかミョーな、いや、めちゃくちゃミョーな影が動いている。
大人くらいの身長。
全身が真っ黒。
しかしそれは、着ている服が真っ黒というわけではない。
何と言うか、めっちゃ
つまり、どう見たって、人間じゃない。
そいつの体は、タンポポの綿毛のような、フワッフワな黒毛でおおわれていた。
手足が、その……ちょっと多すぎゃしませんか?
数えてみる。
どれが手で、どれが足なのか、さっぱりわからないけど――全部で8本もあった。
しかも
あ、あの、めちゃくちゃキモいんですけど……。
「良かった。とりあえず、相手は一人のようです」
「いや、ぜんぜん良くないでしょう? な、何ですか、あれは? クモっぽいですけど、2本足で立ってます……」
「アトラク=ナクア、でしょうか?」
「え? アトラク――何です?」
「あぁ。名前、ムズかしいですね。それでは、『クモ人間』ということで」
「今度は、いたってシンプル……」
「来ますよ!」
クモ人間の目が、こちらを見て、ピタリと止まった。
鋭くて、真っ赤な眼球。
オレたちの存在に気づいたヤツが、いきなり床に8本すべての手足をくっつける。
カサッ!
カサカサカサカサカサ!
素早く、こちらに向かって走ってくる!
なんか、ロボットダンスが超上手い人みたい!
キレッキレのカックカク!
でも手足が多すぎて、長すぎて、背中がゾビゾビと震える!
「キ、キモ! キモすぎです! な、何ですか、あいつ?」
「古住さん。あの宇宙生物、めちゃくちゃ動きが速くないですか? やっぱり手足が8本もあると、速くなるものなのでしょうか?」
「めっちゃ冷静! 土器手さん! 今、そんなことを言ってる場合じゃあ――」
「いいですか、古住さん? しっかり掴まっててください!」
「は、はい?」
次の瞬間、土器手さんがオレの体をひょいと抱えあげる。
こんなにスレンダーなのに、彼女、ものすごい力!
オレ、お姫様だっこ状態!
おまけにそのまま、彼女はクモ人間に向かってダッシュをはじめた。
「あ、あ、あ、あ、あ!」
パニックを起こし、オレは自分でも何を言ってるのかわからない。
だが土器手さんは、クモ人間に向かっているように見えて、実は助走をつけていた。
わずかにコースを変え、そのままの勢いで、2階の窓ガラスにブチ当たっていく。
「――」
オレは、すでにヘンな声を出すことすらできなかった。
窓ガラスの破片が、2階から飛び下りていくオレと土器手さんの上に、雨のように降りそそいでくる。
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