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ぱらり、ぱら


頁の重なる音が鼓膜を揺らす。駅の小さな四阿には、オレンジ色の斜陽が影を落としていた。


春も終わりが近づき、少しづつ夏が顔を見せ始める頃。満開の花を咲かせた桜は徐々に散っていって、今は薄緑の幼葉が何時れ来る夏を待っている。


 少し前までの話ではあるが、この駅のベンチは俺だけの特等席だった。

見渡す限り田畑や山が続く風景の中、ぽつりと建てられたこの駅は、何故造られたのか分からないくらいに人気ひとげがない。

この駅から電車に乗る人はおろか、この駅で降りる人さえも見た事がない。

不思議なもので、それでも1時間に一本は電車が停まる。少なくとも、俺が高校に通い始めてからの1年間は電車が停まってくれていた。

それをいいことに、この駅を学校帰りの憩いの場にしているののだ。


家の最寄り駅は3駅先なのだけれど、入学式の帰りに気まぐれで立ち寄ってからというもの、ほとんど毎日ここで時間を潰していた。

二年生になった今でも通い続けている。ただ、去年とは悪い意味で勝手が違っていた。

 いつも通りベンチで本を読んでいると、1時間に一本の電車が駅に停まって、「プシュウ」と気の抜けた音と共に扉を開く。本から一旦目を離して、腕時計を一瞥した。

ああ、「奴」が来る時間だ。


「先輩、今日もいるんすね」


「奴」は電車から降りると、一言「お隣失礼するっす」と言って、俺をベンチの隅っこへと無理やり押し込む。荒々しく鞄を地面に置くと、空いたスペースに図々しく腰を下ろした。


俺の平穏を乱す不届者が現れたのは、春の中頃のこと。

今年の桜はかなり遅咲きで、4月も半ばになった頃にようやく満開を迎えた。

幸か不幸か、駅の周りには囲うようにして桜が植えられていて、満開となると中々の光景だった。生きていて初めて、「息を呑む」という表現が正しいのだと知った。あの景色の為だけに駅が建てられたと言われても、俺は疑わないだろう。

いつも鼻を垂らした坊主の子供のような印象を押し付けてくる景色が、見違えるほど見事な借景に昇華されていた。

桜が散り始めた今でも、鮮明に思い出せる。それほどの眺めだった。


ーーーーーそれこそ、「誰も見にこないのだろうか」と疑問に思うほど。

ちょうど1時間後に、その疑問は「俺の」楽園とともに消し飛ぶことになる。

 

「先輩っていっつも本読んでるっすよね」

 

 長い髪を指でくるくる回しているのが、視界の隅に見える。

俺は本から目を離していなかったから、「奴」がスマホを見ているのか、田んぼでも眺めているのか、それとも小馬鹿にした目でこちらを覗いているのかは分からない。

 

「悪いかよ」

 

「いや、全然っす。ただ珍しいなーって」

 

 俺は「奴」の名前すら知らない。おそらくはあちらも同じことだろう。

帰る時、俺の1駅前で降りるから家は近いのだろうけれど、小・中学ともに「奴」を見た事がなかった。

ど田舎だから小学校も中学校も線路沿いには1つずつしかない。その上、全校生徒合わせて両手両足の指で数え切るくらいの、寂れた学校だった。そんな訳もあって、学年が違くとも顔と名前くらいは分かる筈である。

それもないのだから、引っ越してきたのだろうと勝手に予想している。

 

「ここら辺なんも無いっすよね。こういうとこ好きなんすか?」

 

「お前がいなきゃ完璧だ」

 

「相変わらず辛辣っすね、センパイ」

 

隣でニヤついているであろう「奴」に内心舌打ちしながら、俺は本の頁を捲る。


ぱらり、ぱら

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