ぱらり、ぱら

枕川 冬手

プロローグ 私の春、貴方の春

1

ぱらり、ぱら


捲った本のページが静かに音を立てた。


私は駅のベンチに座って本を読んでいる。


冬の冷たさを残した空気が心地いい、穏やかな初春の午後。

たまに微風が髪を揺らしては、どこからか菜の花の香りを運んでくる。深く呼吸をすると、くすぐるような春の訪れが体を満たした。

 

今日もここに座っているのは私だけで、駅に人が来る気配はない。

駅といっても線路が片側の一本しか無いような、辺鄙で小さな駅だ。ホームの四阿あずまやには古びたベンチが置かれていて、私はそこに座っている。誰も座るはずがないのに、ベンチの隣を空けておいてしまうのは昔の癖。

このベンチの左側、いつもそこが私の定位置だった。


 改札を出た裏に自販機があるのだが、面倒なので水筒を持参している。数時間居座るのはいつものことだし、何より2時間に一本しか電車が来なくなったから、時間によってはお昼も持ってくる。

無人駅だから「早く乗れ」と急かしてくる駅員も、電車から降りてくる人もここから乗る人もいない。


まだ昼間の11時半だというのに駅周辺は至って静かで、田園風景がどこまでも続いている。この駅から見える景色は5年前と変わらない。ただ一つ私の影だけが、少しだけ伸びていた。


 駅の周りに植えられた桜が、目覚め始めた命たちに起こされるように、少しづつ花を開かせていた。

もう東京でも見れるけれど、私は此処の桜の方が好きだ。高層ビルを背景にした桜はどうにも竦んで見えてしまう。この駅だと、桜の背景に見えるものといえば遠くの山か田んぼしかない。だから桜が生き生きと主役を張っているように感じられる。

 

ゆっくりとやってきた春を肌で感じながら、私は本の字を追う。


ぱらり、ぱら

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る