三十日へ

藤川麻里佳

三十日へ

 三十日へ 夕涼み           藤川麻里佳


 夕涼みのために籐のすだれをかけました。先生、いかがお過ごしでしょうか。

 このところ急に暑くなりまして、我が家の元気印であるマカロン(ポメラニアンのメスです)も、エアコンの下で涼むことが多いです。小型犬は暑さ寒さに弱いので散歩も早い時間に変えました。

 すると、昼には会えなかった他の散歩中の犬や、野良猫、花によく出逢います。先生のお好きな紫陽花は昼も咲いているものですが、朝露に濡れた葉などを見るととても艶めいて、花弁はシワが寄っていることにも今更気づきました。先生はお気づきでしたか?

 出会う犬、猫はマカロンにとても興味を示してくれます。元より犬同士の交流が苦手な彼女でしたけれど、これを機に友達も作って欲しいと思い、私も、相手の飼い主さんもお話をするようになりました。その犬は柴犬ですが、やはりポメラニアンとは違う喜びや悩みがあるようです。

 きっとこの犬たちは、飼い主たちの気持ちなど露も知らずにいることでしょう。それがまた可愛らしくも憎らしくもある。お相手はこの子が三匹目の柴犬だといいます。次の犬を迎えるのは心苦しくはないかと聞くと、この子は保護犬で、飼い主を探していた、悲しい思いをしてしまったこの子を守りたくて引き取ったと言いました。

 保護犬、保護猫のことは聞いていましたが、実際にお会いしたのは初めてでした。

 先生は、保護と聞いてどう思われるでしょうね。先生のことだから、すべて引き取って育てるなんて、粋なことをされるかもしれません。先生にいただいた缶のクッキーを覚えておいででしょうか。あの缶、まだ手元にあるんですよ。丸くて可愛らしいあれの中には、今は犬の小物を入れています。

 おもちゃ、好きな餌をもう一度買うためのパッケージ、美容室のレシート、首輪から外れてしまったキーホルダー、ほかにもたくさんあります。

 マカロンと過ごした日々を忘れることはないでしょう。この子ももう九歳ですので、日に日に、喜びと、怖さと、安堵が巡り巡ります。

 先生、お元気ですか? もう数年お会いできておりませんで心配です。こうしてお手紙のやり取りをするのが唯一安心できます。

 心から、ご無事をお祈りしております。

 加代子

 

 

  三十日へ 喫茶店


 先生こんにちは、先日はありがとうございました。おかげさまで無事に店を開くことが出来、新しい気持ちで妻とこの日を迎えることが出来ました。

 先生へのおすすめは緑茶です。え? 喫茶店なのにって? 静岡のお茶が先生にはとても似合うと思いまして用意しました。お茶請けはかりんとうもおせんべいも、金平糖もあります。きなこねじりも! 先生もきっと喜んでくださると思ってますよ。

 それから、窓辺に先生の絵と、猫の写真を飾りました。特別席です。いつでも空けておきますのでぜひお越しください。

 先日取引先のコーヒー問屋さんが、先生のことを話題にしていました。なんでも姪っ子さんがご存知なのだとか。近からず遠くない縁だと思うととても嬉しいです。

 先生は今も刺繍をされていますか? お店の中を刺繍のもので飾りたいと思い、またご教示いただきたく思います。クッションやコースターを鮮やかな刺繍で彩れば、とても素敵な空間になりますね。

 先生の繊細な手仕事にはほんとうに感服です。先生の手を握った時に感じた、温かさやしっかりとした握力に私はとても勇気づけられました。あの仕事をする手を忘れずに、この店と家族を守っていきたいと思っています。

 これから暑くなります。どうかご自愛ください。水出しのコーヒーやお茶も美味しいですよ。

 典臣

 

 

  三十日へ 飛ぶ


 先生お久しぶりです! お元気ですか?

 息子が先日三歳の誕生日を迎えまして、夫婦ともども喜んでおります。先生にも近く会わせたいと思っていますが、今も先生は第一線で活躍されて、お忙しいのだとお察しいたします。

 先生の著書を久しぶりに拝読しました。昔読んだ時とはまた違った、二十年前には考えつかなかったことが思い起こされ、同時にあの頃を思い出して懐かしいです。あの頃先生に縋り付いて泣いていた私ももう一児の母。責任感とか、やりがいとか、そう言ったものを心から楽しんでやれているような気がします。

 息子はイヤイヤ期という時期で、自分がやりたい、今はやりたくないなど自己主張が激しくなってきました。成長を喜ぶとともに、その上で日々の雑事をどうこなしていくか、夫と悩みながら暮らしています。

 それでも、私に自分の好きなものを分けてくれたり、私がため息をつくと気遣ってくれたりして優しい子に育っています。幼稚園では活発だと聞いていますし、放課後にお友達の家に遊びにもよく行きます。来週はそのお友達が我が家に来る約束なので、張り切っておやつを用意したいと思っています。

 先生の子育てはどうだったのでしょうか。三人のお子さんをお育てになったご経験から、ぜひ今の私にもお言葉をいただけると嬉しいです。

 先生も子育て本を出版されたことがありましたね。もちろん購入しました。現代とは違うこともありますが、本質的に心に刺さるお言葉が多く、ぐさりとショックを受けながらも学んでいます。

 夏も本番、夫が海に行こうというので、息子も水着を着て浅瀬で遊べればと思っています。先生は慶良間諸島がお好きだと聞いたことがあるので、飛行機でひとっ飛びして行きたいなと思っています。おすすめの休憩どころなどありますでしょうか。

 夏は毎年来ますが、こうして先生に手紙を書く夏が私は一番好きです。

 先生、今時期はクーラーが必須ですよ。水羊羹だけで涼を得るにはいささか物足りないかと思いますので、扇風機やエアコンも覚えてくださいね。

 それではまた、お日柄の良い日に。

 美智子

 

 

  三十日へ アクアリウム


 長雨の候、先生におかれましてはご健勝のことと存じます。

 私は今、カナダで気軽に暮らしています。そこそこの英語とお金があればなんとか暮らしていけますし、近所の方たちもとても素敵な方ばかりです。

 先日マネージャーさんからご連絡をいただきました。先生のお誕生日会のお誘いでしたが、私はなかなか家を離れることもできずお伺いできそうにありません。

 家中にアクアリウムを設置したんです。薄暗い部屋に植物用のライトを付けて、苔やら、海藻やら、中には小さなエビを飼ったりもしています。

 動く生き物はもとより、海藻も日々を共に過ごすと可愛く思えてくるものです。

 彼らと過ごしていると、先生の言葉を思い出します。何者も、何者でもなく、我がものである。という言葉です。私は私、エビはエビ、海藻は海藻ですが、彼らを彼らだと思っているのは僕だけで、彼らは我が道を自然の摂理のまま生きているのです。

 私は他人から「日本人らしい」「大人しい」「堅実だ」と言われますが、それもカナダの人から見た私の姿、ひいては日本人の姿だと思います。

 私は何者でもなく、私なのだとアクアリウムを見て大きく心を揺らがされました。

 今、アパートの部屋の大半を水槽が占めています。もう少し増やすために引越しをしたいのですが、一朝一夕にはできませんね。友人もこのアクアリウムを好きでいてくれるので、近所に住むために調べていこうと思います。

 先生にはたくさんの生徒さんがおり、私もその一人です。先生の本を読んだり、お話を聞いたりするととても心が安らぎます。

 せっかくのお誕生日会に行けないのは誠に申し訳なく思っています。どうかお元気で、その日をお迎えくださると嬉しいです。

 私のアクアリウムの写真を同封します。先生の好きな鮮やかな緑は、ライトをあてるとこうなるんです。暗い深海では色はほぼ見えないなんて、ちょっと切ないですね。

 共に夏を乗り越えましょう。

 祐一郎

 

 

  三十日へ 琥珀糖


 拝啓、ひまわりが今か今かと咲き望む頃、先生におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。

 我が家はかねてより度々行っていたお菓子作りを、今月も計画しました。先生にお召し上がりいただけないのが残念なくらいとても良くできたので、写真だけでもお送りします。

 一緒に映っているのは娘の桂花です。五月に八歳になりました。彼女もお菓子作りを毎回楽しんでいて、今回これを作ろうと提案したのも桂花でした。

 子供の成長はとても早く、下の子が三歳になりますけれど、再び初めて見るような光景ばかりで、男女の育て方の違いについてしみじみと感じます。

 先生の「三人のたましい」を読みました。もっと昔に読んでいましたが、桂花が生まれた時、下の子が生まれた時にまたそれぞれ読みました。

 中でも「子供は神様の子だけれど、あなたの子でもあり、その子自身でもある」という一文がいつも心に響いています。二人とも私から産まれましたけれど、まったく他人で、それを尊重していかなくてはならないのだとまざまざ思い知らされます。

 そうそう、お菓子の話でした!

 今回作ったのは錦玉羹です。今は琥珀糖とも言うようですが、年増の私には錦玉羹がしっくりきます。マドレーヌの型に入れたのでとても可愛らしく出来ました。春に作っておいたいちごのシロップを使って赤を作り、型から外したあとは少しだけ練乳をかけて食べました。とっても甘くてすぐにお腹いっぱいになりましたが、桂花も下の子もとても喜んでいました。

 先生は甘いものがお好きでしたよね。今度お会いする時にはぜひ持って行きたいと思っています。

 桂花は先生の写真を見て、会ってみたいと言っています。お誕生日会を楽しみにしていますね。

 桂子

 

 

  三十日へ 呼吸


 こんにちは。先生お元気ですか?

 先日のテレビを拝見しました。新刊私も買いました。とても素敵でした。

 先生、今私は、また悲しい出来事が起きていて苦しいです。落ち着くように、考えすぎないようにはしていますが、夜になると沈んでしまいます。

 先生はそんな時どうされていますか? 今は誰かの力を借りたいです。

 息子が反抗期で、普通のそういった子たちと同じように悪態をついています。それだけならまったく気にしないのですが、言葉のひとつひとつに私への攻撃が見えます。「ママは俺の母さんじゃない」とか、「ママよりパパの方が良かった」などです。

 夫とは十年前に離婚して、息子はそれから夫と会っていません。

 いえ、もしかしたら私の知らないうちに、会っていたのかもしれません。中学生の頃にはもう携帯電話を渡していて、インターネット最盛期でしたから、ブログや掲示板なども利用していたみたいです。

 息子が夫と会いたがるのは理解はしています。私と同じようにたった一人の父ですから。しかしこれまでの十八年間を思うとどうにも虚しくなってしまいます。

 話が長くなってすみません。せっかくの先生のお誕生日ですのに……。

 最近近所の商店街に揚げ物屋さんが出来たんです。そこで唐揚げやコロッケを買っていくと、息子は一緒には食べてくれないですが朝にはちゃんとなくなっているんです。一緒に添えておいたキャベツやミニトマトも食べてくれて、それが今はとても嬉しいです。

 これから彼は独り立ちして私からも離れていくのだと思います。頭ではわかるんです。彼が、その方がいいというならそれを尊重したいと思っています。どうかまた、息子が私と素直に話してくれるようになることを祈りたいです。

 先生はお孫様も多くいらっしゃると聞きました。お子様方、お孫様方と素直に楽しく過ごされていると思います。先生にもその幸せがどうか続きますよう祈っています。

 

 

  三十日へ ラブレター


 お久しぶりです、お元気でしょうか。この手紙を毎年都から渡してもらおうと画策して書いていますが、これで三十通を超えました。君は何歳になっただろうか。何歳であっても僕はずっと見守っていますから、君はのびのびと暮らすのが良い。

 庭の桜はどうなったかな。毎年心配ではありますが、それももう僕の子供の頃からあるものだから相当なじいさんだ。君を楽しませるほどのものに育ってると良いと思っているよ。

 都は何歳になったかな。今、書いている時から三十年だから六十かな。今の僕と同じくらいか、どうか僕より長生きしてほしい。

 君は若い頃から先生として慕われて、多くの生徒と共に人生を歩いてきた。その一部に僕もなれて幸せだ。君は僕の人生のすべてだ。本当にありがとう。けれど君はどうか気負いなどせずに、僕を君の人生の一部と思って幸せになってほしい。

 君の得意な料理を、今日も僕はいただいたよ。朝はハムエッグとバケットだった。サラダは庭でできたトマトと、典臣くんからもらったピーマンだ。バケットが焼き上がると今日もサクラが匂いをかぎにきたよ。あの子は本当に君に似て食いしん坊で、わかりやすくて可愛らしい。彼女の鼻が動くところに美味しいものありだ。

 僕はもうあまり鼻が効かなくなったから、香ばしい香りもよくわからないよ。けれど、君と、サクラと、都と、豊と弘人と、一緒にいたいから生きていける。

 さきほど三十通書いたと言ったけど、改めて数えてみたら三十四通だった。我ながら頑張ったと思う。

 君のおかげで、多くの家族と共に生きることができた。若かりし頃、君の忘れていったハンカチを追いかけて届けた、ただそれだけの事がこんなにも大きな世界を作り上げるとは、僕はまったく思わなかったよ。

 君と出会った事で紛れもなく世界は変わった。僕の世界は輝き、生徒さんの世界は広がった。これは本当に素晴らしいことで、偉業なんだ。

 君は謙虚だからそんなことはないと言うだろう。でもどうかわかってほしい。君を愛する、君が愛する僕が言うから。

 千夜子さん、君の素晴らしいところを多く挙げよと言われれば、それこそ千の夜を越えてもまだ足りないほど多くある。君が暮らした日々、それらが君を作った。素直で清らかな心と思慮が、僕たちを励ましてくれる。

 僕はもう行かなくてはならないけれど、千夜子さんはきっとまだまだ素敵な日々が待っているから、悲しまずに暮らしてほしい。サクラも、都も豊も弘人も、それを望んでいるよ。

 追伸、七夕はよく雨が降ると言うけど、僕はその雨に乗ってきっと千夜子さんの元へくるからね。車を洗って、綺麗にして、おめかしをしてくるから、必ずまたデートをしよう。帰りにはちゃんと家へ送り届けるから、安心してほしい。

 そしてまた来年、会いましょう。

 慶造


 

  三十日へ 雷雨


 こんばんは、先生、お変わりなくお過ごしでしょうか。

 梅雨はまだ明けず連日の雨に洗濯物がたまって、新たに乾燥機を買おうか悩んでおります。しかし七夕頃の雨はなんとも楽しみになるものですね。今まさに彦星が牛車を洗っているのかと思うと、車好きの私としてはぜひ協力させていただきたく思います。

 先日我が家にガレージが建ちました。車二台を停め、メンテナンス用品や孫の自転車をしまっても余裕があるくらいで、どんな雨の日でもいつでも先生をお迎えに行けます。

 私たちはこの雨で苦労する事がたくさんありますが、先生はいつもポジティブで、その笑顔の晴れやかさを思い出します。天気が良ければ魚を干し、雨が降れば風呂湯にし、雪が降ればキャベツや白菜を埋めて保存しました。あの頃はとても楽しく過ごさせてもらいました。

 先生へはいくらお礼を言っても足りません。今年のお誕生日会もぜひ行きたく思っています。先生からいただいたお言葉が、何年経っても心に沁み入り、だんだんと我が身になっていくのを感じます。

 今年の誕生日会は役どころをいただきました。楽しみにしていてくださいね。

 それではまたお会いしましょう。

 道春

 

 

  三十日へ ぱちぱち


 せんせい、こんにちは。

 いつもたくさんおはなししてくれて、ありがとうございます。ぼくは、さいきんはだいじょうぶです。こないだどうぶつえんにいきました。せんせいがすきなとりさんがいました。だいちゃんていうしろいとりさんで、こんにちわっていってくれます。それから、だいちゃんのとくいなことばは、ぱ! ぱ! です。ほんとうは、ぱちぱち、とか、ぱぱ、とかいいたいけど、うまくいえないみたいです。

 はねをひろげて、すっごくかわいくて、たくさんなでれました。ふわふわして、だいちゃんはめをつぶってゆっくりしてくれました。

 せんせいは、ぱっとすることありますか? ぼくはかきごおりをたべたとき、ぱっ! としました。つめたくてあまくて、おいしかったです。ブルーハワイのあじがして、ままはいちごにしました。

 せんせいにもこんどつくってあげるから、おたんじょうびかいはとてもたのしみです。

 またね。

 ゆうと

 

 

  三十日へ 散った


 先生こんにちは。梅雨が明けそうですよ。今朝から燦々と日が照って、アスファルトを歩く猫が熱そうにしていました。アジサイからひまわりに代わって、また色鮮やかなご近所と過ごしています。

 この頃はボランティアも活動が増えています。犬猫の世話と、親の世話、子供の世話に自分の息抜き。ひと息つくのも苦労しますね。

 先生のおかげで今はゆっくり息抜き出来るようになりました。ふうっとカフェでコーヒーを飲んだり、お散歩も良いものだと感じるようになりました。先生も多趣味でしたね。先生の作品、刺繍や陶器、パッチワークに園芸、出されている本を読むたびに素敵だなぁと感じています。私もそんなふうに過ごしたいと思って、好きなことはどんどんやろうと思っていますが、クオリティを上げるって難しいものです。世のお師匠さん、先生と呼ばれる方は本当に頭が下がります。

 先日娘の恋人が家に遊びに来たんです。涼子はもう二十二歳になりますよ。先生におむつを替えてもらっていた時が懐かしいです。

 その恋人が、我が家にお土産を買って来てくれました。食べ物だからと玄関先で渡してくれて、そのままおやつとして出しました。とらやの羊羹でしたのでそれはもう分厚く切って三人で食べようとしましたところ、彼はあんこが苦手なのだそうです。私と涼子が好きだからと、きっと自分が帰ってから食べるだろうと思って選んでくれたそうで、私は面食らってしまいました。私はあんこが大好きなのでまったく疑問を持たずに出して、お茶もあつあつを出していました。しかしすぐに、相手の好みを伺いもせずに失礼なことをしたと思って詫びました。彼はとても寛大な方で、羊羹は私が下げましたがお茶は飲んでくれました。

 これまで五十年以上生きて来て、娘の大切な彼氏にこんなふうにしてしまうなんて思いもよらず、申し訳なさでいっぱいでした。娘も気にしないでと言っていましたが、次回来る時はぜひ教えて欲しいと伝えました。

 次回は来週来るんです。今度は彼氏にしっかり楽しんでもらおうと思っています。

 先生、歳をとってもまだまだ学びが必要ですね。人に不要な心配をかけたとあれば、どうしても悲しくなってしまいます。花のように散りゆく命でもないのですから、今からでも先生のような素敵な人間になって、娘にも幸せな人生を送ってもらいたいと思っています。

 幸子

 

 

  三十日へ 錬金術


 先生、本日は……いえ、先生のいく先はいつでもお日柄のよいところですよね。

 最近蝉が鳴いていますね。土の中で長く幼虫の時期を過ごし、無事に地上に出て自分のやるべきことをやる。一週間の命と言われますがその密度や時期の正確さ、懸命さを考えると見習いたいことが多いです。

 先日父が体調を崩しまして、一日だけ入院しました。今どきよくある高齢者の熱中症なのですが、クーラーもかけて水もよく飲み、昼間の買い物は僕がしていました。なのにその日は急にだるいと言って寝込み、夕方には嘔吐があったので病院に行きました。嘔吐をしている人にはなにも飲ませない方がいいと思ったので看護師さんにもそう伝え、いろいろ診察していただきました。よく聞くと、数日前からだるくて食欲がなかったが言い出せなかったとのことでした。

 母が亡くなって干支がひと回りした頃です。高齢だからと気を付けていたはずなのに、身近な注意を怠っていたことが自分としてはショックでした。

 父は点滴を打ってもらってその日のうちには回復し、様子見ということで病院に寝泊まりしました。しかし自分の心の中では安心や不安が巡ってしまい、気が気ではありません。

 一度ネガティブになると止まらなくなってしまいますね。母の時にもああしておけばこうしておけばと思ったりして、その日の夜は一人自宅で呆然としてしまいました。

 次の日父が病院から帰宅してまず言ったことが「猫は来とるか」でした。野良猫がよくいるんです。朝と夕方頃に来てご飯をねだり、食べ終えるとどこかへ帰っていきます。父によく懐き、自分には近寄りません。

 その日の夕方もちゃんと猫は来て、父も喜んでいました。

 魔法なんてないことはわかっているんです。ちちんぷいぷいで料理ができたり戸棚が直るなんてない。けれどつい願ってしまいます。母と三人、仲睦まじく暮らしていたあの頃が懐かしく、戻らない現実に悲しくなってしまいます。

 自分も父も、母のことを魔法使いのようだと考えていました。いつもすごいものを突然出して来て、それが航空券だったりアルバムだったりするのですがいつも驚かされました。理屈では考えられないような嬉しい時間を過ごしたこともあります。

 母が死んでから、自分たちはとても落ち込みました。魔法が消えて、悲しみが降り、二度と光は差し込まないのかもしれないとすら思えてしまった。そんな時父が言ったんです。

「晴正、旅行だ」

 母のカメラを持って出かけ、現像して眺めた時、母が帰って来たような気がしました。自分と父とが交互に撮った写真は、母が撮影した自分らそのものでした。

 父はまだ自分は若いと言っています。自分もそう思います。まだまだ母譲りの多くの魔法を持って過ごしていくんだと思います。

 先生、自分の話ばかりしてしまってすみません。先日撮った写真をお送りします。花時計が綺麗な公園でした。見事でしょ。

 晴正

 

 

  三十日へ チョコミント


 拝啓 暑中お見舞い申し上げます。

 先生は甘いものがお好きだったなと思い出し、その足でスーパーへ行くと珍しいものがありました。その名も「チョコミントサンデー氷」です。

 チョコミントって、あの、スースーする甘スースーのやつだよな。サンデーって、ソフトクリームの豪華版だよな。氷って、アイスなんだからかき氷だよな。と考えて、まったく食感を想像することが出来なかったんです。

 しばらく私は考えました。パッケージからなにか情報は得られないか、メーカーはどこか、なにコーナーに置かれているかなどを観察しました。しかし特段奇抜なものなわけでもなく、色はミントブルーだなぁと安直に感じてしまいました。クリーム系ではなく氷菓コーナーにあったので、かき氷がメインなのだと思います。

 買おうか悩み、スーパーをもう一周して来ました。先ほど見たばかりの魚に割引シールが貼られていてラッキーでしたが、チョコミントサンデー氷の勇気が出ません。チョコミントは好きですが、あれはその中で個人の好みが大きく分かれます。こっちはよくてもそれはダメ、なんてざらなのです。

 しかし買ったからには完食するのが大人です。先生、どうか私に勇気をください。そう、この手紙を書いている今、買えずにすごすご帰宅して来ました。

 あれは一体どんな味なのでしょうね。さっぱりクールなのか、甘め重視なのか、頭を離れません。先生に感想をお伝えするためにも買わなくてはと思っています。その時はきっと、聞いてくださいね。

                             敬具

                             ゆき子

                             

                             

                     三十日へ 定規


 先生こんにちは。暑いのでちゃんとクーラーつけてくださいね。私はこの夏高校二年になりました。いえ、本当は春からだったんですが、入学してからすぐに三ヶ月ほど旅行をして来たんです。

 先生の著書の中では「みみちゃんとみみ」が好きです。その中でみみちゃんは、自分の耳に聞こえることと正反対のことをして反抗していきますが、次第に、それは自分がしたいこととは違うんだと気付き、聞こえたことと自分の考えをあわせて答えを出すようになりました。すると他の人の素敵なところがよくわかってめでたしという内容です。先生にはわざわざ説明するまでもありませんが……。

 私の母が子供の頃から読んでいて、そのまま私に引き継がれました。第三版のそれと、今売られてる第十版では絵も文も少しずつ変わっています。私は第三版が好きです。先生がこれを書いた当初の考えに近いでしょうし、はっきり物を言うみみちゃんが私は大好きです。

 私の旅行の件ですが、ネパールに行って来たんです。春の私はまだ机上で、ネパールのネの字くらいしか分かっていませんでしたし、高校の三ヶ月は多くの人にとって重要な時期だと思います。学校で人間関係を築く方がいいと言う人、ネパールで冒険して来いという人。双方の言い分、私の気持ち、総合して決めました。とても楽しい日々を過ごしました。言葉では言い表せないほど、いえ、正しくは膨大すぎて便箋数枚では終わらないほどの経験と喜び、恐怖と知識を得ました。ホームステイ先の家族も素敵な人で、今度日本に来てくれるそうです。

 ネパールのママが言ってました。「これも、これも美味しいけど、どっちが好きかはあなたが決めるのよ」って。ひとつひとつ自分で決めることの大切さ、難しさ。それをどの人も持っている尊さに気付いて、今も胸が震えます。

 先生、お誕生日会は楽しみにしていてくださいね。とっておきがありますからね。

 桃華

 

 

  三十日へ さやかな


 先生、聞いてください。春に進学したら私と同姓同名の人がいたんです。しかもその人は男性です。男性でこの名前はなかなかおらず、一瞬慄いてしまいました。けれど私は果敢に彼に話しかけ、先日からお付き合いをすることになりました。

 それから私たちは、互いに同姓同名だということを強く認識するようになりました。付き合い始めによくある、もし結婚したら、という話題ではもちろん「郵便物どっちか分からなくなるね」や、「婚姻届を受理する人に怪しまれないかな」などがありました。他にも「子供の名前」や「第二子の名前」、「素敵な夫婦として表彰された際表彰式で名前を呼ばれるなぁ」など多岐にわたり、早急に解決して解決策を相手に伝える必要があるとして一致しました。

 それから二ヶ月経ち、彼が我が家に遊びに来ることになりました。母は私が同じ名前の人とお付き合いをしていると知っていますが、父は私に彼氏がいることすら知りません。

 しかし今更焦っても仕方がないと、二人して私の親に挨拶をしました。父は始めきょとんとして、それから彼の名前を聞いて、「へぇ、同じ名前だねぇ」とだけ言って部屋へ下がりました。

 あまりにもあっさりしすぎていませんか?

 父は私の彼に対してなんの感情もないといった風で、彼が持ってきたおやつはいそいそと食べに来て、このみかんゼリー美味しいなどとにこにこし、またいそいそと部屋へ戻り、彼が帰宅する時にバイバイと手を振って、何事もなかったかのように夕飯を食べています。

 娘冥利に尽きません。まったく。

 先生はどう思われますか? 父も先生の生徒だということは知っていますが、こんなにあっさりと育つものでしょうか? 父にはもっと自分の感情を出すように私も教育しておりますが、どうか先生からも、もっとジェラシーについて学ぶようお言付けいただけると嬉しいです。

 先生のお誕生日まであと半月あまり、私もとても楽しみにしています。今年の夏は暑いと言われていますのでどうかお身体にお気をつけください。バナナがとても美味しいのでおすすめです。

 爽香

 

 

  三十日へ 岬


 先生、お久しぶりです。そちらはどうですか、ニュースを見る限り気温が高くなっているようで、本当にお見舞い申し上げます。朝といえどあまり遠くまでお散歩へは行かれないほうがいいですよ。私も数日前にそちらへ出張に行った時本当に参ってしまいました。その節はご挨拶できずにすみません。とても暑くて、とらやで羊羹を買うのが精一杯だったんです。本当ですよ。

 こちらは相変わらず、そちらとは十度近くも違います。晴れた日もじりじりと照りつく暑さではなく、カラッと、サラッと、今日も晴れてるなー、と感じる程度です。

 最近よく地球岬に行きます。岬には灯台があり、ちょっと下には売店がある、なんの変哲もない岬ですが、海の遠くに違う世界があるような、海から吹く涼しい風に心が生まれ変わったような気持ちにしてくれます。

 正直言うといつ行っても寒いですが、それもまた一興といった感じです。

 先生も一度いらしてください。ごく稀に、遠くにくじらが潮を噴いたりするのが見えることがあります。その岬はその辺りでは一番高いところにあるのでぐるっと一回りを一望できます。

 どうか、お誕生日が来る前でも、来てからでも、お待ちしていますね。必ずすべてご案内しますし、きっと楽しいです。

 いつまでもお元気な先生でいてください。

 深雪

 

 

  三十日へ 窓越しの

  

 先生こんにちは、いつもありがとうございます。先日はたくさんお話しできて本当に嬉しかったです。先生はいつもパワフルで、いつか僕も先生みたいにピンピンコロリとなりたいです。えへへ。

 先週の手術は無事終わりました。麻酔から覚めて、僕自身は何か変わった様子はないのに、本当に消えて無くなってしまったのだと思うと、嬉しいような悲しいような、自分の体が、初めてみるもののように思えてなりませんでした。

 お姉ちゃんはいつも通り僕の病室で宿題をやってから帰りました。帰り際、いつもはバイバイってすぐに帰るのに、ちょっとだけ振り返って、大部屋なのに大きな声で言いました。

「ゆーは、特別だよ! やったね!」

 なんのことかわからなかったけど、うん、と言って、そしたらお姉ちゃんはにこにこしながら帰りました。

 次の日お母さんにそのことを言うと、手術が成功したことをお姉ちゃんが一番喜んでるって言ってました。僕はお姉ちゃんのことそこまで好きとか思わなくて、ふつうって感じなんですけど、お姉ちゃんは僕のこと好きみたいです。

 病室は一階なので、みんなが来る時はすぐわかります。入院したての頃は桜が咲いてて、花びらを何枚も持ってきてくれたり、つばめが飛んでたり、外に出れる人たちは暑くなって水遊びをしたりしてました。今はセミがうるさくて、夜は静かだけど朝が早いので困ってます。お姉ちゃんが抜け殻をいっぱい持ってきた時はしぬかと思いました。

 お姉ちゃんは最近、入り口でバイバイした後に、窓の外からバイバイしてきます。最初気付かなかった時はあとから怒られたから、ちゃんとバイバイしないといけません。べつにそれくらいやりますけど、お姉ちゃんも早く弟離れして、大人になってくれたらと思います。先生からも言ってやってください、お願いします。

 明後日退院なんです。嬉しい。頑張ったねってみんな褒めてくれて嬉しいけど、久しぶりに学校に行くの緊張します。けど頑張ります。先生もがんばってね。

 柚樹

 

 

  三十日へ 半年


 先生こんにちは。ほぼ毎日お会いしてるのにこんなふうにお手紙を書くなんて、女学校の頃を思い出します。お友達に小さく折りたたんだ手紙を渡して、授業中に読んで笑って、先生に今日はバレた、今日はバレないとからから笑ったものです。

 先生に初めてお会いしたのは私が結婚してからです。確かお正月明けだったでしょうかね。産後、疲れがたまってしまって、娘をお手伝いさんに預けるのは嫌だし、お義母さんも嫌だし、夫は長男風情で家のことは任せきり。そんな時でした。

 先生が参道の店先にちょこんと座って甘酒を飲んでいまして、なぜかその姿を私、じっと見てしまったんです。後からみすぼらしいことをしたと反省しましたが、その時多分、その甘酒が飲みたかったんだと思います。

 そしたら先生がこっちに気付いて、娘を可愛いって言うんです。抱っこさせてくれって。

 私は同時に肩の荷がどっとおりたような気がしました。隣に座って、おくるみごと渡して、あなたは甘酒をもう一杯頼んで。よしよしって、娘をあやしてくれました。

 届いた甘酒はとても甘くて、熱くて、娘の体温とは違うものを感じました。煮詰めてるんですから当然ですけどね、その時はもうこの子を生かすも死なすも私にかかってると思って恐怖でしたから。齢二十一歳、学生のような幸せはもう来ないのだと思い知らされた矢先でした。

 娘は先生の手の中でにこにこ笑って、それから眠りました。ふくふくとして良い子だわ、あなたの子でしょう。って、その時先生が言ったんです。私なぞどこかのお手伝いにでも見間違えられてばかりの、品位のカケラもなかったのに。どうしてわかるんですか、って尋ねると、だってそっくりだもの! と先生は答えました。

 きっとどこへ捨てても分かるわって笑う先生の顔を見ていると、ようやく、この子の血のつながった親として自分もちゃんと生きているんだと思えるようになったんです。

 娘の体重は重いし、甘酒は甘くて熱いし、正月明けで寒かったですしね。

 あれからもう半世紀近く経ちますよ。私の孫も結婚して、もうじきひ孫が生まれます。孫は娘にそっくりだし、きっとひ孫は孫にそっくりでしょうね。

 正月明け、あの神社の参道へ行ってきました。先生とも行きましたけど、その後また一人で。

 初詣の際は行けませんでしたが、あの茶店の甘酒は少し高くなりました。先生が食べたがってたおしるこを頼むと、丸餅と栗が入っていて、美味しかったですよ。夏は冷やしぜんざいになるというので、ぜひ行きましょうね。

 日出子

 

 

  三十日へ 蚊取り線香


 先生、ご無沙汰しております。年々暑さが沁み渡り、類に漏れずクーラーがなければ生きてゆかれなくなりました。

 この度、母が亡くなって七回忌、猫が亡くなって初盆を迎えます。その節は本当にご面倒をおかけしました。

 猫は母が野良から飼い始めた子で、目つきの悪いオスでした。なのにノンノという可愛らしい名前をつけられ、母の最期にも、火葬のその時まで鳴いて付き添ってくれました。

 ノンノは白黒の大きな猫でした。夫のタバコの匂いが嫌いで文句を言い、パンチをし、いつのまにか私の話は聞かないのにノンノの話は聞いて、夫はタバコをやめていました。

 どこで見つけるのか、夏は蝉を、秋はコオロギを、冬はすずめを捕まえては私らの食卓に置いていきました。半殺しの生き物をそっと食卓から外へ運ぶのは一苦労で、さらにその後の食欲も失せてしまっていました。春にむかでを捕まえてきた時は流石に怒りました。ノンノはそれからは生き物をとってくるのはやめて、自分のエサを何粒か食卓に置くようになりましたので、あれは私たちへのプレゼントだったのだなぁと思い直し、嬉しいやら申し訳ないやら思っていました。

 ノンノは何故か蚊取り線香の香りが好きでした。タバコが嫌ならこれも苦手だろうと思って、ノンノのいない部屋で焚くようにしていましたが、煙が広がり始めるとわざわざ部屋へやってくるのです。

 思えば亡き母は毎日仏壇に線香をあげていました。私はあまりしていなかったので気づきませんでしたが、仏壇に手を合わせる母の隣にはいつもノンノがいた気がします。彼はそれを覚えているのかもしれません。

 蚊取り線香の煙が当たるか当たらないかのところに彼はいて、すんすんと鼻を動かしたかと思うと、おもむろに座り込みます。多少暑くても関係ないようで、背中の黒い部分がカンカンに照っていたことを思い出します。

 ノンノは母に会えたでしょうかね。飼い主孝行な猫でしたし、飼い猫思いの母でしたから、きっとそうだと思いたいです。

 母はガリガリ君が好きでしたので、ほんの少しの時間だけお供えして、あとは私がいただこうと思います。先生、内緒にしていてくださいね。

 悦子

 

 

  三十日へ トマト


 先生こんにちは。もうすぐですね。しっかり準備は整えておりますので、当日はのんびりいらしてくださいね。

 息子の朗が、先生に育てているミニトマトを食べて欲しいと言うんです。ちゃんと切ってお渡ししますからよければ食べてください。

 パーティのメニューは、僕らと三島夫婦でいろいろ決めました。麺でもパンでも、野菜も肉も魚も、先生のお好み通りなのでバッチリです。おすすめはビーフストロガノフと、ビリヤニと、ボルシチです。今年は料理人さんがたくさん参加してくださったので、いろんな料理が並びますよ。

 先生はお子さんの頃から好き嫌いがなくなんでも食べたとおっしゃっていましたが、僕の祖母もだいたいそうでした。先生と同い年くらいで結構前に亡くなったんですが、甘いものも辛いものも、苦いものもぺろりと食べて、年寄りの胃には良くないと言われてもキムチを樽で買ったり、僕の娘とケーキバイキングに行ったりしていました。いや、胃が丈夫すぎるだけかもしれませんね。

 僕はトマトのぐずついた中身が好きになれなかったのですが、さすがに朗が育てたものは食べなければと思い、何年ぶりかで食べてみました。結構酸っぱくてこめかみにきましたが、昔感じていたぐじゅっとした感じはなく、皮が厚かったのか美味しく食べられました。

 はじめはなんと言い訳しようかと悩んでいましたが、美味しく食べられて、朗にもきちんと伝えられて本当によかったです。僕も歳を取ればさらに食べられるものが増えますかね?

 みんな、先生にお会いするのを楽しみにしています。本当におめでとうございます。

 武史

 

 

  三十日へ 摩天楼


 先生、お世話になっております。夏は盛り、蝉はわんわん、うちの犬はクーラーの下で寝ています。日に二回散歩に行きますがお日様が出ると暑くて仕方がないので、先月末くらいから朝は日の出と共に、夜は日が沈んでしばらくして、アイスノンをつけながら歩いてます。私も暑いですけど毛玉はもっと暑かろうと思います。一度刈ってやってもすぐ伸びるものですね! まったく元気でよいものです。

 近頃近所にはタワーマンションが増えました。高層よりももっと高くて、見上げてもてっぺんには届かないほどです。もろもろを考えると住もうとは思いませんが、部屋から見える景色は格別なのでしょうね。

 私が子供の頃は田舎に暮らしていましたので、地面は低く、入道雲が鬼のように見えて怖い頃もありました。雨など降らず燦々と晴れていたのに、暗くて悪いものが来るのかと震えていました。兄がそれをゲラゲラ笑っていたのでむしろそれに救われたというか、恥ずかしさで躍起になって兄を追いかけていた記憶もあります。その兄は今元気に工場で働いていて、なかなかの仕事ぶりに感嘆しました。私とはまったく違う職種ですが、だからこそ改めて受ける感動はありますね。

 タワーマンションは夜になると異彩を放ちます。団欒のあかりを灯しているのに何故か恐怖を覚えます。犬がいつも笑っているのでそれを見て心をなだめておりますが、ぼんやりと子供の頃を思い出して、切なく思うことがあります。

 先生は私の倍以上も生きておられるので怖いことなどないと思っていました。ですが先日の新聞のインタビューを拝見すると、怖いと思うものや可愛いと思うものについてお話しされており、ますます親近感が増すばかりです。

 来週もお会いできることを楽しみにしていますね。どうぞご自愛ください。

 寛仁

 

 

  三十日へ 自由研究


 先生、こんにちは。日々暑いですがいかがお過ごしでしょうか。暑さにやられているのか、私は最近お昼寝がとても気持ちいいです。

 お昼寝中によく夢を見るんです。子供の頃に一緒に遊んだ友達とか、知らない街に一人で遊びに行ったりとか、夢の中の私はなんとも気楽なものです。

 先日は朝顔を育てている夢を見て、起きてからも小学生の頃のことを思い出しました。クラスのみんなで種を蒔いて、育てて、夏休みになる時に持ち帰るんです。庭の端の、よく日の当たる場所へ私の朝顔は置かれていました。朝と晩に水をやって、今日はおへそ、今日は胸と、つるが伸びていくのを確かめながら見ていました。

 つぼみが出てくる頃、私は親戚の叔母の家へ一人で泊まりに行きました。毎年遊びに行くのが恒例になっていて、一週間ほど、朝顔の世話を母に託しました。

 しかし朝顔の様子が心配でたまりませんでした。スマホも携帯電話すらなかったので、数度母から叔母に連絡があった時についでに教えてもらうきり。枯れてはいないか、今朝は水をやったのか、つぼみはどうなったかと立て板に水でした。

 叔父も叔母もいつも私によくしてくれて、遊園地やキャンプに連れて行ってくれました。美味しいご飯を作ってもらい、とても楽しくて日記に入りきらないくらいでした。最終日、父が迎えに来てくれる手はずになっており、叔母は私に言いました。

「あやちゃん、朝顔きれいに咲いてるといいね。おばさんたちにも今度見せてね」

 私はふたりには、そこまで自分の朝顔のことを話した記憶はありませんでしたが、ふたりは私が電話口の母にしつこく話しているのを聞いて、さぞ大切に育てているのだと思ったのだと思います。

 その時、なんだかとても嬉しくなってしまったんです。私のことをちゃんと見てくれているんだと感じたので。突然のことで驚きもしましたけれど、私の大事な朝顔を、大事な叔母たちに見せたいなんて思うのは当然です。もちろんだよ、と言ってその時は帰宅しました。

 家に帰ると夜遅くて、次の日の朝、朝顔を見に行きました。七時頃だったでしょうか、いつもの朝のニュースを見ながら、そろそろだと思って庭に行くと、赤むらさきの朝顔が大きく綺麗に咲いていました。母に聞くと昨日は咲かなかったということなので、私のことを待っていてくれたんです。

 それから父のキヤノンを借りて、花に近づいて写真を撮りました。叔母に送るとお菓子と共に、素敵な写真をありがとうと手紙が来ました。

 ひと夏の思い出、長くなってしまいましたね。母も叔母も歳をとりましたが、先日二人で温泉旅行に行っていました。仲良し姉妹です。

 叔母はあの頃の写真を未だ手帳に入れており、裏に日付と私の名前が書いてあるんです。あの頃の思い出は、私と叔母の大切なものになりました。

 私も、叔母や先生のように、ずっと大切にしたいものがたくさんありますよ。それらを大切にしながら、どうか心豊かにおりたいです。

 綾花

 

 

  三十日へ 雨女


 先生、ご無沙汰しております。

 夏の盛り、いかがお過ごしでしょうか。

 毎年先生のお誕生日を楽しみにしておりますが、いつもながら出席を迷っています。今年は健一さんはいらっしゃいますでしょうか。

 健一さんは自他共に認める晴れ男で、幼少の頃からの武勇伝をよく聞かされておりました。なんでも、大嵐の日に生まれたのに取り上げられた直後あっという間にカンカン照りになったとか、通っていた小学校では、てるてる坊主の代わりにケンケン坊主を軒先から吊るしていただとか、男を捧げると大雨が降ると言われる洞窟に入りその村で何事もなくひと月を暮したとか、伝承と言わざるを得ないほどの晴れ男伝説かと思います。

 私も他に類を見ない雨女ですが、健一さんのお話を聞くと皆唖然としてしまい、私など霞の中の塵ほどに思えてしまいます。

 あれから健一さんとは何度か食事へ行ってみたのですが、表情通りのからりとした方で、私は少しネガティヴになってしまいがちなんですが、彼はポジティブすぎず、けれど高い位置に目標があるのでブレずに会話を進めることができるのだと思います。

 昨年の時点で独身と言っていたのですが、その後どうなのか先生はご存知ですか? そして、健一さんがお越しでしたら私の雨女ぶりが霞むので良いのかなと思っているのですが、出席状況はどうでしょうか。

 なんとなく私から会話を途切れさせているので、うまく連絡を取るすべを見失っているんです。先生、どうかお笑いにならず、ご教示をお願いいたします。

 先生にお会いしたいけれどどうしても決心がつきません。もし行けなかったらすみません。よく晴れた素敵な日でありますように。

 露子

 

 

  三十日へ ストロー


 先生こんにちは、お元気ですか? 九州は梅雨も明け、朝から暑くておおわらわです。来週は新幹線で伺いますね、ホテルの場所もばっちり確認していますので、安心してください。

 先生はコーヒーがお好きだったと思いますが、夏はアイスに限りますね。我が家の近くに新しくカフェができたので行ってみました。煎り具合からトッピングまで様々なメニューがあり、もちろん深煎り、アイス、ブラックで頼みました。すると年若い店員さんは言います。「生クリームかミルクのトッピングをおすすめしますがいかがですか」私は一瞬悩みました。キンと冷えた苦いブラックを飲んでほてった頭をさっぱりさせるか、その上に甘い美味しさを取り入れて脳に栄養を送るのか。

「うーん……いえ、ブラックで」

 私はまずこの店の味を知りたいと思いシンプルなメニューにしました。会計を終えてすぐ、私の注文が届きた際、びっくりしたことがありました。

 なんと、名刺サイズの紙にメッセージが書かれていたんです。しかも印刷ではなく、私の対応をした誰かが急ぎ書き記したのだと思います。緑のマジックで、「暑いのでゆっくりされてください」とありました。にっこり笑ったかわいい絵もありました。かわいくてつい、写真を撮って、手帳に挟んであります。

 大手コーヒーショップではスリーブに書くのが主流と聞いていましたので、改めてカードを用意しているとは盲点でした。しかしなにかコメントが書いてあると、昔私の親が商店の人と話している光景が思い出されて、流れ作業の買い手と売り手から、会話のある温かな空間に変わるのだなと嬉しくなりました。ペン先を揺らすだけで、吐息が漏れるだけで、人は暖かくなれるんですね。

 ちなみにそのお店では、アイスコーヒーにストローがついていませんでした。経費削減? 環境保護? 私はとっても好きなお店になりましたので、楽しく美味しくいただいています。

 先生も飲み過ぎにはご注意くださいね。むせちゃいますもんね!

 美恵子

 

 

  三十日へ 朝凪


 先生、覚えてますか? 青葉ですよ、あおば。

 先生のところから卒業してもう五年になります。先生はまだあの家へお住まいですか? 僕はねぇ、もう三回も引っ越しちゃいましたよ!

 悪いことはしてませんよ、管理組合に入って、それまでの堕落した体制を一掃して、効率化と便宜をよくして、出ていくんです。まだ時間がかかりますけどね、他の住人の方からはお礼や差し入れの嵐で、おかげで食費はかかりませんよ! もちろん引越し代は自分で出してますからご安心くださいね。

 僕に何が出来るのか、ずっと考え続けてます。地域を活性化とか、体制を整えるとか、メソッドに倣ってやれば良いのはわかるんですけど、時間が経ったり人が交代すると、それに対する意欲は薄くなりますよね。

 僕がいなくなっても良いようにと思ってはいるのですが、問題は次々出てくるものです。それを正したり、直したりする力を、どう育てたら良いのかまだわかりません。

 先生は、長いこと多くの生徒さんを育ててこられました。僕もその一人ですし、先生の功績やお考えは耳にタコが出来るくらい聞いて、理解しているつもりです。なのにいつも悩みます。このレベルでいいのか、この速度でいいのか、そこに住まう人たちの風土や性格にあった町づくりをしないと、ただのデータを作って終わりなんですよね。

 机上でどうこう出来るものではありません。実践して、考えて、取捨して、説得して。一人ではとうてい……。けど、先生のお言葉があるから頑張れます。ありがとうございます。

 引越しのスパンを縮めるようなことはしません。町の人はみなさん素敵な方達で、普通に仲良くなりたいし。そこで暮らす人はそこがとても大好きだから、僕も好きになりたいんです。

 僕の引越し先を聖地として発表したいくらいですよ! 先生もぜひお越しくださいね!

 青葉

 

 

  三十日へ カラカラ


 先生こんばんは。今、近所のコンビニに行って帰ってきたところです。コンビニは今はなんでもありますね。そう言われ始めて何年も経つのでしょうけど、若い頃はこんなに便利なものはありませんでした。

 先生も昭和の初めにお生まれになって、僕ともどちらかというと歳が近いように思われます。まぁ、叶うわけはありませんけどね。

 先生が初めて僕のいる店へいらしたとき、僕は十歳でした。外套姿の男性を後ろにつけて、店頭であなたは言うのです。

「このお店の方ですか? コーラはありますでしょうか」

 子供に向かってそんな言葉遣いをする人を、僕は見たことがありませんでした。肩までの黒髪をチリチリにパーマを当てて、まんまるの目玉で僕を見る先生を、強烈に覚えています。

 後ろの方はどなただったか全く覚えてないのですが、出版社の方だったかなと今思い出しています。

 当時、コーラを売っている店はあまりなく、うちの店にもありませんでした。僕がまごまごしてる間に母が出てきてお断りをし、先生が残念そうな声で軽やかに帰って行かれたこと、その後ろ姿も覚えています。

 当時の言葉でハイカラとでも言うのでしょうか。とにかく僕には、人生の大きな出会いだったと思っています。

 その後近所のおばちゃん方が、あの人は先生だ、こんな本を書いているなどとざわめいていたのを聞いて、ずっとその名前を唱えていました。

 高校に入って図書館で探すとようやくありました。レシピ本と、子育ての本。どれも男子学生には手に取りづらいものでしたが、一緒に映った写真が、あの店先で見た姿と同じだったので意を決しました。

 その二冊で一番目に留まったのは、申し訳ないのですがあとがきでした。著者の挨拶ということで書き連ねられた、各四ページほどでしょうか。

 あの中には読者への愛や礼儀、真理や矜持が優しい言葉で詰まっていました。

 あれはきっと、十歳の頃の僕でも読むことができたでしょう。しかし十六になってようやく出会うことが出来たのは、巡り合わせもありますが、読みたいと思う僕の心が動かしたんだと思います。

 今でこそ先生の著書はほとんど読んでおりますが、「きゅうりは夏に限る」と、「子供と対等な議論を」が特に好きです。

 季節ものと尊重することは似ていますね。その時にしか出会えないのだから、大事にして、活躍してもらって、そんな姿を見ていると、こちらも満たされた気持ちになります。

 先生もきっとそのような歓びにたくさん出会って来たのだろうと思います。僕ももう爺ですが、存分に味わっております。

 大哉

 

 

  三十日へ 深夜二時


 先生、お久しぶりです! 言っても昨日会いましたけどね! 今日もほんと暑くてやばかったですね。昨日もですけど、今日もセミがすーごくて、うちが田舎だからこうですけど、都会の人ってセミの声聞いたことあるのかな、ってちょっと謎に思いました。

 先生はいろんなところに行かれるからその分いろんな街を感じて来たんだと思います。私はまだここと、昔住んでたところだけだし、昔住んでたところは三歳で引っ越したんで何にも覚えてないんです。

 先生に教えてもらえるのはいつもぼんやりしてて、思い出話ばかりで、街の歴史とか風景とかは二の次なんですよね。そりゃあ、ご自身の感じて来たことが思い出されるのは当然ですし、それについて私が怒るなんてあり得ませんけど、もっといろんなことを知り合いなって思います。

 美味しい甘酒を出す店、スイーツの違った食べ方、襖の模様や、所作。先生の話は真剣に聞けば聞くほど深みにハマってしまいそうです。

 この手紙は夜に書いています。私もお昼は忙しいんですよ。友達と遊びに出かけたり、メールしたり、かわいい写真撮ったり。ほとんど誰かと一緒にやるので、集中できるのは夜しかないんです。

 今夜は満月だったそうです。私の部屋の窓からそれが見えて、ぽっかり浮かぶ、の意味が少しわかります。建物は低くて夜は深い。都会に憧れてはいるけれど、私は自然の美しさとその愛し方がわかるタイプの若者なので、離れ難い魅力があります。

 先生は私の何倍もの世界と時代を見てこられて、羨ましいです。私も早く、もっと多くのことを知って、誰かに伝えたり自分の中で噛み締めたりしてみたい。なにをどれぐらいしたらそうなれますか?

 明日もおうちに行きますね。友達に先生の本を紹介したら喜んでくれたので、いつか一緒にお邪魔したいです。

 るいな

 

 

  三十日へ 鉱物


 せんせいこんにちは! ぼくはさいきんはくぶつかんに行きました!

 ママが宝石がすきできました。ママはガーネットとサファイアがすきで、ぼくは花崗岩がすきだけど今回はなくて、少しざんねんでした。でも宝石の大きな原石とか、さわれるところとかあってすごかったです!

 宝石がガチャガチャに入ってて、小さいのがあたりました。ママはアメジストで、ぼくはエメラルドでした。パパの分もかったらサファイアだったので、ママがナイショでこうかんしてました。

 あそびばに、ほうせきのようせいのキラリちゃんとヒカリくんがいました。はじめて見たけどかわいくて、しゃしんをとりました。せんせいにおくります!

 せんせいにもおみやげをかったので、こんどわたしに行きますね。あついからお水のんでくださいね。

 あやと

 

 

  三十日へ ヘッドフォン


 先生こんにちは。暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。

 私は現在在宅勤務期間のため、クーラーガンガンの中で快適に働けています。

 私の世代で子なし独身だと、数年前は口酸っぱくさまざまを言われて来ましたが、それが今やハラスメ一蹴され、現金なものだと感じます。

 口にすることがタブーと言われ、ますます孤立する人がいます。助けが来ない。助けを求めに動かなくてはならない。力無い個体には割と残酷で、それが出来ないと死んで当然と思われます。まぁ、そう思われたところでもう死んでいるので気にならないでしょうけど。

 権利って、義務って、平等って、よく言われますよね。私は総じて、人間って、と思います。

 知らない人のことネットで説得しようとしたり、貶したり色眼鏡がひん曲がってたり。先生がそういう経験をされた時の本がありましたので、読みました。

 強いことはよくも悪くもなく、「強さで人を守ること」と「強さで人を遠ざけること」は紙一重なのだと思いました。先生ほどの人でさえ、「若い女」というだけで鼻摘みにされ、さらに「活動家」が加わって余計に小馬鹿にされる。小馬鹿にする側は何もしない口先しか回らない個体ですし、先生もそれをわかっていての発言かと思いますが、それを耐えてこられた先生は本当にすごいことだと思います。

 女は、子供は、無職は、病人は、だれもがそんな心でいなくてもいいはずなのに、そうであるだけで邪険にされます。知らない人は何もいう必要はないし、論じるスタートにも立ってないのに、空想の世界でゴチャゴチャ言って聞きません。

 電気を止めたら何も言えなくなるのにね。

 殴り合いの子供の方がまだマシですよ。

 耳を塞ぐのと、電線を引っこ抜くの、どっちがいいかなぁと、手帳を手に考えています。

 先生は素敵な個体だと思います。いえ、邪推とか宗教ではなくて、私の思うママを生きてこられた歴史だと思います。どうかお変わりのありませんよう。

 青蘭

 

 

  三十日へ 焦がす


 先生、ご無沙汰しています。先日のインタビューを拝見し、お元気そうで何よりだと思っております。インタビューで私が作ったアクセサリーを付けているのを見て、年甲斐もなく喜んでしまいました。テレビの前で小躍りをしていると、娘が自室の棚からお菓子とお茶を持って来て、私に分けてくれました。先生のおかげで嬉しいことがいっぱいです。ありがとうございます。

 さて、後日行われるお誕生日会ですが、私はまとめ役の一人として馳せ参じたく思います。とびきりのお部屋、とびきりの飾り付けをしようとみんなですでに烈火のように働いています。どれもこれも先生のおかげ。恩をこれでもかというくらいお返ししたくて仕方がないのです。

 先生のおかげで繋がったいのちは多くあります。けれどもそれを鼻にもまつげにもかけずに、あなたのおかげと、私たちに生きる希望を下さったのは紛れもなく先生です。いつまでもあなたが元気でいてくださることが喜びと言っても過言ではありません。私たちはいろんな色、香り、音を楽しむことができます。無論、それが身体的にわからない人もいますが、そこは論点ではないのです。

 わかる人がわかればいいわけではなく、わかる人も本当にわかっているかはわからないのだから、わかり合いたいと願おう。そうやって先生は、何もできないと悩む人々を支えて来ました。あなたはその名を知らなくても、私たちはあなたを知っている。まるで神様のようで、けれどすぐそばにいてくれる。声をあげたり、添えば応えてくれる。並大抵の活動量ではありません。

 先生に一度、どうしてそんなに働くのかと尋ねたことがあります。小学三年生の子でした。先生はその時なんて答えたか覚えていますか?

「働きたいから。それに、私が働くことで私に興味を持ってくれる人がいるから。あなたみたいにね。そんな人に私は出会っていきたいから」

 当時あなたは八十代だったかと思います。私は、この人はまだ働くつもりなのかと唖然としました。次の世代、お弟子さん方に引き継いで、休んでくれた方がいいのに、と。

 しかし今になって私ら思います。先生とお弟子さんは、同じ志を持ってはいれど、全くの別人ですものね。先生でなければ私はこんなに長くお側にいなかったと思います。

 先生は私にも仰いました。あなたは普段はカチコチの顔をしているのに、おはぎを食べる時はにこにことして、本当に正直な方ね。最初は揶揄かと思いましたが、後になって考えると夫にもそのようなことを言われた記憶があり、恥を忍んで申し上げると、先生と一緒にいる時は勉強と思って緊張していたのだと思います。先生のお孫さんの作るおはぎはまた格別で、ついつい、という感じです。

 毎年夏が来るたびに、セミの声を聞き、ひまわりを愛で、庭で水遊びをする我が娘たちを思い出します。そんな姿を思い出しながら先生のお誕生会の準備をするのは、嬉しい忙しさです。

 先生の好きな水羊羹はすでに用意済みです。もう毎日のようにお召し上がりだとは思いますけど、好きなものは何個あってもいいのです。

 夏は夜更けまで、年甲斐もない恋のお話をしましょうね。

 かをり

 

 

  三十日へ 色相


 先生、おはようございます。僕は今日久しぶりに休みをもらって、一人で散歩をしようと思います。もう暑さがひどいので休み休み、趣味の絵なんぞやっていきたいと思っています。

 色弱と言われて長い僕ですが、わからなくてもそれなりの絵は描けるんですよ。まず、絵の具は墨汁のみでオッケーで、あとは皿を数枚と水を持っていきます。硯は重いので致し方ないですね。携行硯を見つけたらぜひ買いたいです。

 この手紙も絵描き用の筆で書いていますよ。ほっそいのからぶっといのまで様々で、とはいえぺーぺーの絵描きですから指でも爪楊枝でもなんでも使って構わないんです。

 せっかくなので僕の絵を一枚お送りしますね! これは特別よく描けたんです。野良猫がいて僕の周りで砂をかくからそこを描かせてもらいました。あとから妻に話すと、そこは猫のトイレなのでは? と言われてしまいましたが気にしません。よく描けたのは、事実です。猫は可愛いです。

 いま、くすみカラーというのが女性の間で流行っているそうです。ピンクや水色などの明るい色を少しくすませることで、大人っぽさや落ち着きを表しているようで、妻もそんな色味のポーチやペンを愛用しています。

 僕は長年、どの色を見てもくすみカラーだったと思うので、時代を先取りしていたのだなぁとやけに鼻高々な気持ちになります。水墨画を描きながら時代の先端を突っ走る。なかなか良い肩書きではないでしょうか。

 僕にこの症状が出た時、友人がこう言ったんです。新しい視点が生まれるね、って。健常だった時に見えていたカラフルな世界がなくなり、前を見ても後ろを見ても落ち込んでいましたが、それを見かねてのことだったと思います。友人は小学生の頃から仲良くしており、いわば僕の右腕、僕は彼の左腕です。げっそりと老け込んだ僕を見て彼も悲しかったのでしょう。それでも、わかりやすく勇気づけるのではなく、なんとなく僕が好きそうな言葉を探してかけてくれるのがありがたくて、泣いてしまいました。

 今見えている色は本当の色ではなく、人間の脳が見せている色である、と知ったのは、動画サイトででした。脳科学者の方の公開講義を見ていて、ハッとしました。

 最後まで動画を見て、なんだかとても心が楽になったというか、友人からの言葉と重なって、自分なりの視界、視点を持っていれば良いのだなと気づきました。

 世界はまだまだ広いですね。先生もたくさんの世界で、いろんな視点を持って過ごされたかと思います。僕もいつかその域に辿り着きたいな。僕の絵を通して多くの人に伝えたいです。妻も一緒に来て欲しい。きっと喜んでくれますよ。だって、妻も新しいものが大好きですから。

 鼎

 

 

  三十日へ またね


 インタビュアーには仕事前のルーティンがある。

 空に向かい、手を伸ばして、背筋を伸ばし、息を吐く。

 天は、見離さない。


 夏の盛り、文月の終わり。どんな服でも暑く感じ、いっそ素っ裸でいたいなぁなんて軽口を叩く若人。その中で本日のインタビュアーは紺色のスーツをピシャリと決めて、撮影も兼ねているからとほんの少しのアクセサリーでゲストを迎える。

 ゲストの体調を考慮してクーラーの設定は高めだ。広いスタジオの隅々まで冷気がいくようにサーキュレーターも完備し、けれども風が直接当たらないように撮影範囲以外ではいろんなものを障害物としている。

 舞台上、低めの丸テーブルに、自分の分のアルミの椅子。机上にはゲストの好きな季節の花が生けてあり、ひとときの癒しがある。しかし振り返ると、カメラや照明、音響、医者。不測の事態に備え、埃ひとつ舞うことが許されない空気感がピリピリと伝わってくる。

 今日のゲストは大物だ。いや、ランクをつけるなんて是とはしないが、間違いなく本日のゲストは多くの人に慕われ、癒され、それらを勇気付けてきた。その彼女にインタビューをすることは文学を愛する人として誉であり、また、インタビュアーとしての実力を見透かされてしまう拷問でもある。インタビュアーの喉が静かに鳴る。

 スタッフの一人が、瓜生先生入られます、と叫ぶ。カメラマンも、衣装スタッフも、照明さんもピシャリと背筋を正して、入り口に向き直る。

「先生、本日はよろしくお願いします」

 インタビュアーは速やかに入り口へ向かい、車椅子に乗った老婆に笑いかける。椅子を押すのは彼女のマネージャー。老婆はにっこりと微笑み返し、ありがと。と言った。ゴングが鳴る。

「それでは本日のゲストにお越しいただきました。作家の瓜生千夜子先生です。先生、本日はありがとうございます。今年皇寿をお迎えになりますが、とてもお元気でいらっしゃいますね。その秘訣などはありますか?」

 当たり障りのない質問から始まる。瓜生千夜子は若かりし頃から数多くの出会いと別れを繰り返し、そこで培った感情と心の揺れ動くさまを執筆して来た。初めて本が出版されたのは齢二十三の頃。その時すでに新聞や雑誌に寄稿した作品が人気を博し、当時彼女を知らない者はいないと言わしめるほどだった。その瓜生が百十一歳の誕生日を迎え、同じく創刊百十一年の雑誌「凛と夢」にインタビュー記事を載せることとなった。

 瓜生は現在車椅子で生活をしているが、その声色は少女のように可憐で、壮年の女性の色香と麗しさがある。

「そうですね……」

 小首を傾げ、どんな風に言葉を紡ぐかを迷っているように思える。しかしそれも束の間、彼女は目の前の、彼女からしてみれば年端もいかないインタビュアーに視線を寄せて、大真面目に話し出す。

「あたくしは夢がありまして、昨年はすいかを食べ損ねましたので、今年は絶対食べるぞ! と思って一年暮らしておりました。食べることが大好きですの。口に含んで、うまみというか、美味しいなーって気持ちが膨らんで、喉を通ってため息をつくんです。ですから、ちゃんと食べられるように鍛えているんですよ。硬いお煎餅などもぺろりとね」

 手を口元へ持って来て食む姿はあどけなく、にこにこと食事を楽しんでいることがわかる。インタビュアーはつられてふふふと笑い、私もすいかが食べたくなって来ました、と返答する。

「今のすいかはとっても甘いので、お塩なんてかけなくても良いものね。赤いのも黄色いのも、今も昔も美味しく食べましたわ」

 瓜生の笑顔はいつも満面で、媚びなど一切なかった。インタビュアーは年老いた彼女について一般的な高齢者のイメージを持っていたが、まったく違うものだと後悔した。彼女は身体こそ年齢に抗えないでいるが、心は常に新しく、記憶はしっかりしている。

「瓜生先生には生徒さんが大勢いらっしゃいますが、その方々とはどんなお話をされますか?」

 この時すでに食べ物の話を四問ほどこなしている。これは、生徒からスイーツを作ってもらったという解答の続きである。

 すると瓜生は手のひらを頬に当て考え出した。それはなにか些細なことを思い出す時のように、けれど間違えたくないといった雰囲気があった。

 現状、瓜生の事務所が認識している、会員登録済みの生徒は三百二十四人。そのほとんどが瓜生との連絡に手紙を利用しており、瓜生は律儀に返しているという。

「私はいろんな、旅行先のことや散歩道のことや、昨日食べたご飯のお話などをしていますね」

 瓜生は遠くを見て、もの想いに耽っているようだ。彼女が何か考え事をしている時、話しかけてはいけないというファンの中でのルールがある。インタビュアーもそれを知っている。けれど破ってみたかった。瓜生の中のタブーを壊し、その後どうなるのか見てみたかった。頃合いを見て、興味本位を装って語りかける。

「どんなところへ旅行されましたか?」

 会話としてはいたって普通の流れだった。旅行ならばどこへ、食事なら何をというのが当然である。

 しかし瓜生は、え? といった表情でインタビュアーへ向き直る。まずったか、インタビュアーの顔色がこわばる。瓜生の表情は、からりと明るく変わった。

「えーっ! どこへ、ですか? まぁ、どのお話をしましょうかね、お嬢さん、津軽はお好きですか? あたくしは涼しい時に行ったからとても良かったんですの。それからね、ちょっと離れたところにうちわ餅というのがありましてね……」

 瓜生はあちらこちらに手を振り回し、道中訪ねた喫茶店で美味しいコーヒーを飲んだこと、そこのマスターがころころとした方でにっこり笑うとシュウマイのシワのようなお顔になって笑いを堪えるのが大変だったこと、コーヒーのお代わりまでしてしまってその夜はなかなか寝付けなかったことなどを話した。

「もう七十年ほど前になりますかね……。まだお店はあるかしら」

「そ、そんなに前でしたか」

 よく覚えているなと流石にインタビュアーも感心した。

 ふとカメラの方を見ると、瓜生のマネージャーが陰からタイムとジェスチャーする。瓜生に茶を差し出し、受け取った彼女はふぅとひと息。

 これまで割と当たり障りのない話をして来たが、インタビュアーはふと思ったことがある。瓜生は元来頭のキレる大物作家で、インタビュアーは年齢にして四分の一ほどしか生きていない。自分は子供のように思われて、本質に迫る話は伺えないのではないか。

 恐怖だった。自分の質を問われているのではないか、話し方が気に食わなかっただろうか。普段から瓜生の本を読んでいるインタビュアーとしては悔しさと共に近づき難い領域の差を感じた。また、そう思いながらも瓜生の話はとても楽しく、芯から楽しんでしまう自分がいることを否めなかった。

 次で最後の質問である。

「先生、楽しいお話をありがとうございます。先生は生徒さん方とお手紙のやり取りをされていると伺いましたが、相当たくさん受け取られると思います。どのようにお返事していますか?」

 瓜生は、じっとインタビュアーの目を見つめて答えた。

「手紙は簡単には書けません。短くても長くても、便箋を選び、ペンを選び、宛名を書き、こんにちはと書く。その時間が唯一無二の、相手のことを考える時間だと思います。インターネットが出てからあたくしもたくさん利用しました。ホームページを作ったりチャットや掲示板で交流したり、写真や絵をアップロードしたり。さまざまなことに利用できます。

 けれど、紙のお手紙を書く時は、インクの色や字の美しさも気にしなくてはいけません。それを気にしない方は、あたくしの時代にはいらっしゃらないんじゃないでしょうか。

 お手紙を書いてくださる方は、生徒だけではありません。本へのファンレターや、出版社の方々、お友達もそうです。あたくしに向けて、あたくしに聞いて欲しいと思って書いてくださってるのだと、心から思います」

 瓜生はずっと頭に残っていることがある。多くの生徒がくれた手紙のひとつひとつ、どれにも多くの学びがあり、自分の知らない世界がある。歳をとり、百年が過ぎた頃、じっと我が道を振り返った時感じた。

 知るということは足ることを知らないのだな。分かったと思っても、次から次へと疑問が出てくる。知らない言葉、知らない事象。いっそ清々しくなるほどに、私は無知だ。

「皆さん、とても優しいお言葉で書いてくださるの。美味しいおやつとか、きれいな宝石とか、猫がお腹を空かせていたり、石ころが山積みになっていたり。一見、なにが面白いのか理解が出来なくても、その方はそれが楽しいんです。その猫を飼ってくれたり、石の成分を調べてみるかもしれないんです。そう言ったことを生徒さんから学んでいます」

「先生が、学ばれるんですか?」

 インタビュアーは恐る恐る質問した。瓜生は答える。

「もちろんですよ! みなさん専門がございますからね、それにおいては教わるばかりで、新しいことを素敵な先生に教わるんですからとても楽しいですよ。それに正直にお答えする。それだけよ」

 瓜生はインタビュアーにお茶を差し出し、ずっと考えていたことを口にした。哀れみもなくただ純粋な気持ちだった。

「あたくし、ずーっと思っていたんです。あなたは今日ご挨拶くださってから、ずっとしょんぼりしておられるわ。お仕事ですから上手くお話しできないかもしれないけど、それがずっと悲しかったの。よかったら、どうなさったか教えて?」

 また、首を傾げる瓜生に、インタビュアーははっとした。彼女は自分に気を遣っているわけではない。この空間のさまざまに向けて気をはらい、どうにもいたたまれなくなって自分に質問して来ている。

 インタビュアーは確かに緊張もしていたし、当初場合によっては拷問になるかも、とさえ思っていた。それをすべて見透かされているのだ。

「すみません、そんなつもりでは……」

「そうでしたか? それならいいのよ。急にごめんなさいね」

 瓜生は、お手紙の話の続きでしたわね、と言ってお茶を含む。また、静かに話し出した。

「お手紙を書くというのは、あたくしの時代はやはり特別でした。友人が男性から恋文をいただいたり、遠くに住む両親から、女学校時代のお友達から、いろんな方に出しては届きとしていました。

 インターネットも電話すらない時代、あたくしたちを支えているのは記憶でした。今頃あの方はどうしているかしら。と考えて、その気持ちで用意して書くものでした。ただの近況報告でも、すべて書くわけではないのよ、お相手に伝えたいことを書くの。父には近所に柿が生りましたとか、友人には近所のカフェでお友達ができたとかね。出来ることが少なかったからこそのことだと思います。あたくしはその時間がとても好きなの」

 インタビュアーには考え事があった。彼女の記憶の中の、半人前な自分。それに今、伝えたいことがある。

「私、今日先生にお会いできて嬉しいです。私もお手紙書いていいでしょうか」

 あなたが大切だという気持ちを込めて書く手紙、その意味をしっかり受け取った瓜生は、ただ一言、もちろんよ、と返した。

 

 瓜生千夜子さま

 先日は弊社のインタビューにお応えいただき、まことにありがとうございました。

 後ほど編集部から連絡が行くかと思いますが、今回のインタビューは、カラー、写真付き、全八ページとなり、これもひとえに先生のお力添えのたまものだと、ありがたく思っております。

 私はこれからも「凛と夢」の取材陣として働いていきますが、先生にお会いした日、素敵なことが起こりました。娘が初めて「ママ」と言ってくれたんです。

 なかなか発語が遅く、喃語もあまりなく心配していました。これからも発育についてはゆっくりである可能性はありますが、本当に素敵な一日となりました。七月三十一日は、私にとって盛大な記念日です。

 お誕生日会のご様子がニュースで流れていました。素敵な生徒さんに囲まれた先生のお姿はとても可愛らしくて、穏やかな気持ちでいることができました。

 先生、本当にありがとうございました。

 先生はいつもお手紙の最後に付けるというアレを、私もお借りしたいと思います。

 先生、またね!

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三十日へ 藤川麻里佳 @marika_writing

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